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真名殺しの無銘 〜名前を奪う世界で、俺だけが奪われない〜  作者: 佐木凛人
第1章

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第6話 鍵の使い方

 宿場に着いたのは、日が落ちかけた頃だった。

 街道沿いの小さな集落に、宿が一軒。飯屋が一軒。あとは馬をつなぐ柵と井戸があるだけ。


 何でも屋として各地を回ってきた経験上、この手の宿場は当たり外れが激しい。虫が出るか、飯がまずいか、一番恐ろしいのは、ここが後払いだった場合だ。

 過去に一度、虫も出ない、飯は美味い、最高級の集落と出会ったことがある。


 満足な気持ちで、宿を後にしようとしたら、法外な値段をふっかけられ、断ろうとしたら、どこからともなく大男が宿がぎちぎちになるぐらいに出てきたことがあった……あれは怖かったなぁ。

 まあ、それと比べると虫が出ようが飯がまずかろうがましだ。


「部屋、二つ空いてるか」


「ああ、空いてるよ。一泊銀貨二枚だ」


 宿の主人に金を払う。……イリスの金だが。

 鍵を二つ受け取って、一つをイリスに渡した。

 イリスが鍵をまじまじと見つめている……何だその顔。


「二階の右が俺、左があんただ」


「分かりました」


 荷物を置きに二階へ上がる。

 階段が軋む。壁も薄そうだ。まあ、野宿よりは百倍いい。

 自分の部屋に入って、革鞄を下ろす。狭いが、ベッドがあって窓がある。上等だ。

 ヒリヒリと痛む腕の火傷を確認する。

 もう痛みはほとんどない。水で洗って放っておけば治るだろう。

 何でも屋の体は頑丈にできている。というか、頑丈じゃないとやっていけない。

 ……さて、飯にするか。

 部屋を出たところで、廊下にイリスが立っていた。

 部屋の前で鍵を手に持ったまま。

 さっき渡してから一歩も動いていないんじゃないかという佇まい。


「……何してるんだ」


「…………」


「もしかして、鍵の使い方が分からないのか」


「……鍵は、使用人が開けるものでは」


 真顔だった。

 完全に真顔でそれを言っている。

 真名の仕組みを完璧に語れる女が、鍵の使い方を知らない。

 貴族というものは、そんなに知らないことが多いのか? いや、こいつがただ知らないだけな気がする。


「……差し込んで、回すんだよ。こっち側の穴に」


「……こう、ですか」


 がちゃがちゃと不器用に鍵を回している。逆だ。


「逆」


「…………」


 がちゃりと音をたてて開いた。

 イリスが小さく息をついた。

 達成感のある顔をしている。いや、鍵だぞ。鍵を開けただけだぞ。


「……ありがとうございます」


「礼を言われることじゃない」


 本当に大丈夫か、この女。

 真名のことになると手がつけられないぐらい鋭いのに、日常がこれだ。落差がすごい。

 一人でどうやって今まで生きてきたんだ。

 ……聞きたいけど、なんとなく聞いちゃいけない気がしたからやめよう。


「……飯、食うか?」


「はい」


 部屋の鍵のかけ方を教えて、宿の一階の食堂で取った。

 スープと硬いパンと、焼いた川魚。宿場飯としては悪くない。

 イリスは今回はちゃんと食べていた。干し肉よりは食べ慣れたものに近いのかもしれない。

 食べ方は綺麗だ。育ちの良さはこういうところに出る。鍵の使い方は知らないのに。

 魚の骨を丁寧に外しているのを見ると、確かにこいつは元々こういう場所で飯を食う人間じゃなかったんだなと思う。


「なあ」


「はい」


「家を失ったって、前に言ってたけど。何があったんだ」


 聞こうかどうか迷ったが、聞いた。

 一緒に旅をしている以上、最低限は知っておきたい。

 何でも屋の仕事でも、依頼人の事情を知らないまま動くのは危ない。

 ……これは仕事じゃないけど。


「……真名を巡る争いに、巻き込まれました」


「争い?」


「家の真名に価値があって。それを狙った人間がいた」


 家の真名。一族に紐づく真名ってことか。そんなものがあるのか。

 ……真名の世界は奥が深いな。俺には関係のない話だけど。

 いや、関係ないとも言い切れないか。最近。


「家族は?」


「散り散りです。生きているかどうかも」


 それ以上は言わなかった。俺もそれ以上は聞かなかった。

 目の奥の熱。いつもの熱とは少し違う。もっと暗い。古い傷を無理に覗き込んだ時の、そういう目。


「……悪い、聞くべきじゃなかったか」


「いいえ。聞かれると思っていました」


 準備はしていた、ということか。でも準備していても痛いものは痛いだろう。

 何か気の利いたことを言うべきなんだろうが、さすがの何でも屋にそういう引き出しはない。


「俺も似たようなもんだよ」


「……え?」


「育った場所を失った。事情は違うけど、行く宛がないっていうのは、まあ、分かる」


 何でこんなことを言ったのか、自分でもよく分からない。

 普段は自分のことなんか話さない。聞かれても適当にはぐらかす。

 でも、さっきの目を見たら、なんか、黙ってるのが据わりが悪かった。


 イリスが俺を見た。

 いつもの観察する目じゃない。もう少し、柔らかい何か。


「……そうですか」


「そうだよ。だから何でも屋やってる。他にやることがないから」


「本当にそれだけですか?」


「それだけだよ」


 嘘じゃない。嘘じゃないけど、全部でもない。

 イリスはそれ以上追及しなかった。

 ……お互い、踏み込みすぎない。この距離感が、今はちょうどいい。


 ♢ ♦︎ ♢


 食事を終えて、二階に戻る。

 廊下でイリスと別れる前に、イリスが足を止めた。


「今日、魔物から守ってくれて。ありがとうございます」


「仕事だよ」


「……それでも……」


「気にすんな、それより。鍵、今度は一人でどうにかしろよ」


「……善処します」

 

 俺は鍵を造作もなく開ける。イリスが俺の手元を注視していた。

 部屋に入って、ベッドに倒れ込む。

 天井を見る。

 真名がない。魔物にすらある真名が、俺にはない。

 理の外。

 それが何を意味するのか、まだ分からない。

 でも、理の外にいる俺の隣に、わざわざ来た女がいる。

 面倒事のはずなんだけどな。

 不思議と、嫌じゃない。

 ……まあ、飯が出るからかもしれないけど。

 明日も歩く。明後日にはファレンに着く。

 その先に何があるかは分からない。でも、とりあえず寝る。

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