第5話 ファレンへの道
ファレンまで三日。街道は整備されているが、人通りは少ない。
隣を歩くイリスは、基本的に無口だった。聞けば答えるが、自分からは喋らない。
嫌な沈黙じゃない。ただ、歩いている。それだけ。
何でも屋として一人で歩くのは慣れてるから、隣に人がいても別に困らない。困らないんだが、たまに足音が二つあることに不思議な気分になる……慣れの問題だな。
天気はいい。風も穏やかだ。放浪中にこういう日があると、仕事なんかどうでもよくなって昼寝したくなる。
今までだったら、絶対してたな。
「なあ」
「はい」
「何か食えるものとか持ってないのか。片手で食べれるようなやつ」
「持っていません」
「だろうな」
荷物があの小さな肩掛けだけの時点で分かってた。
革鞄から干し肉を一本出して、半分に折ってイリスに渡す。
「……いいんですか」
「残り少ないから、次の宿場で食料買おう。金はそっち持ちで」
「分かりました」
イリスが干し肉を受け取って、小さく齧った。……齧り方がぎこちない。
やっぱ干し肉も食べ慣れてないのか。
そんなことを考えていた時だった。
足を止めた。
「……ノウムさん?」
「静かに」
街道の右手、森の奥。
茂みの向こうに、気配がある。
獣とも違う。もっと嫌な感じの。空気の質が歪んでいるような、そういう気配。
茂みが揺れた。
出てきたのは――狼に似た何かだった。
狼に似ている。だが、狼じゃない。
体の左半分の毛皮が剥がれ、赤黒い筋肉が剥き出しになっている。肋骨が二本、皮膚を突き破って外に飛び出していた。目のような物が四つ。通常の位置に二つと、口と思われるところに一つと額の位置に一つ。全部の目がこちらを見ている。
口から涎が垂れている。涎というか、黒い液体。地面に落ちたところが微かに焦げた。
魔物。
何でも屋として何度か相手にしたことがある。
未だこいつらの見た目の異質さに慣れない。
こいつは……中の下くらいか。短剣だけでもいけなくはないが、面倒になる。
血が腐食性だったりすると最悪だ。見た目的にそのパターンがありそうなんだよな。
「下がってろ」
イリスに一言だけ告げて、革鞄に手を突っ込む。
魔物が跳んだ。四つの目が一斉にこちらを向く。速い。野生の獣より一段上の速度。
正面から受ける気はない。
横に跳んでかわしつつ、右手で投擲ナイフを二本抜いて投げた。
一本目が前脚に刺さる。二本目は首を狙ったが、体を捻ってかわされた。……あの四つ目はどうやら飾りじゃないらしい、ちゃんと視野が広いのか。厄介だな。
傷ついた前脚を庇って、魔物の突進が一瞬鈍る。
その隙にお手製の小麦粉を混ぜた煙玉を叩きつけた。足元で割れて、白と灰色の煙が広がる。
目が四つあっても、煙の中じゃ関係ない。何でも屋の道具を舐めるなよ。
煙の中に踏み込む。こっちは投げた位置から相手の場所を把握している。
短剣を逆手に持ち替えて、低い姿勢から喉を一閃。手応え。黒い液体が噴き出して、腕にかかった。……熱い。こいつの血、腐食性か。
魔物が痙攣しながら倒れた。四つの目から光が消えていく。
煙が晴れる。
腕の火傷を確認する。大したことはない。皮が少し赤くなった程度だ。布を水に浸して巻くか、いやこれぐらい大丈夫か……布を使うのは勿体ないから、水をかけてそのままにしておく。
「怪我は」
イリスが近づいてきた。心配している……のか? 表情が薄いから分かりにくい。
でも足取りは速かった。それなりに焦ってはいたのか。
「大したことない。慣れてる」
「慣れていると言えば大丈夫なわけではないと思いますが」
「何でも屋は怪我も仕事のうちだよ」
「それは仕事ではありません」
……依頼じゃないって自分で言ったくせに、こういう時だけ律儀なんだな。
イリスは俺の腕をちらりと見て、それから地面に倒れた魔物に目を移した。
しばらく無言で見つめていた。
「……この魔物にも、真名がありました」
「……は? こいつにも?」
「はい。弱い真名ですが、確かにあった。魔物は真名の歪みから生まれる。だから真名を持っている」
魔物にも真名がある。
骨が飛び出して、目が四つあって、血で人の肌を焼くようなこいつにも。
「真名を持つものは全て、この世界の理の中にいます」
イリスがこちらを見た。
何も言い足さなかった。言い足す必要がなかった。
意味は分かる。
こいつにすら真名があるのに、俺にはない。
魔物以下ってことか? 馬鹿にされてるのか? ……いや、そういう話ではないんだろう。
「歩くぞ。ファレンはまだ遠い」
「はい」
歩き始める。
さっきまでと同じ街道、同じ足音が二つ。
何も変わっていない。
でも腕の火傷が少しだけ疼いて、さっきのイリスの言葉が頭に残っていた。
理の中。理の外。
俺はどっちにいるんだろう。
考えても答えは出なかった。だから考えるのをやめた。
次の宿場で飯を食う。
とりあえず、それだけ考えていればいい。




