第4話 飯の時間
飯は、出た。
リーデンの大通りから一本入った路地にある食堂。
何でも屋として各地を回ってきた経験から言うと、路地裏の食堂は当たり外れが激しい。ここは当たりだ。
煮込み肉とパンと、よく分からない野菜のスープ。質素だが温かい。何より量がある。腹の虫がぐぅぐぅうるさい今の俺にとって素晴らしい店だ。
俺は遠慮なく食った。
「……すごい速度ですね」
「腹が減ってたんだ。文句あるか」
「ありません。ただ、少し驚いただけです」
イリスは自分の皿にほとんど手をつけていなかった。
スープを一口飲んだきり、スプーンを置いている。
食わないのか、食えないのか。
「食わないなら俺が食うけど」
「……どうぞ」
遠慮なくイリスの皿を引き寄せる。
こいつ、追いかけてきた時の迫力はどこに行ったんだ。食堂に入ってからずっとどこかぎこちない。
「なあ、さっき注文する時」
「はい」
「どうして、自分の食べたい物を注文しなかったんだ?」
「……席に着いたら、勝手に食べ物を出してくれるものかと……」
「そんなわけないだろ」
「……そう……なんですね」
こういう場所に本当に馴染みがないんだろう。
俺みたいなやつとは全然違う生活をしてきた人間。
……元貴族、か。本当にそうなんだな。
そういえば、席に着いた時も椅子を引くのを待ってる風だった。
誰かに引いてもらう習慣がまだ抜けてないのか。俺が気づかないフリをしたら、しばらく立ったまま椅子を見つめていた。
あの「真名がない」を突きつけてきた時の鋭さはどこに行ったんだ。同じ人間か?
「で、これからどこに行くんだ」
パンをちぎりながら聞く。本題だ。
「東にある街、ファレンです。真名に関する古い文献が保管されている場所があります」
「何を調べるんだ」
「あなたのような存在――真名を持たない人間に関する記録があるかどうか」
「俺みたいなのが他にもいたってことか?」
「分かりません。だから調べに行くんです」
なるほど。手がかりがあるかどうかすら分からない状態で動いてるのか。
普通に考えれば無駄足になる可能性が高い。
……何でも屋的に言えば、報酬の見込みが立たない依頼は受けない方がいい。
でもまあ、飯は出るし。行く宛もないし。掲示板も見れなかったし。
「これ、依頼として受けていいのか。報酬は」
「依頼ではありません」
「じゃあ何だ」
「……上手く、言葉にできません」
こいつ、真名の仕組みは流暢に語れるのに、自分の感情を言葉にするのは苦手なのか。
依頼でもない。頼み事でもない。じゃあ何だ。
……まあ、名前のつけようがないものを無理に名前つける必要もないか。真名がない俺が言うと妙な説得力があるな。
「まあいいか。飯が出るなら」
「それが条件なんですか」
「何でも屋は飯で動く生き物なんだよ」
「……変わった人ですね」
「お互い様だろ」
「私は変わっていません。普通です」
真名がない人間を追いかけてきて「真名がない」と告げて「一緒に来い」と言う女のどこが普通なんだ。
自覚がないのか。それとも、これが普通だと本気で思ってるのか。
……後者だったら、ある意味すごいな。
イリスが少しだけ目を伏せた。
笑ったのかと思ったが、違う。
口元は動いていない。ただ、目の温度がほんの少しだけ変わった気がした。
冷たいだけじゃない何か。
……気のせいかもしれないけど。
「行きましょう」
イリスが席を立った。食堂の親父に代金を払う。……払い方はまともだった。金の数え方は知ってるらしい。貴族でも金は数えるか。
食堂を出る。外の日差しが眩しい。
ふと気づいたが、こいつ荷物がほとんどない。俺の革鞄よりも小さな肩掛けが一つだけ。三日の旅に出る装備じゃない。
……大丈夫か? 道中の食料とか、野営の道具とか。
まあ、宿場があると言ってたし、飯は出ると言ってたし。何とかなるか。何とかならなかったら何でも屋が何とかする。それが仕事だ。
街の東門を出る。来た時と同じ門だ。
さっきは一人で出ようとしてた。今は隣に人がいる。
特に感慨はない……と思ったけど、少しだけ歩幅が合わないのが気になった。
イリスの歩幅は俺より小さい。今まで誰かと歩幅を合わせたことがなかったから、微妙にリズムが狂う。
意識して少し歩幅を縮めた……何やってんだ、俺。
「ファレンまでどのくらいだ」
「徒歩で三日ほどです」
「三日か。野宿?」
「途中に宿場があります」
「飯は」
「……出します」
「よし」
「飯は」だけで通じるようになってるな。出会ってそんな時間も経ってないのに。
街道に出た。午後の日差しが少し傾き始めている。
一人の放浪と、二人の旅は違う。
何がどう違うのかは、まだ分からない。
ただ、隣を歩く女の足音が、自分の足音に混ざるのは、不思議な感覚だった。




