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真名殺しの無銘 〜名前を奪う世界で、俺だけが奪われない〜  作者: 佐木凛人
第2章

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第45話 漁師の杭

「裏から入る。俺を含めた四人で。表は陽動で連中の主力を引きつけている間に、こっちが速度で制圧。地下の被害者救出と研究者確保を同時に進める」


 地図の上に指を置いて、俺はそう言った。


「速度とはいえ、表はある程度時間を稼がないといけないが……どうすんだ?」


 ロウが顔を上げる。


「私が表に行くよ」


 フィーナの口調は気だるいまま、でも目は真っ直ぐ俺を見ていた。


「ただ、長時間は期待しないでね。数も数だし、真名漏れのリスクもあるし……」


「短時間で済ませる。俺が裏で制圧する間だけ、引きつけてくれればいい」


「じゃあ、頑張る」


 ロウが頷いた。


「そうと決まれば俺は表で指揮する。陽動の規模は彼女の判断に合わせる」


「お願いします」


 卓を囲んだ街の男たちが、それぞれ頷いた。

 細かい段取りはここから先、ロウが詰める。動員の現場はロウの方が長けている。


「突入は、明日か明後日の夜。準備が整い次第」


 ロウが「明後日にしよう」と返した。


「明日一日で道具と人員を整える。連中も警戒を強めてるはずだ。一日かけて準備した方がいい」


 異論はなかった。

 集まった男たちが解散していく。残ったのは俺、フィーナ、ロウ、それから婆さんが連れてきた二人の女。


 立ち上がる時、フィーナが俺の方に少し寄ってきた。


「ただ、心配なのは……」


「?」


「君が裏で、無茶しないか」


 俺は少し黙った。


「無茶しない、とは言えないな」


「……だよねー」


 フィーナがそれだけ言って、卓の上の地図に視線を戻した。


 ♢ ♦︎ ♢

 

 倉庫の奥に、俺は道具を全部広げた。


 革鞄から出したのは、煙玉が一つ。投擲ナイフが三本、油壺が一つ、ロープが一束、酢漬けの香辛料の小瓶一つ……と。

 煙玉、一つか……。

 ラズヴェルに来てから、何度か使った。廃屋で一つ、誘き出しで二つ、あの夜の戦闘でもう一つ。気づけば残りは一つだ。

 拠点突入で一つは、心許ないな。


「材料はー」


 フィーナが横で道具を覗き込んできた。


「小麦粉は店にはあった。灰も問題ない。問題は金属粉だ」


 煙玉の威力の核は金属粉だ。目と喉を一気に潰す。これがないと、煙玉が単なる目隠しになって、足止め効果が落ちる。

 

「鉄屑とか、無理かな」


「街の鍛冶屋がまだ動いてれば、屑が手に入るが」


「動いてないよ、たぶん」


 二人で唸っていると、ロウが奥から出てきて、卓に何かを置いた。麻袋が一つ。中を覗くと、灰色の細かい粉が入っていた。


「鋳物師の家から借りてきた。鋳型の削り粉だ。鉄じゃないが、似たような効き方をするはずだ」


「……助かります」


 受け取って指で擦ってみる。粒は粗いが、目に入ったら厄介な代物だ。これは使える。


「あと、商人の倅が古い投擲武器を持ってきた」


 ロウが別の袋を出した。中身は錆びた投げナイフ十数本と、鉛玉らしき小さな金属球が二十ほど。


「親父の代の道具らしい。錆は落とせる。鉛玉は重いから、何かに使えるんじゃないか」


 手に取って重さを確かめる。ナイフは研ぎ直しが要るが、本数が増えるのはありがたい。鉛玉は革鞄の底に放り込んでおけばいい。


 書類入れを抱えたイリスが倉庫に入ってきた。卓に近づいてくる。


「拠点の見張りが、増えていました。表門に三人、裏に二人、屋根の上にも一人。普段の倍です」


「やっぱり警戒してるな」


「はい。それと、奥の建物の窓から、内側で誰かが動いている影が見えました。研究者か、あるいは別動隊が戻ってきている可能性があります」


 イリスが書類入れから紙を一枚取り出した。拠点周辺の見取り図に、見張りの位置が新しく書き込まれていく。


 外で日が傾いていくのを、誰も気にしなかった。


 ♢ ♦︎ ♢


 日が完全に傾くと、倉庫内は薄暗く、書き込むには不向きというのと、急いで書き込まないといけないことがあるらしく。イリスは先に宿に戻った。

 イリスが出て行った後、道具の準備をしていたが、見切りをつけて中断した。続きは明日の朝だ。今夜は休んでおく必要があった。


 宿の前で、フィーナが空を見上げた。


「あ、見てー」


 俺は顔を上げる。雲が切れた向こうに、星が見えていた。


「あの三つ並んでるの、何て言うか知ってる?」


「いや」


「漁師の杭、っていうんだよ。漁師が方向を見るのに使うんだって」


「へえ」


「それでー、あそこにあるのがこの時期にしか見れない星々だよ」


「……詳しいな」


「保護局にいた頃、星に詳しい女の子と夜歩きが多くて、教えてもらったんだー」


「ふーん」


 星の話は続いた。


「あれは旅人の道。あっちは……恋人の枝」


「恋人の枝?」


「二つの星が寄り添ってるんだって。離れて見えるけど、本当はとても近いところにあるって、言ってた」


「……ふーん」


 フィーナが少し笑った。


「君、興味なさそうだね」


「いや、覚えとく」


「覚えてどうするの?」


「いつか役に立つかも」


 フィーナがまた笑った。

 俺はまだ、空を見上げていた。三つ並んだ漁師の杭は、雲がもう一度流れてくる前に、ゆっくりと位置を変えていた。


「明後日の夜、晴れるといいね」


 フィーナがそう言って、宿の戸を開けた。


 部屋に戻ると、イリスが既にいた。卓の上に紙を広げている。地図と何か別の書き込み。

 まだ仕事をしていた。


「もう寝た方がいい。明日も準備で動く」


「あと少しだけ」


 イリスは顔を上げず、ペンを動かしていた。

 俺は革鞄を卓の脇に置いて、隣の椅子に座った。フィーナは奥の壁際に座って、何も言わずに目を閉じている。


 しばらく、ペンを走らせる音だけが聞こえていた。


「……ノウムさん」


 イリスが、紙から目を離さずに言った。


「明後日、私は何をすればいいですか」


「拠点の外で、見張り役だ。突入の様子を見て、撤退の判断もしてもらう」


「中には、入らない方がいいんですか」


「イリスの役目は別にある。中の戦闘はフィーナと俺で何とかなる。イリスの知識は、被害者の確認と、書類の選別に必要だ。それは突入が終わってからになる」


「……分かりました」


 イリスがそれだけ言って、またペンを動かし始めた。

 顔は見えなかった。

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