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真名殺しの無銘 〜名前を奪う世界で、俺だけが奪われない〜  作者: 佐木凛人
第2章

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第46話 速度勝負

 目を覚ました時、窓の外はまだ薄暗かった。

 卓の上に、革鞄が置いたままになっていた。中身を取り出して、最終確認をする。

 煙玉が五つ。即効型が二つと持続型が二つ、そして、元々持ってた物が一つ。投擲ナイフが十数本、研ぎ直したばかりで切れ味は戻っている。油壺、ロープ、酢漬けの香辛料、鋳型の削り粉、鉛玉の小袋。短剣は腰に。

 

 準備はした、足りなければ工夫で埋める。

 

 部屋を出ると、同じタイミングで奥の部屋の扉が開いた。

 書類入れを抱えていて、すでに身支度は整っているイリスと、その後ろでお世辞にも、完璧な身なりとは言えないフィーナが目を擦って立っていた。


「お昼にロウさんの倉庫でしたよね」


 イリスが小さな声で言った。

 俺は頷いて、革鞄を肩にかけた。


 一階の食堂に降りると、湯気の匂い。海鮮の香りが、いつも通り食堂を満たしている。


「おう、おはようさん」


 親父さんが湯気の立つお椀を置いてくれた。

 中身を見て、少し驚いた。普段の魚介のスープに、いつもより身が多く入っている。それから卓の上には、硬いパンと、それから干した魚を炙ったもの。普段より一品多い。


「あの、親父さん、これ……」


「いいから食え。今日は、サービスだ」


 親父さんは厨房の方に戻りながら、それだけ言った。

 サービスと言われたなら、その言葉に甘えよう。

 俺は卓の前に座って、スープを一口、飲んだ。

 魚介の味が潤沢に舌に広がる。

 ……美味い。


 ふと、思った。

 ラズヴェルに来てから、何度も食堂で飯を食ったが、最近はずっと、何かを考えながら食っていて、ろくに味わって食ってなかった。


「親父さんの飯、久しぶりにちゃんと味がする」


「え、そんなに薄味だったか?」


「こっちの問題です」


 親父さんが軽く笑った。


 いつのまにか、席に着いていた、イリスとフィーナ。

 フィーナに関しては、さっきまでの眠そうな姿はなく、幸せそうな顔をしながらスープを啜っていた。


 飯を食い終え、宿を出た。

 ロウの倉庫には集めた十人が既に集まっていた。

 ロウが地図を広げて、集めた八人の男には、表の陽動チームの位置、裏の侵入経路、合図のタイミング、撤退ルート。男たちは黙って聞いている。誰も顔色を変えていない。覚悟は昨日のうちに決まっているらしい。

 そして、女二人には、支援の指示をしていた。

 

 婆さんが顔を出した。動けない者の家族の様子を伝えて、それだけ言って戻っていった。最後に俺の方を一度だけ見て、無言で頷いた。


「日が落ちたら出る」


 ロウが地図を畳んで、それで打ち合わせは終わった。

 

 俺たちは、三人は、最終確認と準備をした。

 気がつけば、夕陽が沈もうとしていた。

 緊張からくるものなのか、会話もなく、北区の集合場所に向かった。

 

 廃倉庫から少し離れた、空き家の裏手。ロウの組の男たちが既に集まっている。表に回る五人と、裏に入る組とが、それぞれ位置を確認している。

 俺は三人と短く言葉を交わした。煙玉の使い方、突入の順序、被害者の扱い。一人が「分かった」とだけ返した。残りの二人も頷いた。

 

 空が暗くなり始めて、星が一つ、二つと出始めた。

 フィーナが俺の方を一度見た。

 

「じゃ、行ってくるよ」


「ああ」


 それだけだった。

 フィーナがロウの方へ歩いていく。気だるい歩き方は、いつもと変わらない。

 イリスは別の方向に動いた。北区を見渡せる、隣の建物の屋根に上がる予定だ。


「ノウムさん、撤退の判断、私に任せてくださいね」


「分かった」


「そして……無事に……戻ってきてくださいね」


 イリスはそれだけ言って、夕闇の中に消えた。

 最後の言葉が、少しだけ耳に残った。

 俺は街の男三人と裏の物陰へ向かった。


 ♢ ♦︎ ♢


 拠点の裏側、富豪の空き家の塀の外。

 俺たちは隣の家の壁際に身を潜めていた。袋小路の手前、見張りの視界が届かない死角。

 裏門の前には見張りが二人。屋根の上にも一人いる。表門の三人と、計六人。以前より多くなってるな。

 

 月が雲の隙間から出るのを、空を見上げずに分かった。空気が一段、明るくなった気がした。

 その時、北区の見渡せる方角……イリスがいる屋根の方角で、何かが一度だけ光った。

 布を振っているらしい。淡い色の布。これがイリスの合図だ。


 ……始まった。


 しばらくして、表の方角で空気が変わった気がした。

 俺には届かない。だが、塀の上の見張りが、明らかに表の方に顔を向けた。

 真名解放の威圧。フィーナが動いた。

 

 裏門の前の見張り二人も、表の方を気にし始めた。一人が表門の方へ歩き出した。応援に行くつもりらしい。


 今だ。


 俺は合図した。一人がロープを持って、屋根の見張りの後ろに回る。もう一人が裏門の見張りに向かって、低い姿勢で進む。

 俺は煙玉を一つ、屋根の上の見張りの足元に投げた。

 灰色の煙が上がる。屋根の見張りが咳き込んで体勢を崩した。後ろに回っていた男がロープで首を絞めて、そのまま落とした。短い悲鳴も上がらなかった。


 裏門の前に残った見張り一人。

 俺は鉛玉を一つ、左手で投げた。男の側頭部に当たる音。男が膝をつく。前に進んでいた街の男が、そのまま組み付いて押さえつけた。

 

 二人とも制圧。


 裏門に近づいた。鍵は内側からかかっている。俺は短剣を抜いて、扉の隙間に差し込んだ。閂を持ち上げる。

 扉が、音を立てずに開いた。

 中は薄暗い廊下。奥の方で人の声がする。研究者か、別の見張りか。

 

 表ではフィーナが連中を引きつけている。長くは保たない。

 俺は三人に振り返った。

 

「速度勝負だ。行くぞ」


 三人が頷いた。

 俺たちは、拠点の中に踏み込んだ。


 廊下は奥に伸びていた。左手に階段、右手に閉じた扉が二つ。地下への入口は、ロウの情報では奥の階段の下。

 奥の声は、扉一つ分の距離だった。中で人が動いている気配。

 俺は左手で合図した。地下班は階段の方へ。俺は奥の声の方へ。

 

 地下班の二人が、足音を消して階段の方へ向かった。

 残った一人と、俺は奥の扉の前に立った。耳を当てる。中で二人の声がする。一人は男、もう一人も男。武器を磨いているような金属音。

 見張りの控え室か。


 俺は油壺の蓋を緩めた。中の油を扉の下の隙間から流し込む。次に煙玉を一つ、扉の下から押し込む。

 扉を蹴り開けた。

 

 煙が中に広がる。中の二人が咳き込む声。

 一人が中に踏み込んで、煙の中で組み付く音。

 俺は腰の短剣を抜いて、煙の向こうの一人に近づいた。煙の中で目を見開いている男に、短剣の柄で側頭部を打つ。男が崩れ落ちた。

 もう一人も、組み付されている。


 控え室の制圧。

 ここまで二分もかかっていない。

 

 地下班の方を見た。階段の下から物音は聞こえない。順調に降りているらしい。

 奥の廊下はまだ続いていた。研究者の部屋は、ロウの情報では一番奥。


 俺は奥に向かって、足を進めた。

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