第46話 速度勝負
目を覚ました時、窓の外はまだ薄暗かった。
卓の上に、革鞄が置いたままになっていた。中身を取り出して、最終確認をする。
煙玉が五つ。即効型が二つと持続型が二つ、そして、元々持ってた物が一つ。投擲ナイフが十数本、研ぎ直したばかりで切れ味は戻っている。油壺、ロープ、酢漬けの香辛料、鋳型の削り粉、鉛玉の小袋。短剣は腰に。
準備はした、足りなければ工夫で埋める。
部屋を出ると、同じタイミングで奥の部屋の扉が開いた。
書類入れを抱えていて、すでに身支度は整っているイリスと、その後ろでお世辞にも、完璧な身なりとは言えないフィーナが目を擦って立っていた。
「お昼にロウさんの倉庫でしたよね」
イリスが小さな声で言った。
俺は頷いて、革鞄を肩にかけた。
一階の食堂に降りると、湯気の匂い。海鮮の香りが、いつも通り食堂を満たしている。
「おう、おはようさん」
親父さんが湯気の立つお椀を置いてくれた。
中身を見て、少し驚いた。普段の魚介のスープに、いつもより身が多く入っている。それから卓の上には、硬いパンと、それから干した魚を炙ったもの。普段より一品多い。
「あの、親父さん、これ……」
「いいから食え。今日は、サービスだ」
親父さんは厨房の方に戻りながら、それだけ言った。
サービスと言われたなら、その言葉に甘えよう。
俺は卓の前に座って、スープを一口、飲んだ。
魚介の味が潤沢に舌に広がる。
……美味い。
ふと、思った。
ラズヴェルに来てから、何度も食堂で飯を食ったが、最近はずっと、何かを考えながら食っていて、ろくに味わって食ってなかった。
「親父さんの飯、久しぶりにちゃんと味がする」
「え、そんなに薄味だったか?」
「こっちの問題です」
親父さんが軽く笑った。
いつのまにか、席に着いていた、イリスとフィーナ。
フィーナに関しては、さっきまでの眠そうな姿はなく、幸せそうな顔をしながらスープを啜っていた。
飯を食い終え、宿を出た。
ロウの倉庫には集めた十人が既に集まっていた。
ロウが地図を広げて、集めた八人の男には、表の陽動チームの位置、裏の侵入経路、合図のタイミング、撤退ルート。男たちは黙って聞いている。誰も顔色を変えていない。覚悟は昨日のうちに決まっているらしい。
そして、女二人には、支援の指示をしていた。
婆さんが顔を出した。動けない者の家族の様子を伝えて、それだけ言って戻っていった。最後に俺の方を一度だけ見て、無言で頷いた。
「日が落ちたら出る」
ロウが地図を畳んで、それで打ち合わせは終わった。
俺たちは、三人は、最終確認と準備をした。
気がつけば、夕陽が沈もうとしていた。
緊張からくるものなのか、会話もなく、北区の集合場所に向かった。
廃倉庫から少し離れた、空き家の裏手。ロウの組の男たちが既に集まっている。表に回る五人と、裏に入る組とが、それぞれ位置を確認している。
俺は三人と短く言葉を交わした。煙玉の使い方、突入の順序、被害者の扱い。一人が「分かった」とだけ返した。残りの二人も頷いた。
空が暗くなり始めて、星が一つ、二つと出始めた。
フィーナが俺の方を一度見た。
「じゃ、行ってくるよ」
「ああ」
それだけだった。
フィーナがロウの方へ歩いていく。気だるい歩き方は、いつもと変わらない。
イリスは別の方向に動いた。北区を見渡せる、隣の建物の屋根に上がる予定だ。
「ノウムさん、撤退の判断、私に任せてくださいね」
「分かった」
「そして……無事に……戻ってきてくださいね」
イリスはそれだけ言って、夕闇の中に消えた。
最後の言葉が、少しだけ耳に残った。
俺は街の男三人と裏の物陰へ向かった。
♢ ♦︎ ♢
拠点の裏側、富豪の空き家の塀の外。
俺たちは隣の家の壁際に身を潜めていた。袋小路の手前、見張りの視界が届かない死角。
裏門の前には見張りが二人。屋根の上にも一人いる。表門の三人と、計六人。以前より多くなってるな。
月が雲の隙間から出るのを、空を見上げずに分かった。空気が一段、明るくなった気がした。
その時、北区の見渡せる方角……イリスがいる屋根の方角で、何かが一度だけ光った。
布を振っているらしい。淡い色の布。これがイリスの合図だ。
……始まった。
しばらくして、表の方角で空気が変わった気がした。
俺には届かない。だが、塀の上の見張りが、明らかに表の方に顔を向けた。
真名解放の威圧。フィーナが動いた。
裏門の前の見張り二人も、表の方を気にし始めた。一人が表門の方へ歩き出した。応援に行くつもりらしい。
今だ。
俺は合図した。一人がロープを持って、屋根の見張りの後ろに回る。もう一人が裏門の見張りに向かって、低い姿勢で進む。
俺は煙玉を一つ、屋根の上の見張りの足元に投げた。
灰色の煙が上がる。屋根の見張りが咳き込んで体勢を崩した。後ろに回っていた男がロープで首を絞めて、そのまま落とした。短い悲鳴も上がらなかった。
裏門の前に残った見張り一人。
俺は鉛玉を一つ、左手で投げた。男の側頭部に当たる音。男が膝をつく。前に進んでいた街の男が、そのまま組み付いて押さえつけた。
二人とも制圧。
裏門に近づいた。鍵は内側からかかっている。俺は短剣を抜いて、扉の隙間に差し込んだ。閂を持ち上げる。
扉が、音を立てずに開いた。
中は薄暗い廊下。奥の方で人の声がする。研究者か、別の見張りか。
表ではフィーナが連中を引きつけている。長くは保たない。
俺は三人に振り返った。
「速度勝負だ。行くぞ」
三人が頷いた。
俺たちは、拠点の中に踏み込んだ。
廊下は奥に伸びていた。左手に階段、右手に閉じた扉が二つ。地下への入口は、ロウの情報では奥の階段の下。
奥の声は、扉一つ分の距離だった。中で人が動いている気配。
俺は左手で合図した。地下班は階段の方へ。俺は奥の声の方へ。
地下班の二人が、足音を消して階段の方へ向かった。
残った一人と、俺は奥の扉の前に立った。耳を当てる。中で二人の声がする。一人は男、もう一人も男。武器を磨いているような金属音。
見張りの控え室か。
俺は油壺の蓋を緩めた。中の油を扉の下の隙間から流し込む。次に煙玉を一つ、扉の下から押し込む。
扉を蹴り開けた。
煙が中に広がる。中の二人が咳き込む声。
一人が中に踏み込んで、煙の中で組み付く音。
俺は腰の短剣を抜いて、煙の向こうの一人に近づいた。煙の中で目を見開いている男に、短剣の柄で側頭部を打つ。男が崩れ落ちた。
もう一人も、組み付されている。
控え室の制圧。
ここまで二分もかかっていない。
地下班の方を見た。階段の下から物音は聞こえない。順調に降りているらしい。
奥の廊下はまだ続いていた。研究者の部屋は、ロウの情報では一番奥。
俺は奥に向かって、足を進めた。




