第42話 両刃の餌
遠くで足音が聞こえた。
「来た」
フィーナの小さな声。
梁の上で身を伏せたまま、出入り口の南側を視界に入れた。
路地の方から、影が伸びてくる。
六人だ。
体格が良い者だったり、装備が整った者たちが四人。先頭を歩いている。
間を置いて二人。後ろの二人のうち一人は片手を腰の剣にかけている。もう一人は――頭巾を目深に、歩き方が静か。
あいつだ、別・の・奴・だ。
奴らは倉庫の前でいったん足を止めると、先頭組の一人が戸の隙間から中を覗き、無言で他に合図する。
誰も真名解放していない。
四人が先に倉庫に入ってきた。
奥の木箱の方へゆっくり進む。木箱の影で息を殺しているフィーナには、まだ気づいていない。
別・の・奴・と剣の男は、入口近くで止まった。別・の・奴・が倉庫の中をぐるりと見渡している。頭巾の中で、視線だけが動いていた。
ここまでだ。
俺は梁の上から、奥に置いた仕掛けの紐を引いた。
奥の天井から吊るしていた煙玉が、先頭の四人の真上で破裂する。
灰色の煙が一気に広がった。同時に、フィーナが木箱の陰から飛び出すと――
――空気が変わった。
煙の中で襲撃役たちの動きが一拍止まったのが分かった。たぶん、フィーナの真名解放による、威圧を浴びている。
フィーナの動きが見えなかった。
次の瞬間、煙の中で鈍い音が三つ続けて響いた。
鈍い音の後に、三人分の男の呻き声が聞こえてくる。
……三十秒もかかっていないだろう。
残った一人が、ようやく真名解放した。
空気がもう一度膨れ上がる。だが、フィーナが解放した時とは、違う。空気の代わり方がフィーナに比べて軽い気がする。
この差は、なんなんだろうか、元保護局ってところが関係しているのか?
でもそれだけじゃ説明がつかない気がする。
まあ、考えるのは後だ。
フィーナが残り一人と対峙した。
軽く左に踏み込んで、相手の剣の軌道を見切る。
――その瞬間。
襲撃役の動きが、急に鋭くなった。
剣筋が一段速くなる。フィーナが避けたはずの軌道に、剣先が滑り込んでくる。
フィーナが半歩下がった。袖の布が裂ける音。
「――ッ!」
短い息。フィーナの顔が、わずかに引き締まった。
今のは、おかしい。
真名解放した相手でも、フィーナの戦いから言って、こうなるはずがない。
視界の端で、別の奴が動いていなかった。
ただ、頭巾の中の視線だけが、フィーナとその相手に固定されている。
あの廃屋の時と同じだ。
あいつが見ていると、動きが変わる。
俺は革鞄から煙玉を一つ取り出した。
投げる先はフィーナの相手じゃない。別・の・奴・の足元だ。
梁から身を乗り出して、感覚で投げた。
煙玉が弾けて、入口近くに灰色の煙が広がる。別・の・奴・の視界が、煙で完全に塞がれた。
その瞬間、敵の動きが鈍る。
剣筋から一拍分の鋭さが抜ける。
フィーナがその一拍を逃さなかった。
踏み込んで、相手の手首を片手で掴み、ひねり上げる。剣が落ちる。そのまま顎に肘を入れ、崩れ落ちる。
四人、制圧。
別の奴と剣の男が、入口の煙の中で動いた。
「フィーナ、そいつらを縛っとけ。俺はあいつらを追う」
「……気をつけてね」
梁から飛び降り、外に出ると、別・の・奴・と剣の男が南側の路地を走っていた。
屋根に飛びつき、倉庫の屋根から、隣の建物の屋根へ。
こっちの方が地上より速い。
路地の角まで来た時、二人の足音が下で聞こえた。
二人が角を曲がる手前で、突然立ち止まった。
別・の・奴・も、つられて止まる。
剣の男が剣を抜いた。
ただし――向ける先が、別・の・奴・だった。
まずい。
屋根から飛び降りた。
着地と同時に、剣を抜いた男の体に肩から突っ込んだ。剣が振り下ろされる前に、男が地面に倒れる。剣が石畳の上で音を立てて跳ねた。
俺は男の腕を捻り上げて、地面に押さえつけた。
別・の・奴・は、壁にもたれていた。
よろめいた拍子に、頭巾がわずかにずれている。
横顔の一部だけが見えた。
……若い。思ったより、ずっと若い。
逃げる時間はあったのに、逃げなかった。
逃げる体力もないのか、別の理由なのか――。
俺は剣を抜いた男を縛り上げてから、そいつ別の奴の腕を掴んだ。
抵抗はない。
掴んだ手首が細く、少し力を入れれば折れそうだ。
縄で両手を縛る。頭巾は、敢えて触らなかった。
フィーナとイリスが追いついてきた。
「……捕まえたの?」
フィーナの声に、少し驚きが混ざっていた。
「抵抗しなかったんだよ、こいつ別の奴」
「んー?」
「……まあ、一旦倉庫に戻ろう。あの四人の方も縛り直さないと」
♢ ♦︎ ♢
倉庫に戻って、四人を縛り直した。三人は意識がない。最後の一人だけ呻いている。
別・の・奴・と剣の男は別の柱に分けて縛った。
――その時、イリスが息を切らせて駆け込んできた。
「……ノウムさん!」
声に余裕がなかった。
「街で……奪名の被害が出ています!」
イリスの言葉に手が止まる。
「中央通りの近くで、複数人。別動隊が、こっちが倉庫に注意を向けている間に、街中で襲撃を仕掛けたみたいです。被害者の数は……まだ把握できていません」
フィーナが、別・の・奴・の方を一瞥した。
頭巾の中で、目が閉じられていた。表情は読めない。
……完全に、裏をかかれた。
偽情報には食いついた。別の奴も、こうして捕まえた。
でも、それは連中にとって痛手じゃなかった。
動員の動機なら、もう用意するまでもない。
街で、人が攫われている。
動ける人間に声をかけるなら、今しかない。
「フィーナは、ここの捕縛者の見張りをしてくれ。イリスは婆さんの家へ。ロウに伝令を頼んでくれ。動ける人間を集める」
「君は?」
「街に出る。被害の規模を直接見る」
街の方角――中央通りの方向に、煙が上がっていた。
黒い煙が、夜空に細く伸びている。




