第41話 餌を流した日
朝食を済ませて、宿の部屋に戻ると、イリスが羽根ペンを動かしていた。偽情報の文面を清書している。
「これでどうでしょうか」
差し出された紙には、清書された文章があった。
――セーラス・ヴェインが拘束前に、欠損研究の続きを記した書簡をラズヴェル方面に発送していた。受取人は街の関係者の誰か。場所は、北区の旧運送倉庫付近と思われる。
俺は短く頷いた。
「奴らが喉から手が出るほど欲しい文章。受取人の詳細が不明。連中は焦って動くだろうな」
そして、誰なのかを確かめるために、上の奴が出てくる可能性が高い。
「私もそう思います」
フィーナが横で紙を覗き込んだ。
「場所だけ匂わせるってこと?」
「ああ。その方が、こっちで場所を選べる」
今日の役割を確認した。
俺は婆さんから渡された紙片に書いてある元部下のロ・ウ・の家へ行って、偽情報の仕込みを依頼する。
フィーナは街の動向観察。連中が動き始めたら兆候は街に出る。
イリスは婆さんの家で資料の整理と、次の段階の作戦立案。
夕方に廃倉庫で合流。
予定は完璧。後は、全て上手くいくことを願い、宿を出た。
♢ ♦︎ ♢
港寄りの一角に、ロウの家はあった。
家は小さな倉庫を兼ねていた。庭先に二輪の荷車と、繋がれた馬が一頭。荷物を積む木箱が積み重なっていた。運送業を営んでいる、と婆さんが言っていた通りだ。
俺が声をかけると、奥から男が出てきた。
日に焼けた顔。太い腕。五十前後だろう。短く刈った髪に、白いものが混じっていた。
「ロウさんですか」
「ああ」
婆さんから預かった紹介状を差し出した。男は手の甲で汗を拭ってから、紙を受け取った。中の文字を読む目が、一度上がって俺の顔を確認する。
「……あの人がそう言うなら」
短くそれだけ言って、俺を中へ通した。
倉庫の中は薄暗かった。木の匂いと、麻袋の匂い。奥の方に小さな卓があって、ロウは俺をそこに座らせた。
「保護局を辞めて、何年ぐらいになるんですか」
「二十二年だ。今は荷を運んでる」
無駄のない返答だった。この人には、雑談などは必要なさそうだ。
ならば、そのまま本題に移ろう。
連中の動き。奪名された人間が増え続けていること。婆さんから聞いた話の延長として、誘・き・出・し・作・戦・の概要を伝えた。
ロウは黙って聞いていた。途中で口を挟むこともなく、ただ卓の上で指を組んでいる。話が終わると、短く息を吐いた。
「連中の中に、知った顔が何人もいる。奪名された側だ」
卓の上の指が、わずかに固くなった。
「現所長は、俺の同期だった」
「……そうでしたか」
「動きたいと思ってた人間は、街に何人もいる。動機がなかっただけだ」
俺は懐から、イリスが清書した文面を取り出して、ロウの前に置いた。
ロウが読んだ。
しばらく黙っていた。
「……セーラスの名前を出すのか」
「出します」
ロウが俺の顔を見た。
「連中は食いつく。間違いなくな。あの男の名前は、連中にとって特別だ」
「承知してます」
「ただし――これを流したら、もう街の中で隠れている時間はなくなる。連中は総力をあげて、文面に絡んだ人間を探しに来る。あんたらも、俺も、婆さんも、みんなだ」
ロウの目が、俺の目を見ていた。
逃げ場のない問いかけだった。
「承知の上です」
俺が短く答えると、ロウが、もう一度息を吐いた。
「分かった」
卓の上で、指がほどけた。
「連絡点は俺が把握してる。北区に三箇所、中央通りの裏に一箇所。今日中に全部に流す。明日の昼までには、連中の上にまで届くだろう」
「ありがとうございます」
「礼はいい。それと――」
ロウが立ち上がりながら言った。
「動ける人間には声をかけておく。ただし、実際に動かすには動機が要る。それはあんたの仕事だ。婆さんが言った通りだろう」
「……動機は、近いうちに用意します」
ロウが頷いた。
倉庫を出る時、馬が低く鼻を鳴らした。
俺は荷物を積む木箱の脇を通って、表通りに戻った。
♢ ♦︎ ♢
夕方、北区の外れにある廃倉庫の前にいた。
海からは少し距離があって、潮の匂いが薄い。倉庫地区は使われなくなって久しいらしく、扉の蝶番が錆びている。
出入り口は二つ。周囲には高所が二箇所あって、見張り位置を取れる。連中の拠点とは街を挟んで反対側だから、奇襲を受けるにしても時間がかかる。
誘き出す場所として、悪くない。
先に合流したフィーナと中に入った。
倉庫の内部は広く、奥に古い木箱が積まれていた。床は石、天井は梁が剥き出し。
「上から見下ろせる位置、二つ取れるね」
「ああ。煙玉と油、それぞれの位置に分けて仕込む」
俺は道具袋から、煙玉と油の小瓶を取り出した。出入り口の死角になる柱の根本、奥の木箱の隙間、入って来た者の動線になる場所。仕込んでいくうちに、展開の流れが頭の中で組まれていく。
夕陽が落ちる頃、イリスが合流した。婆さんの家から地図を持ってきたようだ。
倉庫の周辺の見張り位置と、連中が来ると想定される進入路が書き込まれていた。
「南側の路地から来る可能性が一番高いです。北側は港の方向で、夜は人気が完全になくなるので、逆に目立つようになります」
「南か」
「はい。なので、私は東側の建物の二階に入ります。そこから倉庫の裏手と南側、両方が見えます」
位置取りを最終確認した。
俺は倉庫の梁の上、フィーナは奥の木箱の陰、イリスは外から合図と見張りだ。
後は、来るまで待つだけだ。
位置に着いて、頭の中で戦闘の想定をしていると、夜が来て、風が止まっていた。
倉庫の中は冷えていた。梁の上から、出入り口の二つを両方視界に入れる。フィーナは木箱の陰で、息を殺している。
遠くで、足音が聞こえた。
「来た」
フィーナが小さな声で言った。




