第39話 捨てられた街
必要最低限の装備。偵察の時に借りた服を今日も来て、午前中、俺は一人で保護局の出張所を見に行った。
北区の外縁、中央通りに面した石造りの建物。扉には封印の札が貼られていて、窓は鎧戸で閉じられていた。
正面に立つと、扉にバツ印の焼き印が押されていた。
建物の周りを一周した。裏口は壊されていて、中は荒らされている気配がある。でも、今は誰もいない様子だった。監視もついていない。連中にとって、もう用済みの場所なんだろう。
情報を集めるため、近所を探索すると、一軒だけ細々とやっている酒場があった。中には昼から飲んでいる老人が一人。
「聞きたいことがあるんですけど、いいですか」
「なんだい」
「この街の保護局の職員、逃げた人ってどこに行ったか分かりますか」
老人は警戒の目を向けたが、俺が街の住人のような服装なのを見て、少しだけ緩んだ。
「……あんた街の人だろ、なんでそんなこと聞くんだ」
「ああ、実はつい最近ラズヴェルに戻ってきて、ラズヴェルの状況がよく分かってないんです」
老人は、見極めるように俺を見る。
数秒間、老人は俺を見終えて、酒を一口。
「……はぁ。保護局の職員は、半分近く奪名された。残りの半分は、街の外に出たはずだ」
「街に残ってる人はいないんですか?」
老人が少し考えた。
「一人、いる」
「一人?」
「昔、保護局に勤めてた婆さんだ。もう引退して……確か、孫と暮らしてるはずだ。今の職員じゃないが、昔は偉い立場だったらしい」
昔の職員。現役ではないが、保護局の内情に詳しい人物。
それで十分だ。
「その婆さんの家、教えてもらえませんか」
老人は迷ったが、銀貨一枚で教えてくれた。
情報に値段がつくのは、この街にまだ商売の気配が残っている証拠だった。
♢ ♦︎ ♢
婆さんの家は、街の西外れの、港が見える丘の上だった。
小さな家で、庭に薬草が植わっていた。俺が扉を叩くと、七十近い女性が出てきた。背筋はしゃんとしていたが、顔には深い疲労があった。
「何の用だい」
「保護局について、少しお話を聞かせてもらえませんか」
婆さんは俺の顔をじっと見た。
「あんた、見かけない顔だね。旅の人か」
驚いた。格好だけでは、この人は欺けないってことか。
年の功なのか、元保護局だからなのか……元保護局の方なら、フィーナも将来こうなるのか……想像出来るような出来ないような。
「……ええ、何でも屋です」
「何でも屋が、保護局に何の用だい」
「この街の状況を、何とかしたくて」
婆さんの目が、少しだけ鋭くなる。
「……入んな。ただし、孫が帰ってくる前に話を終わらせておくれ。あの子には、もう何も背負わせたくないんだ」
家の中は、質素だが手入れが行き届いていた。小さなテーブルを挟んで、俺と婆さんは向かい合った。
「保護局で、どこまでお勤めだったんですか」
「二十年勤めて、七年前に引退した。今の所長は、あたしが現役の時の部下だ」
「その所長さんは」
「奪名されたさ。最初の被害者の一人……」
哀愁漂わせながら、婆さんはそう言った。
「すみません、そんなことを聞いてしまって」
「いいさ、この歳になると死にも慣れる」
婆さんは一つ溜息を吐いた。
「それで、他に聴きたいことはなにかね」
「……ラズヴェルで、これだけのことが起きているのに、王都の保護局本部は、何もしないんですか」
「連絡はしたさ、何度もね。でも、返ってくるのは『事態の把握に努める』だの『調査中』だの、そんな文書ばかりさ」
「動いてないってことですか」
「動けないんじゃないかね」
婆さんが溜息をついた。
「王都の保護局本部も、楽じゃない。セーラス・ヴェインって名前は聞いたことあるかい」
「……はい」
「あの男が逮捕されて、保護局の権威は地に落ちた。内部の粛清、派閥争い。そんな中で、ラズヴェルに人員を割く余裕が、今の本部にはない」
王都の内情。俺が王都にいた時には見えなかった部分だった。
「憲兵隊は」
「憲兵隊も同じだよ。ラズヴェルの憲兵は全滅。上位の管轄に応援を要請したが、憲兵隊は憲兵隊で、地方の治安維持で手一杯だって返事だ」
「……」
「この街は、捨てられてるのさ」
婆さんが、俺の目を見た。
「だから、何でも屋さん。あんたが何をする気か知らないが、助けは期待しないほうがいい。この街のことは、この街にいる人間でやるしかない」
重い言葉だ。
でも、その言葉の中には、希望もある。
「……逆に聞きたいんですが」
「なんだい」
「この街で、動ける人間は、どれくらいいますか」
婆さんが、少し考えた。
「あたしも入れて、十人くらいはいる。保護局の元職員、憲兵の退役者、自警団の生き残り、商人の息子で剣が使える奴。全員年寄りか、半端者だけどね」
「十人……」
「でも、あんた」
婆さんが、釘を刺すように言った。
「その十人も、みんな怖いんだ。連中に奪名された仲間を見て、怯えて動けないでいる。動員するなら、強い動機が要る」
「……」
「一人の勇気じゃ、あの連中には勝てない。十人が一緒に動ける理由が要るんだよ」
俺は、頷いた。
十人。俺たちの三人と合わせて、十三人。まだ足りない。でも、ゼロではない。
動機の問題は、これから考える。
「……ありがとうございます」
「礼はいいよ。ただ、一つだけ覚えときな」
「なんですか」
「動き出したら、戻れないよ。中途半端にやって、連中を怒らせたら、この街の残った住民が全員やられる。やるなら、やり切りな」
♢ ♦︎ ♢
宿に戻ったのは、日が傾きかけた頃だった。
フィーナとイリスが、俺の部屋で待っていた。
「戻ったぞ」
「どうでした」
イリスが聞いた。
俺は床に座って、婆さんから聞いた話を伝えた。保護局と憲兵隊の応援は期待できないこと。街に動ける人間が十人ほどいること。でも、彼らを動かすには動機が要ること。
話を終えると、フィーナが長く息を吐いた。
「王都も、動いてくれないのね」
「しばらくは、無理だと思う」
「じゃあ、この街の人たちだけでやるの?」
「それか、別の方法を探すかだ」
「別の方法って」
俺は少し黙った。
ここから先は、まだ俺の中でも整理がついていない話だからだ。
「……俺たち三人と、街の十人。それだけじゃ、拠点の三十人に勝てない」
おそらく、街の十人というのも、直接的な戦闘で計算に入れていいのは、良くて一人とかだろう。
となると……
「なら、もう一つの候補案だな」
「もう一つの候補案となると……」
「『別の奴』を潰す」
「でも私も朝から考えたんだけどさ。それって、止まるのは街での奪名だけで、拠点の研究は続いちゃわない?」
「そこが懸念点だと俺も思う。でも『別の奴』は研究の中心人物の一人である可能性が高い。潰せば、研究が遅れはずだ」
という願望だ。でも、そう思わなきゃ、もう希望はない。
フィーナは、何か言いたげな表情を浮かべる。多分、俺の願望込みの発言に思うところがあるんだろう。
「……なるほどね。君が言うならそうなのかもね」
イリスが、紙に何かを書き込んでいる。
「『別の奴』を引きずり出す方法。何か、案はありますか」
イリスは、真剣な眼差しで俺を見る。俺の願望的発言を知ってか知らずか決定事項として話を進める。
「……一つだけ、思いついてる」
息を一つ吐く。
「あの監視役だ。昨日逃げた男。あいつは、今頃、拠点で昨日の失敗を報告してる。そしてあいつは『別の奴』と面識があるかもしれない」
「それを、捕まえるってこと?」
フィーナが紡ぐ。
「でも、捕まえるってどうやってですか」
「あいつが次にどこに現れるか、予測する。昨日は襲撃の監視だったが、今日からは拠点に篭るはずだ。ただし、一度だけ、外に出る瞬間がある」
「一度だけ?」
「今夜、俺たちが廃屋に残した男を、連中は回収しに来る可能性がある。あるいは、口を封じに来る。どちらにしても、拠点の誰かが動く」
「その回収役の中に、監視役がいるかもしれないってことだね」
「ああ。昨日の監視役は、俺たちの顔を見ている。俺たちを探す役目も兼ねて、外に出る可能性が高い」
フィーナが、ゆっくりと頷いた。
「で、どうするの」
「廃屋で待ち伏せする。連中が来たら、全員制圧する。特に監視役は、生け捕りだ。あいつから、『別の奴』の情報を引き出す」
イリスが、紙に配置を書き始める音が部屋に残る。




