第38話 仕切り直し
眠れた。
昨日よりはずっと、深く眠れた。戦闘が終わって、情報が得られて、イリスが無事だった。それだけで、脳の一部が勝手に力を抜いたらしい。
起き上がって、窓を開けた。
昨日、一人逃がした。あの監視役が拠点に戻って、俺たちの存在を報告しているはずだ。連中は今頃、俺たちの人数、戦闘能力、目的を把握しようとしている。
……こっちも、急がないとな。
♢ ♦︎ ♢
朝食の席で、フィーナが先に切り出した。
「ねえ、今日はどうするの?」
「そうだな、この後、話そう」
イリスも頷いた。
朝食を素早く済ませて、俺の部屋に三人で集まった。
「まず、昨日の情報を整理する」
イリスが紙を広げた。昨日の図に、昨日の尋問で得た情報が書き加えられていた。
拠点。北区の富豪の空き家。見張り七人以上。表門と裏の勝手口。裏は袋小路。見張り交代は二時間周期。
人員。全体で三十人以上。研究者三人、うち一人はセーラスの下にいた者。
被害者。地下に五十人以上。真名核の移植研究の素材。
「別の奴」。真名を把握できる特別な存在。一人。街に出てくる時だけ、街で奪名が成立する。
監視役。昨日逃げた男。襲撃役の組には知らされていない、別の役割。
「整理すると、拠点にはこれだけの人員と役割がある」
俺は紙を指でなぞった。
「見張り、襲撃役、運搬役、研究者、『別の奴』、監視役。組織としてちゃんとしてる」
「セーラスが作った組織が、崩れていないってことですね」
イリスが静かに言った。
「元締めがいなくなっても、末端から中層まで、役割が分かれて動いている。むしろ、セーラスの目が届かない分、やり方が荒くなっている」
「荒くなってるってのは、どういう意味だ」
「奪名の規模です。セーラスがいた頃は、人を選んで慎重に扱っていた。今は、数で押している。街の人間を手当たり次第に連れ去って、地下に溜めている」
フィーナが頬杖をついた。
「上の誰かが、研究を急いでるってこと?」
「可能性はあります。真名核の移植研究が、ある段階に入ったのかもしれません。素材が大量に必要な段階。だから、外での狩りを積極的にやっていたということになります」
「なら、急がないとかもね」
フィーナがそう呟き、伏せていた顔を上げる。
「大量の人を研究してるなら、研究は進歩しているはず。もし、ある程度の成果が得られてるなら、ラズヴェルの外にまで、勢力を拡げ始めちゃうかもしれない……」
沈黙が流れる。
フィーナの言うように、そういった最悪な事態になる可能性は、大いにある。
俺は、紙に視線を落としたまま、言葉を選んだ。
「二つ、作戦がある」
「ふむ」
「一つは、『別の奴』を狙う。真名を把握できる特別な存在。こいつを捕まえるか、無力化できれば、連中の奪名機能は止まる」
「でもその人物、拠点に篭ってるって話だったよ」
「そう。街に出てくるのは特定の命令が出た時だけ。だから、こっちから引きずり出す必要がある」
「どうやって」
「それは、まだ考えてる。もう一つは」
俺が顔を上げた。
「『三人だけじゃ足りない』の方の話だ」
フィーナとイリスが、同じような、表情を浮かべる。
昨日、俺が口にした言葉。三人とも、あれが単なる呟きで終わらないことは分かっていた。
「拠点に三十人、地下に五十人。研究者三人。『別の奴』と監視役。正面から突入するなら、人手が要る。俺たちだけじゃ、助けに入った地下の被害者を外に出すこともできない」
「助けに入った、って」
イリスが聞いた。
「地下の五十人のことだ。あの人たちを、そのままにしておくわけにはいかない」
「……助け出せても、戻らないのに、ですか」
イリスの声が、一段低くなった。
真名を奪われた人間は、戻らない。助け出しても、エリカのような状態のまま。ミリィのような家族が、五十組増えるだけだ。
「戻らなくても、あのまま地下で素材として扱われるよりはいい。家族のところに返すのが、俺たちの仕事だ」
「……そうですね」
イリスが頷いた。
フィーナは、何も言わなかった。ただ、表情が何かを告げている。
保護局時代のことでも思い出しているのだろうか。
「で、人手はどうするの」
「それだ」
俺は紙の隅に、新しい項目を書いた。
「外部の協力」と。
「ラズヴェルには保護局の出張所がある。機能停止してるって話だが、職員は全員奪名されたわけじゃないはずだ。逃げた職員がいる可能性に賭ける」
「いるとして、どうするの」
「動員できるなら、動員する。保護局の名前で動ける人員は、こっちが勝手に集めるよりずっと効率がいい」
「でも、あれだけの奪名を見て逃げた職員が、もう一度拠点に突入する気になるかな」
フィーナの問いは、現実的だった。
一度怯えて逃げた人間が、再度戦いに戻るのは容易ではない。心理的にも、実務的にも。
「それと、もう一つ」
イリスが口を開いた。
「憲兵隊は、どうですか」
憲兵。宿の親父さんから聞いた言葉が思い出された。
「名前を盗られたのは憲兵なんだよ」とラズヴェルの治安を守っていたはずの憲兵が、連中に奪名されて機能停止。だから連中が街を乗っ取れた。
「憲兵は、もう機能してないだろ」
「街の中には、です。でも、ラズヴェルの憲兵は、たぶん、ラズヴェルだけの組織ではないはずです」
イリスが、紙に新しい図を書き始めた。
「大きな街には本部、中小規模の街には、支部が設置されています。ラズヴェルの規模だと憲兵隊は支部です。なので……」
「王都か」
イリスは頷いた。
王都か、俺たちがセーラスを追って訪れた街。真名保護局の本部があり、学術院があり、大陸の中心。
ラズヴェルから王都までは、徒歩で十日ほど。馬車を使えばもう少し早い。
「王都に行って、応援を要請するってことか」
「それも、一つの選択肢です」
「でも、十日かけて王都まで行ってる間に、拠点で研究が進んじゃうよ」
「そこが問題です。時間がない。研究が完成する前に、拠点を止めないといけない」
再び沈黙が流れる。
時間と人手、両方が足りない。王都まで行けば人手は得られるが、時間が足りない。こっちで動けば時間は稼げるが、人手が足りない。
「……いや」
俺が顔を上げた。
「両方、同時にやる手がある」
「同時?」
「こっちで『別の奴』を引きずり出して、捕まえる。その間に、王都に応援要請を出す。応援が来るまで、俺たちは拠点周辺で連中の動きを止める」
「応援の要請は誰がするの」
「……誰か一人、王都に走ってもらうしかない」
言ってから、しまった、と思った。
イリスとフィーナの顔を見た。二人とも、同じことを考えている顔だった。
ここで「誰が行くか」の話になると、またお・節・介・が顔を出す。昨日、俺が学んだばかりのことだ。
「……いや、今の話は保留だ。まずは、こっちで何ができるかを決める。王都への応援要請は、最後の手段として頭に入れておく」
「それでいいと思う」
フィーナが頷いた。
イリスも頷いたが、その頷き方が、少しだけ違った。何かを考えている頷き方だった。




