第37話 尋問
近くの廃屋に、縛った男を運び込んだ。
埃の積もった床、割れた窓から差し込む夕日。使われなくなって久しい倉庫のような場所だった。
制圧した二人のうち、一人を縛って柱に繋ぐ。
もう一人は意識を失ったまま別室に放置した。尋問するのは、先に動いた方の男――後ろからイリスの口を塞ごうとした方だ。
イリスが男の前に座った。
フィーナはイリスの斜め後ろに立ち、俺は入口の見張りと、男への威圧を兼ねて壁際に立った。
この配置。そう、イリスが尋問官だ。イリス自身が志願し、この配置になったが、真名の知識が豊富、頭の回転の速さがあるから、否定する余地はない……ただ、イリスが人を強く詰めることができるのか、そこが唯一の心配だ。
男が目を覚まし、縛られていることに気づいて、体を揺すった。縄が軋んだが、解けることはなかった。
「話しなさい」
イリスが、静かに切り出した。
声は平坦だった。
「あなたたちの拠点は把握している。協力しないのであれば、こちらは単独で動く。ただし、協力するかどうかで、あなたの扱いは変わる」
拠点の詳細はまだ掴んでいない。
だが男はイリスの落ち着いた口調と、斜め後ろのフィーナの存在、そして、自身が置かれている場所と状態。この要素があれば、嫌でも、信じてしまう。
男の顔から、血の気が引いた。
「……何を、聞きたい」
「拠点について。人数、構造、目的」
「……人数は、見張り以外も含めると、三十人以上いる」
思ったより、多い。
「研究者が、三人。一人はセーラス様の下にいた人だ」
セーラス、と男は呼んだ。「様」をつけた。
イリスが目を細めた。
「その研究者は、何をしている」
「奪名した人間から真名の核を抜いて、別の人間に移す研究だ。詳しいことは知らない。俺たちは命令を聞いて獲物を運ぶだけだからな」
「奪名された人間は、どこに」
「地下だ。北区の拠点の地下。数十人、たぶん、五十人は超えてる」
イリスの手が、ほんの少しだけ震えた。フィーナは表情を変えなかったが、視線が一瞬、床に落ちた。
「地下の被害者は、どうなっている」
「生きている。研究の素材だからな。ただ、真名を抜かれてるから……まあ、ほとんど、あれだが」
男が言いかけて、口を閉じた。ミリィの娘の姿が、俺の頭をよぎった。
五十人、あの状態で。
「一つ、確認したい」
俺が口を挟んだ。
「あんたたちは、奪名をどこでしている」
男が俺を見た。
「……俺たちは運ぶだけだ。拘束して、拠点に運ぶ。奪名は、拠点に着いてから」
「じゃあ、お前たちに真名は分からないってことか」
「分かるわけがない。俺たちは街で女や老人を見つけて、力づくで黙らせて運ぶだけだ。真名なんて、末端には教えられない」
……やはり、そういう作りか。
連中の末端は、真名干渉も奪名もできない。できるのは物理的な拘束と運搬だけ。奪名は、拠点の研究者の仕事。
だが、それだと説明がつかない事例がある。
「街で奪名された者もいるはずだ。あれは、誰がやった」
男が、一瞬黙った。縛られた手を、わずかに握り直した。
「……それは、別の奴が来る時だ」
「別の奴?」
「俺たちの組じゃない。上の命令で、あいつが一緒に来る時だけ、街で奪名ができる。俺たちは見張りに立つだけで、実際に何をしてるかは分からない。ただ、あいつが標的の前に立つと、しばらくして奪名が完了する」
「そいつは、一人なのか」
「俺の知る限りは、一人だ。拠点に一人、街に出てくる奪名役。特別扱いされてて、俺たちは話したこともない」
「そいつが、今日の見張りか」
男が首を振った。
「……いや。今日は、あいつは来てなかった。俺たちは、拠点に運ぶ予定だった。奪名は、拠点に着いてからの予定だった」
「……じゃあ、一つ、答えろ」
俺は男に詰め寄る。
「今日、乾物屋の軒下に、お前たちを見ていた男がいた。あれは誰だ」
男が、顔を上げた。
眉をひそめている。本当に心当たりがない顔だった。
「……男? 住民じゃねえのか?」
「しらばっくれるな。お前たちの動きが、そいつが見始めた直後に速くなった」
「知らない。そもそも、誰かに見られてる気配はなかった。動きが速くなったのは、仲間が獲物を掴んだから、早く運ぼうとしただけだ」
「嘘をつくな」
「嘘じゃない。本当に知らないんだ。見張り役なんて、俺たちの組には付かない。俺たちは、二人で動くように命令されてる」
男の目は、嘘をついている目じゃなかった。
だとしたら、これは別の話になる。
男が知らないということは――その人影は、男たちの組とは別の系統で動いている。襲撃役には知らされていない、さらに上位の役割を持つ誰か。
「……もう一つ。その『別の奴』、奪名役は、拠点のどこにいる」
「地下だよ。地下で研究者と一緒にいる。たまに、二階の部屋に上がってくることもあるらしいが、俺たちは会ったこともない」
「顔も知らないのか」
「知らない。俺たちの階層じゃ、見ることすらできない」
俺は男から少し離れた。
整理が必要だ。
末端の襲撃役は、真名干渉も奪名もできない。「別の奴」の顔も知らない。
だが、今日、乾物屋の軒下にいた人影は、確かに俺たちを見ていた。そして見始めた直後、男たちの動きが変わった。
つまり、今日の人影は――襲撃役の知らない誰かだった。上位の監視役か、あるいは、別の組織の誰か。
……敵の構造は、俺が思ってたより深い。
俺はイリスとフィーナを見た。二人とも、同じ結論に達している顔だった。
「……もう、いいか? 俺は、ただ命令を遂行してるだけだ。上のやつらが何を考えてるかは、俺たちには分からない」
男は最後にそう言って、顔を伏せた。
イリスが立ち上がった。
「十分です」
俺とフィーナを見て、小さく頷いた。
男は縛ったまま廃屋に残す。保護局のある別の街に送る手配は、明日以降考える。今日のところは、この廃屋が一番安全だ。
廃屋を出る時、縛られた男がぽつりと呟いた。
「……お前ら、北区に入るつもりか」
「さあな」
俺は振り返らずに答えた。
「入るなら、覚悟しとけ。上のやつらは、俺たちの比じゃない」
扉を閉めた。
夕日が、路地の向こうで沈みかけていた。
♢ ♦︎ ♢
宿に戻る道で、誰も口を開かなかった。
石畳を踏む足音が、三人分、ずれながら響いていた。
途中、俺は頭の中を整理していた。
制圧できた。イリスは無事だ。情報も取れた。
だが、違和感がある。
あの男。俺が屋根の上に立った瞬間、気づいていた。俺が動き出すより先に、動き出していた。
……普段の俺なら、あの男の視線にもう少し早く気づけたんじゃないか。屋根に上がる前に、周囲の人影を一通り確認する。やったはずだ。
だが、拾えなかった。
拾えなかった理由を、俺は、自分で分かっている。
分かっているが、言い訳にはしない。
……明日は、もう少し頭を働かせよう。
宿に戻って、三人で俺の部屋に集まった。扉を閉めて、床に座る。壁が薄いから声は低く抑える。
「三十人、厳しいね」
フィーナが、低く呟いた。
いつもの気だるさはあったが、声の芯が重かった。
「地下に、五十人以上」
イリスが、紙に書き込みながら呟いた。手が、まだ少し震えていた。
「真名核を移植……それは、セーラスが目指していたことと、方向が違います。セーラスは、真名を持たない人間を作りたかった。欠損の研究です」
「残党は、真名を別の人間に移したい」
「移植……です。別の研究です」
「元締めがいなくなって、勝手に走ってるのか、それとも元からこの路線だったのか」
俺は考えながら、言葉を足した。
「どっちにしろ、研究は変質してる。そして、変質した方が、たぶん、もっと悪い」
フィーナが頷いた。
「うん。真名を抜かれるだけでもあれなのに、他人に移すなんて、被害者が二倍に増えるってことだし」
「もう一つ、引っかかるんだが」
俺が言葉を切った。
「街で奪名された被害者の話だ。ミリィの娘さん、エリカ。あの子は、市場で連れ去られて、戻ってきた時には奪名されていた。つまり、街で奪名された」
「あの男が言ってた『別の奴』が、その時に同行していたってことですね」
イリスが頷いた。
「だろう。連中の末端は真名干渉も奪名もできない。真名の把握が必要だからだ。真名を把握できる『別の奴』が同行した時だけ、街での奪名が成立する」
「じゃあ、今日、乾物屋の軒下にいた見張りは……」
フィーナの言葉を、俺は継いだ。
「『別の奴』とは違う、三人目の役割だ。襲撃役でも、奪名役でもない。たぶん、監視役」
「監視役が見てるのは、誰を」
「俺たちか、あるいは、失敗した襲撃を拠点に報告するための役だ」
「いずれにしても」
イリスが静かに言った。
「連中の中には、真名を把握できる特別な者がいる。その人物の存在が、街での奪名を可能にしている。拠点に入るなら、その人物が最大の脅威です」
日が完全に沈んで、ラズヴェルが夜に入ろうとしていた。北区の方向は、今日も暗い。だが、今日の暗さは昨日までと違った。中で何が行われているかを、俺たちは少しだけ知った。
知ってしまったことの重さが響く。
……三人だけじゃ、足りないかもしれない。
声に出して、言ってしまった。
言ってから、自分で少し驚いた。これまで、「足りない」と口にすることは、ほとんどなかった。一人でも回してきた。二人になり、三人になって、足りるはずだった。
だが、今日、足りないと感じた。




