表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真名殺しの無銘 〜名前を奪う世界で、俺だけが奪われない〜  作者: 佐木凛人
第2章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/41

第36話 準備不足

 身体が熱い。

 鏡は見ていないが、自分の目元が疲れているのは分かる。北区の暗がりを窓から見て、色々な想定をしているうちに気がついたら、日が昇っていた。

 つまり、眠っていない。


「ん、ちょっと、君」


 フィーナがスープの匙を止めて、こちらを見た。


「目、腫れてるよ」


「そうか?」


「寝てない?」


「ああ、まあ」


 軽く返した。

 フィーナは、それ以上は聞かなかった。代わりに、自分のパンを半分ちぎって、俺の皿に置いた。


「せめて、いっぱい食べときなよ」


「……悪い」


 イリスも、俺の顔を見て何か言いかけて、飲み込んだのが見えた。

 ……仲間に気を遣わせてるようじゃ、まずいな。


 作戦が始まれば集中する。そのはずだ。


 ♢ ♦︎ ♢


 昼過ぎ、俺は一人で現場を回った。

 市場の外縁、連中が潜みそうな路地、俺が身を隠せる屋根の位置、フィーナが待機する物陰、イリスが歩く予定のルート。

 昨日、頭の中で描いた地図を、実際の距離感で一つずつ確認していく。

 候補地点は三つ。市場の北東の角、東の仕立て屋跡、北西の酒屋の閉店跡。どれも夕方には人通りが極端に減る。俺の本命は北東の角だが、残りの二つも屋根伝いに数十秒で届く位置に配置を組んだ。

 ……我ながら、準備はしたつもりだ。


 宿に戻ると、イリスが部屋で服を選んでいた。目立たない色の、だが若い女と一目で分かる装い。

 イリスはちゃんと服選びの勘を持っていた。没落とはいえ、貴族の娘だ。こういう感覚は残っているのだろう。


「大丈夫か」


「……はい」


 短く返ってきた。

 手が、少しだけ震えていた。


「嫌になったら、いつでも言え」


「……大丈夫です」


 嘘だと分かる。だが、踏み込まなかった。

 昨日、イリスは俺に覚悟をぶつけた。その覚悟を俺のお節介で塗り潰すわけにはいかない。

 震える手で、それでもやると決めているイリスを、信じるのが仲間の役目だ。


 ♢ ♦︎ ♢


 夕方。

 市場の店仕舞いが始まる時刻。俺は北東の角の、閉店した金物屋の屋根に潜んでいた。

 瓦が傾いて、体重をかけると軋むが、動く時は、軋まない位置を選んで足を置く。屋根伝いに走る時の経路は、昼のうちに確認済みだ。

 視界には、市場の外縁が広く入る。

 イリスが歩き始めた。

 一人で、目立たない歩幅で、でも「獲物」として認識される程度の緩さを保って。あれは練習して出せるものじゃない。緊張と演技が混ざって、ちょうどいいバランスになっている。

 フィーナは視界の端、閉店した八百屋の裏口近くの物陰にいる。俺の位置からはかろうじて確認できるが、路地を歩く連中からは完全に死角だ。


 一周目。

 イリスが市場の外縁を一周する間、何も起きなかった。人通りが、少しずつ減っていく。

 

 二周目。

 北東の角に近づく頃には、市場の東側はほとんど無人になっていた。閉まった店の鎧戸が風で軋む音だけが響く。


 ――来た。


 二周目がまもなく終わる、イリスが東の仕立て屋跡に差しかかった時、別の路地から男が二人現れた。

 一人がイリスの前に、もう一人が後ろに回り込もうとする。

 予想の範囲内だ。北東の角ではなかったが、三つの候補地点の一つ。俺の位置からは、屋根伝いに十数秒で届く。

 瓦に手をかけ、走り出そうとした時――


 視界の隅で、何かが動いた。

 市場の端、閉店した乾物屋の軒下。

 人影だった。

 一人、立っていた。


 気づいた瞬間、その人影と目が合った。相手は腕を下ろしたまま、じっとこちらを見ている。


 ……俺は、今、動くべきだった。屋根の上で立ち止まっている場合じゃない。


 屋根の瓦を蹴って、次の屋根に跳ぶ。いつもより、一歩が重かった。


 視界の先で、前の男がイリスの腕を掴んでいる。イリスが声を出したが、形になる前に飲み込んだ。

 後ろに回った男が、イリスの口を塞ごうとしている。

 真名干渉ではない。声を出させず、そのまま運ぶつもりだ。物理的な制圧。連中のやり方。

 だが、イリスが硬直してしまっている。恐怖で動けない。

 フィーナが物陰から駆け出したのが、視界の端に見えた。


 ――このままじゃ、間に合わない。


 屋根の端から飛び降りる。路地の石畳に着地した瞬間、反動で左膝に痛みが走る。

 イリスの口に、男の手が届きかけている。

 フィーナが、後ろの男の背に追いついた。


 ――解放したのか。


 駆けつけた瞬間、男を見据えたフィーナの足運びが、いつもの気だるさと全く違った。纏う空気が、わずかに重くなっている。

 男の体格はフィーナより大きい。だが、フィーナは男の肩を後ろに強く引き、そのまま投げた。


「――イリスちゃん!」


 叫び、フィーナがイリスを自分の背後に庇った。

 前にいた男がイリスの腕を離し、仲間が投げられたことに一瞬動揺する。

 その男は、自分の背後から俺が来ていることにも気づいており、俺に警戒の比重を置いているようだ。

 

 走りながら、懐から煙玉を一つ抜いた。

 男の足元に投げ込む。

 白い煙が弾けて、男の視界を奪う。

 煙の中に踏み込み、短剣の柄で男の側頭部を打った。

 男が崩れ落ちる。


 二人、制圧。

 ……いや。


 顔を上げた。

 さっきの乾物屋の軒下。

 人影は、もういなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ