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真名殺しの無銘 〜名前を奪う世界で、俺だけが奪われない〜  作者: 佐木凛人
第2章

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第35話 芽吹く

 洗濯屋を出て、三人で歩いた。

 誰も口を開かなかった。

 俺が先頭で、フィーナとイリスは後ろを少し離れて歩いている。足音だけが石畳に響いていた。

 裏通りから大通りに出るまでの距離は短い。五分もかからない。だが、その五分が、随分と長く感じた。

 二人には何を話したか、どこまで聞こえていたのか分からない。

 大通りが見えてきた。

 あと数歩で路地を抜ける。

 その手前で、俺は足音が一つ減ったことに気づいた。


「ノウムさん」


 イリスが、足を止めていた。

 振り返ると、イリスが路地の真ん中に立っていた。フィーナはその少し先で立ち止まり、俺を見ている。


「……大丈夫ですか」


 イリスの声は静かだった。

 責める響きはない。心配の響きもそこまで強くない。ただ、確かめている声だった。


「大丈夫だ」


 俺は軽く返した。


「気にするな。情報は取れた。それで十分だろ」


「嘘だね」


 フィーナが言った。

 気だるそうな声のまま、だが妙に芯のある響きだった。


「……」


「洗濯屋から出てから、ずっとキツそうだよ、君」


「……聞いてたのか、中の話」


「聞こえたわけじゃないよ。顔見ればわかる」


 フィーナは肩をすくめた。


「洗濯屋から君が出てきて扉が閉まる前に、あのお母さんの娘ちゃんに対する距離、目線。あれで大体わかったから」


 流石だな、扉が閉まるまでの数秒で見た情報で、わかってしまうんだな。


「俺が踏み込んだせいで……あの母親の三週間が塗り替わった」


 ようやく、それだけ言葉にできた。

 自分で言って、少し息が詰まった。


「俺があの洗濯屋に行こうと決めなければ、あの人は娘を抱きしめ続けてた。苦しめてる自覚もないまま。知らないのは、たぶん……幸せだったはずだ」


「……」


「踏み込む前に、もう少し、考えるべきだった」


 路地の石畳を見た。

 自分の靴の先が、随分と汚れていた。


「……それは」


 イリスが、静かに口を開いた。


「ノウムさんが悪いのでは、ありません」


 俺はイリスを見た。

 イリスの目は、真っ直ぐ俺に向いていた。


「真名の気配が奪名被害者に負担をかけるというのは、知っている者にとっては当たり前のことです。でも、知らない人にとっては、当たり前ではありません」


「……」


「知らなかったことは、誰の責任でもありません。悪いのは真名を奪った人たちです。それに……ノウムさんに辛い役割を任せてしまった私も悪いです……」


 イリスの声は、平坦だった。

 平坦だから、嘘がなかった。


「それは、私もそうだよ。この間の偵察の時も、今日も、いつも君に辛い立場を任せてごめん」


 一拍置いて、フィーナが続ける。


「でも、あのお母さんが知ってくれたから、これからは、娘さんに負担かけないで過ごせるよ。三週間を塗り替えたのは、確かにそうだけど。それでも、残りの人生が楽になる方にも、塗り替えたんだよ」


「……」


「君、言わない方が幸せだったはずって言ったけどさ、奪名された子の苦痛って、結構なものなんだよ。私、そういうの見てきたから……君は、幸せを壊したんじゃないよ」


 俺は何も返せなかった。

 二人の言葉を信じていないわけではないが、それでも間違ったことをした感覚が抜けない。

 フィーナは、気だるい足取りで、俺の横を通り過ぎて、一歩前に立った。

 振り返らなかった。前を向いたまま、気だるげに言った。


「とりあえず、移動しよっか、ここで立ってても、何も始まんないし」


 フィーナの背中が、俺の前にあった。

 立ち位置を変えるのは、この人の言葉なんだと、最近ようやく分かってきた。


 ♢ ♦︎ ♢


 宿に戻る途中、偵察をした際には気づかなかったが中央広場を通る道の端にベンチがあった。

 相変わらず人の気配は少なく、数少ない出歩いている人も暗い顔で俯きながら、目立たないように歩いている。

 フィーナが「ここで少し話そっか」と足を止めた。

 三人でベンチに座る。俺が真ん中、フィーナが右、イリスが左。


 口を開く前に、一度だけ息を吐いた。

 作戦の話をするつもりで座ったはずだった。だが、喉元で、違う言葉が詰まっていた。


「……イリスが囮の話、やっぱりなしだ」


 イリスが顔を上げた。

 隣でフィーナは、目だけをこちらに向けた。


「戦えないイリスを囮にして、危険に晒す……それは、違う気がする」


「ノウムさん」


 イリスの声は静かだった。


「そんなに私は、頼りないですか」


「……」


「……いえ、確かに頼りないと思います……でも、私にも、できることはあるはずです。戦えないからといって、毎回安全な場所に置かれるのは……それは、嫌です」


 イリスが、俺の目を真っ直ぐ見た。


「……」


「止めるのであれば、私の決意を止めてください。ノウムさんの甘さを理由に、私の決意を押し潰さないでください」


 俺は、言葉を返せなかった。

 イリスは、依頼主で戦闘ができない。だから、危険な場面や可能性は除去してしまっていた。

 でもそれが、それが……イリスを傷つけてしまっていた。

 それはそうか。依頼主とはいえど、ここまで旅してきたんだ、それはもう旅・の・仲・間・だ。それなのに俺は、勝手に特別扱いをしてしまっていた。頼まれたわけでもないのに。


「……分かった」


 俺は頷き――


「囮の件、詰めよう」


 ――そう切り出した。

 フィーナが握り拳から親指だけを出し、微笑みながら俺を見ている。どこかでも見たな。


「……はい」


 イリスが小さく頷いた。その顔には、笑みがあった。


「実行は明日の夕方。市場の店仕舞いの時刻から、日が完全に沈むまで。連中が動く時間帯だ」


 イリスが頷きながら、何かを考え込んでいるのが分かった。


「俺がイリスの先に、待ち伏せる」


 フィーナが少し目を細めた。


「待ち伏せ?」


「連中は連れがいる相手には手を出さない。だから俺がイリスの近くを歩くと、連中は襲ってこない。囮にならない」


「……あ、そっか」


 フィーナが頷いた。自分でも気づいていたのか、遅れて納得したのか、表情からは読み取れない。


「連中の接近ルートは、大体絞れる。市場の外縁で人通りが減る区画、北区寄りの路地の出口、このあたりだ。そのどこかで俺が先に待機して、連中が動いた瞬間に、背後から落とす」


「襲撃を予測して、先回りするってこと?」


「ああ」


 俺は、膝に置いた紙に路地の交差点を描き込んだ。市場の外縁を囲む通り、連中が潜みそうな角、俺が身を隠せる閉店した店の陰。候補はいくつかあるが、一番可能性が高いのは市場の北東の角だ。北区寄りで、かつ人通りが夕方には絶える場所。


「フィーナは」


「んー、私はどこから入る?」


「市場の外から、イリスの歩行ルートに沿って動ける位置で待機してくれ。閉店した店の裏とか、路地の奥とか」


「見られない位置にってことね」


「ああ。連中は、視覚的に不審な人影が近くにいたら警戒するはずだ。イリスの単独歩行を成立させるには、フィーナも俺も、連中の視界から外れていないといけない」


「ふぅん、了解」


 フィーナが頷いた。


「解除要員としての位置だ。俺が間に合わなかった時、連中の干渉を断ち切る。届かせない最後の壁になる」


「届かせないよ。三回なら、今の私、十分使える」


「使わせないつもりだ。俺で終わらせる」


 俺はイリスに向き直った。


「連中がイリスに指一本触れる前に、俺が落とす。もしも届いてしまった時は、フィーナが解除で無効化する。二段構えだ」


「運ばれる前提の配置は、立てない」


 俺は自分に言い聞かせるように、そう付け足した。

 イリスは、絶対に守り切る。


「……分かりました」


 俺はイリスを見た。


「嫌なことは、今のうちに全部言っておけ」


「……嫌なこと、ですか」


「今の話を聞いて、やっぱり囮が無理だと思ったら、その時は別の手を考える、だから、構わずに言ってくれ」


 イリスは少し考えた後、首を振った。


「……嫌、ではありません。怖さはあります。でも、やると決めたので、やります」


「分かった」


 これ以上聞かなかった。聞く必要がない答えだった。


 ♢ ♦︎ ♢


 宿に戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。

 食堂の奥で、親父さんが煮物の鍋をかき混ぜていた。俺たちが入っていくと、顔を上げて、少しだけ眉を上げた。


「戻ったかい」


「……色々、ありがとうございました」


 俺が礼を言うと、親父さんは手を止めた。

 何を礼に言われているか、理解するまでに数秒かかったようだった。やがて、軽く首を振った。


「何も礼を言われるようなことはしてねぇよ。あの家の話は、俺の口からは言わなかっただろ」


「言わなかったおかげで、こっちが自分で判断して行けました。それが助かったんです」


 親父さんは少し黙って、それから鍋に視線を戻した。


「……あとは、あんたらの仕事だ」


 それだけ言って、煮物を続ける。

 それ以上は、何も聞かなかった。


 俺たちは部屋に上がった。

 イリスとフィーナが自分の部屋に戻るのを見送って、俺は自分の部屋の扉を閉めた。

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