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真名殺しの無銘 〜名前を奪う世界で、俺だけが奪われない〜  作者: 佐木凛人
第2章

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第31話 偵察の仕事

 朝食は一階の食堂に降りると海鮮の濃厚な匂いが香る。

 宿の主人お手製の魚介のスープと、硬いパン。港町だけあって魚は新鮮で、スープには貝の出汁が効いていた。


「んー、おいしい」


 フィーナがうっとりした表情で言った。


「気に入ってくれたなら良かったよ。こんな時でも、飯だけは手を抜きたくねえからな」


 宿の主人が苦笑した。客がほとんど来ない宿でも、三人分を丁寧に作ってくれた。

 食後、俺は主人に声をかけた。


「親父さん、ちょっと頼みがありまして」


「なんだい」


「目立たない格好の服、貸してもらえないですか。今日、街を歩き回るんだが、この格好だと浮いてしまうので」


 俺の装備は革鞄に短剣、旅装の上着。何でも屋として機能的ではあるが、ラズヴェルの住民からすれば完全に余所者の格好だ。怯えている状態の住民から警戒されたら情報は得られない。


「服か……服……ああ! それなら息子が昔着てた服があるよ。あんたの体格に合うだろうから使ってくれ」


「助かります。銀貨何枚ですか?」


「いらねえよ。息子はもう街を出てって、戻ってこねえからな。置いてあるだけの服が役に立つなら、その方が嬉しい」


 宿の主人の目が何かを思い出すかのように、少しだけ遠くを見た。

 息子は街を出ている……一人で宿を切り盛りしているのはそういう理由か。港が閉まって客が来なくなっても、親父さんはここを離れない。離れられないんだろう。

 

 借りた服は、襟の擦り切れた綿のシャツと、色あせた濃灰のズボン。

 部屋で着替えた。少し大きいが、逆に目立たなくて都合がいい。


 食堂に戻ると、フィーナがこっちを見て口の端を上げた。


「変装、似合わないね」


「借り物だ。仕方ないだろ」


「似合ってないけど、似合わないからこそラズヴェルの地味な兄ちゃんに見えるよ。完璧じゃん」


「褒めてんのか貶してんのか分からない」


「半々くらいかな」


 イリスは黙って俺の格好を見ていた。しばらく見てから、小さく「……お気をつけて」と言った。


「ああ」


 持ち物は、革鞄とその中身である、煙玉を三つと投擲ナイフを二本だけ。戦闘はしない、だがもしもの時のための逃げる準備だ。

 扉に手をかけた時、後ろから声がかかった。


「剣は持っていかないの」


「剣を持っていたら、不審がられる」


「そっか……気をつけてね」


「ああ」


 それだけ返して、宿を出た。


 ♢ ♦︎ ♢


 ラズヴェルの中央通りへ向かう。

 ここは、本来、多くの人が行き交う場所であるが、今は人の気配が薄い。店はほとんど閉まっていて、開いていたとしても品薄だ。港が閉鎖されて、物が入ってこないから、仕入れが出来ないのだろう。

 

 通りを進むと、中央広場が見えた。出店も人もない広場の中心を横切るのは目立つため、建物の陰に沿って歩いた。

 広場を通過すると、一際目立つ大きな建物と北区の案内板が現れ、空気が明らかに変わった。

 あの大きな建物が富豪の空き家。つまり、残党の拠点だろう。

 

 拠点まで近づくと人影を発見した。

 建物の角、路地の入口、屋根の上。見張りだ。全員、普通の格好だが、目つきと立ち方で分かる。一・般・人・で・は・な・い・。

 視界に入る範囲で七人。更に死角にいる可能性もある。

 建物の陰に身を寄せて、観察を続けた。

 

 観察を続けて分かったことは、残党の拠点のみならず、周囲の建物も押さえられているということ。

 見張りの交代が定期的にあり、入れ替わる時に一瞬だけ人数が増える。そこが隙だ。

 出入り口は表の門と、裏の勝手口が一つ。ただし、裏手は袋小路になっていて、選択肢が限られる。

 頭の中に地図を書きながら、場所を移動する。見つからないように路地を選んで動いた。


 更に、一時間ほど観察した頃、裏の勝手口から少し離れた路地で、二人組が何かを運んでいた。

 布で包んだ、人間の形をしたもの。

 二人がかりで担いで、勝手口に向かっている。抵抗の気配はなく、完全に力が抜けている。

 奪名されたんだ。

 宿の主人も言っていた。真名を奪われた人間を北区に運んでいると。実際に見ると、話で聞くのとは違う重さがあった。

 堪えろ……今は偵察だ。俺が動けば全てが台無しになる。情報を持ち帰って、イリスたちと作戦を立ててから動くのが正しい。

 正しいのは、わかる……だが……

 歯を食いしばった。

 勝手口の扉が開いて、二人組が中に入っていく。扉が閉まる。

 ……全部を助けられない。目の前で起きていることに手を出さない判断が正解な時もある。

 それが正しい判断でも、気分は最悪だった。


 必要な情報は得た……いや、本来だったらもう少し、観察していた方がいいはずだが、このままここに居たら、自分でも何をしてしまうかわからない。

 逃げるように北区の観察を切り上げて、宿に戻る道を選んだ。

 路地をいくつか抜ける。中央通りまで戻れば、あとは宿まで一直線だ。

 その途中だった。

 目の前の路地を、一人の男が横切った。

 戻らなけばいけないのに、足は勝手に止まってしまった。

 年齢は三十前後。痩せた体つき。少し猫背で、左肩がわずかに下がった歩き方。

 知っている歩き方だった。

 二年前、毎日見ていた。

 ハ・デ・ィ・だ。


 こちらに気づいていない。路地の向こう側を歩いて、別の通りに消えていく。

 呼ぶか……呼ばないか……

 一瞬の思考で、ハディはもう見えなくなっていた。

 追わなかった。追えば、こっちの存在を知られる。今の俺の状況で、あいつに会うのは違う気がした。

 でも、生きていた。

 ラズヴェルにまだいた。二年前、俺の金を持って消えた男が、この街で歩いていた。

 何をしているのかは分からない。残党の側にいるのか、別の事情があるのか。

 考えても、今は答えが出ない。

 再び宿に向かって歩き出した。さっきより少し足が重かった。


 ♢ ♦︎ ♢


 宿に戻ると、フィーナとイリスが食堂のテーブルで待っていた。


「おか……えり。何かあった?」

 

 フィーナが立ち上がりかけて、俺の顔を見て、また座った。


「個人的な問題がちょっとな」


「ふぅん、そっか」


 フィーナはそれだけ言った。

 イリスが、二階から降りてきた。


「戻っていたんですね。ご無事何よりです。どうでした、北区は」


「ああ、話す」


 俺の部屋に集まった。床に座って、偵察の結果を伝える。

 見張りの数、配置、交代の周期。表門と勝手口の位置。裏手が袋小路になっていること。見張り交代時の隙。

 そして、奪名された人間が運び込まれていることも。


「実際に見たんですか」


「ああ。二人組が運んでた」


 イリスは黙り、怒りを顔に浮かべる。


「……辛かったね」


 フィーナが小さく言った。

 そして、俺の頭に触れ、撫でる。


「ごめんね」


「なんで、あんたが謝るんだよ」


 きっと……フィーナは、俺がどんな気持ちで見ていたか、わかるんだろう。フィーナはそういう人間だから。

 だが、頭を撫でられ、照れ隠しでわからないふりをしてしまった。

 フィーナは何も言わず、今だ俺の頭を撫で続けている。

 ふと、イリスを見ると、目を見開いて、驚いているような表情を浮かべている。


「……俺は子供じゃないぞ」


 そう言いながら、フィーナの手から頭をずらす。


「作戦を立てる前に、もう数日情報を集めたい。残党の動き、見張りの習慣、住民の状況。全部把握してから動く」


「りょうかい〜」


「……」


 イリスは俯き、黙っている。


「どうした、イリス」


「……なんでもないです」


 二人は部屋を出た。

 どことなく、先行きが不安になった。

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