第29話 警告
道中四日目。街道の景色が変わり始めていた。
木々の背が低くなり、風に湿った匂いが混じっている。塩の匂い。海が近い。
前に来た時も、この匂いがした。
「風が変わりましたね」
「海が近いんだろうな。ラズヴェルは港町だし」
「潮の香りだねぇ。私は嫌いじゃないよ」
フィーナが前を歩きながら言った。
街道の幅が広くなっている。本来なら荷車が行き交うはずの道だが、俺たち以外に街道を通る人間はいなかった。
と、考えていたが。前方に人影が見えた。
一人。俺たちに向かって歩いている。急ぎ足だ。
ここ数日、北から来る人間を見ていなかったから珍しかった。
近づくと、中年の男だと分かった。商人風の服装だが荷車がない。身なりは悪くないが顔に疲労が滲んでいて、目の下に隈がある。
俺たちの姿を見て、足を緩めた。警戒と安堵が半分ずつ浮かんだ顔をしていた。
「すみません」
「……あんたたちラズウェルに向かってるのか?」
「はい」
男がわずかに眉をひそめた。
「引き返した方がいい。ラズヴェルは今、まともじゃない」
「何があったんですか」
「港が閉鎖されてる。表向きは海上の安全確認だとか言ってるが、実際は街の中で妙な連中が幅を利かせてるんだ」
「妙な連中?」
「黒い外套を着た奴らさ、街の一角を占拠してて、住民は逃げ始めてる。俺もその口だよ」
黒い外套。やはりエルド・カーシュの残党だ。
「ありがとうございます。気をつけてください」
「あんたたちこそ……本当に北に行くなら、覚悟して行った方がいい」
男は心配そうに振り返りながら、南へ去っていった。
三人で歩きながら、情報を整理した。
「エルド・カーシュの残党が街を占拠しているなら、研究資料も残党の手にある可能性がありますね」
イリスが書類入れの位置を直しながら言った。
「セーラスが逮捕されたのにまだ暴れてるんだねぇ、伝わってないのかな?」
「それか、伝わってるのに、暴れてるのかもな」
エルド・カーシュの目的は、真名がない人間を作ること。そのために、奴らは奪名を行なっている。
残党にセーラスの逮捕が伝わってないとしたら、セーラスの命令を遂行して、奪名行為を行なっているだろう。その場合、話は単純だ。前と同じように叩けばいいから。
だが問題は、逮捕が伝わっている場合。奴らは何を目的に活動してるんだ? セーラスに代わるリーダーがいるのか?
ラズヴェルには、保護局の出張所もあるというのになぜ……わからない。だが、とにかく不穏だ。
引き返すか、進むか。
イリスとフィーナの反応を確認するが、二人の表情からは、迷いはない。
答えは俺と同じだろう。
「正面から街に入るのは避けた方がいい。ラズヴェルには裏から入れる道がある」
イリスが言う。
「知っているんですか」
「……昔、少しいたことがある」
それだけ答えた。
フィーナは何も言わなかった。昨夜の会話で事情の一端は知っているのに。
♢ ♦︎ ♢
日が暮れた。周辺に村がなく、野営になった。
街道から少し外れた木立の中に場所を見つけて、火を起こす。
外で火を囲むのは、三人では初めてだった。食堂でもない、宿でもない。頭上には枝越しの星空がある。
夕飯は残りの保存食を分けた。イリスが選んだ干し肉と、俺が道端で見つけた食べられる木の実。質素だが腹は膨れる。
火の前に三人で座って、黙々と食べた。干し肉を齧るイリスの食べ方は、旅を始めた頃より随分慣れていた。最初はぎこちなかったのに、今は自然に齧っている。人間、慣れるものだな。
「裏から入れる道というのは、どういうものですか」
イリスが干し肉を飲み込んでから聞いた。
「港町の裏手に、漁師が使う小道がある。そこからだったら、表門より目立たず街の中に入れる」
「……詳しいですね」
「昔ラズヴェルで少しだけ何でも屋をやってたからな」
少しだけ。
その「少しだけ」の中身は言わなかった。聞かれもしなかった。
「街に入ったら、まず何をする?」
フィーナが火を見ながら聞いた。木の枝で灰を突いている。
「情報を集める。残党がどこにいるか、研究資料がどこにあるか。そして……残党がどんな目的で何をしてるか」
「残党がエルド・カーシュの研究を引き継いでいるなら、真名核の回復に関する資料もまだ残っている可能性が高いです。ただ、残党の状況次第では、資料が散逸しているかもしれません」
「最悪、残党を一つずつ潰しながら資料を集めるしかないか」
「それはさすがに大変じゃない? 三人でどのくらい、いるかもわからない残党を相手にするの」
「全員と戦う必要はない。資料がどこにあるか分かれば、そこだけ押さえればいい」
「そんな簡単にわかるかなぁ。わかったとしても規模が大きかったら……考えるだけでだるいねぇ」
「……なら準備が必要だな」
フィーナが「うぇー」と鳴いた。反対の意ではないはず。肯定とも言いづらいが。
火が小さくなってきたから、枝を足す。
「見張りの順番を変えよう。今日はフィーナが最初で、俺が深夜、イリスが明け方」
「りょうかい」
「分かりました」
肩掛け鞄と書類入れを置きイリスが横になった。今日は寝落ちではなく、自分から眠りについた。疲れているんだろう。
俺も横になる。火の温もりが遠くなっていく。
……枕はおろか、毛布も下敷きとなるなるものない。俺は慣れてるからいいが、イリスやフィーナは大丈夫じゃないはずだ。ラズヴェルで買えるようなら、最低限の寝具は買っときたいな。
そんなことを考えながら目を閉じた。




