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真名殺しの無銘 〜名前を奪う世界で、俺だけが奪われない〜  作者: 佐木凛人
第2章

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第27話 北風の吹く方向へ

 グレンザールからラズウェルに向かって北上する。

 南から歩いてきた時とは違う、湿り気を含んだ冷たい風。北に海がある証拠だ。

 街道は整備されているが、馬車の便はない。なんでも魔物の目撃が多発しているからとのこと。

 そのため五日ほどかけて徒歩で目指すことになった。


「五日かぁ……」


 フィーナが後ろで肩を回しながら呟いた。


「馬車がないのは辛いね」


「贅沢言うな。王都からグレンザールまでも半分は歩いただろ」


「あの時はまだ体力があったんだよ。保護局の後始末で座りっぱなしだったから、足が鈍ってる」


「元保護局のくせに」


「元だからだよ、元だから」


 イリスは俺の少し後ろを歩いていた。

 以前から使っている、小さな肩掛けに書類入れを結着している。支局から持ち出した写しらしい。

 歩きながら時折、書類入れに目を落としている。器用なのか不器用なのか分からない。

 石に躓かないか心配になる。


「書類持つぞ?」


「大丈夫です」


「……そうですか」


 まあ、そう言うと思ってたよ。


「……ラズヴェルについて、何か分かってるか」


「北方最大の港町です。大陸の北岸に面していて、海上交易の拠点になっています。真名保護局の出張所もあるはずです」


「でかい街か」


「グレンザールより大きいかもしれません。ただ、王都とは性格が違います。行政ではなく商業で成り立っている街なので」


「……イリスちゃんって地理に明るいよね。行ったことあるの?」


「いいえ。ただ、文献では何度も目にしました……家にいた頃、書庫によく籠もっていたので」


 家にいた頃。没落前の話ということか。

 イリスが自分からそれを口にするのは珍しかった。普段は聞かれなければ過去の話はしない。


「書庫って、そんなに広かったのか」


「……ええ。真名に関する文献が多かったんです。父が集めていたので」


「親父さんが」


「真名の研究を個人で続けていた人でした。貴族としての仕事の傍ら、書庫に籠もって文献を読み漁るような……私はそれを横で見ていただけですが、自然と知識が入ってきました」


 父親の姿を追いかけるようにして真名の知識を得た。だからイリスの知識は学者のそれとは少し違う。体系的に学んだのではなく、膨大な文献を浴びるように読んで身につけた。

 鋭さと偏りが同居しているのは、そういう理由か。


「今、そのお父さんは」


「……分かりません。散り散りになった時、最後に見たのは母と弟だけでした」


 それ以上は聞かなかった。イリスも続けなかった。

 風が強く、冷たくなってきた。街道の両脇に木立が増えて、北に向かうほど、景色が変わっていく。


 ♢ ♦︎ ♢


 昼を過ぎた頃、街道沿いの森で足を止めた。

 気配がある。

 獣のものとも、人のものとも違う。空気の質が歪んでいるような、不快な圧。


「止まれ」


 二人が足を止めた。

 森の中、街道から十歩ほど奥。木々の隙間に、何かが立っていた。

 鹿のような体。だが角が鹿のそれとは違い、無数の枝分かれが絡み合っている。大きさがバラバラな目のようなものが三つ。体表に苔のようなものが張り付いていて、それが微かに脈動していた。


 魔物だ。馬車の御者が話してたのはこいつのことか?


「あれ、街道の近くにいるのはおかしいですね」


 イリスが小声で言った。


「普通、この種の魔物はもっと森の奥にいます。街道まで出てきているということは、この辺りの真名の歪みが大きくなっている可能性があります」


「歪みが大きくなってる原因は」


「……人為的なものかもしれません」


 エルド・カーシュの残党が関わっているのか?

 魔物の三つの目が同時にこっちを見る。

 考える時間はないな。


「逃げるか、やるか」


「逃げた方がいいんじゃない。街道を走れば追ってこないかも」


 フィーナの判断は正しいが魔物が前脚を踏み鳴らし、こっちに向かって歩き出す。

 逃げる選択肢は消えた。


「フィーナ、右から回れ。俺が正面で引きつける」


「……はいよー」


 フィーナが何か言いたげな顔を一瞬見せたが、指示通り右方向に向かう。


 イリスが街道の端に退避したのを確認して、魔物と向き合いながら前へ出る。

 角を突き出して突進してくる。鹿の見た目だが速度は馬に近い。

 正面から受けたら串刺しか轢き殺されるな。

 ぎりぎりまで引きつけて、横に飛ぶ。角が脇を掠める。

 通り過ぎた直後、魔物すぐさま俺に向く。

 道端に転がっていた拳大の石を蹴り上げ、魔物の頭に当たる。三つの目のうち一つに命中した。

 甲高い、金属を引っ掻いたような鳴き声が魔物から発せられる。

 隙を突き、フィーナが反対側から飛び込む。


「よっ!」

 

 真名解放はしていない。素の身体能力のまま、脇腹に蹴りを叩き込む。魔物の体が横倒しになった。

 即座に魔物に駆け寄り、甲殻のような苔の層を貫通して、刃を奥まで沈める。

 さっきよりも小さな鳴き声、魔物の脚が痙攣して、動かなくなった。


 ……息が上がっていた。虫型と違って、こいつは速かったな。


「怪我は」


「ない。そっちは」


「ないよ。でも蹴った足がちょっと痺れてる。あの苔硬いね」


 フィーナが足首を回しながら顔をしかめた。

 言葉は少なかったが、連携は噛み合っていた。王都で初めて共闘した時よりずっと自然になっている。アイコンタクトだけで動ける。

 イリスが近づいてきて、魔物を観察した。


「やはり、真名の歪みが強いです。自然発生にしては……」


「残党の影響か」


「断定はできませんが、可能性は高いです」


 嫌な予感がする。ラズヴェルに近づくほど、こういう遭遇が増えるかもしれない。

 魔物の死骸を街道の脇に寄せて、先に進んだ。


 その後の道中は魔物に遭遇することはなかった。

 だか一つだけ気になることがある。

 フィーナが俺の前を歩いている。普段であれば、俺の横か少し後ろを歩いている。


「今日は前を歩くのか」


「……そういう気分なったんだよ」


 なるほど。イリスの席の件もだが、一人旅に慣れているとこういう仲間の普段と違う動きにどう対応していいかわからないな。

 まあ、パーティーってそういうものなんだろうな。

 

 日が傾き始める頃、街道沿いの小さな村に辿り着いた。

 看板も何もない、十数軒の家が並んでいるだけの集落。宿は一軒あった。壁が薄そうだが、野宿よりましだ。


「部屋、空いてますか」


「あるよ。今夜は他に客もいないからね」


 宿の主人は気のいい老婆だった。銀貨を払って部屋を取る。

 食堂で出てきたのは麦の粥と焼いた根菜、それに塩漬けの肉。素朴だが温かい。グレンザールの食堂とは全然違うが、歩き疲れた体に沁みる。

 黙々と食べた。三人とも疲れていて、あまり喋らなかった。


 食べ終わった後、宿の主人にさりげなく聞いてみた。


「この辺り、最近何か変わったことはありませんか」


「変わったこと? そうだねえ……北の方から来る旅人が減ったかね。いつもはラズヴェルからの商人がちょくちょく通るんだけど、ここ半月ばかり見てないよ」


「何かあったんですかね」


「さあねえ。でもラズヴェルの港が一時的に閉まったって噂は聞いたよ、それが関係してるのかね。あと、黒い外套を着た連中が何人か通っていったね。この辺じゃ見ない格好だったから覚えてるよ」


 黒い外套か……

 やはりエルド・カーシュの残党が関係しているぽいな。


「ありがとうございます」


「あんたたちも気をつけなよ。北の街道は最近、魔物も多いらしいからね」


 老婆が心配そうに言った。


 部屋に戻って、ベッドに横になった。

 港が閉じた噂。黒い外套の連中。魔物の増加。ラズウェルに近づくにつれて、面倒事の匂いが濃くなっている。

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