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真名殺しの無銘 〜名前を奪う世界で、俺だけが奪われない〜  作者: 佐木凛人
第1章

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第2話 黒髪の女

 面倒事からは全力で逃げる。

 何でも屋としての鉄則その一だ……いや、二だったか? まあ、どっちでもいい。

 広場を離れ、大通りを早足で歩く。

 街の兵士が奪名犯を取り押さえている間に、この街を出る。顔を覚えられたら事情聴取だの証人だのと面倒なことになる。

 正義感なんて、腹の足しにもならない。

 腹……飯は……次の街で何とかしよう。掲示板、結局見れなかったな。

 空腹のまま街を出るのは辛いが、面倒事に巻き込まれるよりはましだ。

 人混みに紛れて街の東門に向かう。門さえ出れば、あとは適当に歩いて次の街を目指すだけだ。いつも通りの撤退。いつも通りの放浪。

 何も変わらない。何も変わらないはずだった。


「待ってください」


 俺のことじゃないよな?

 歩く速度を少し上げる。


「待ってくださいと言っているんですが」


 あー、駄目だこれ。

 声が近い。しかも足音が速い。明確にこちらを追いかけてきている。

 ……聞こえなかったことにするのは無理があるな。

 足を止めて振り返ると――さっきの黒髪の女が、数歩後ろに立っていた。

 走ってきたはずなのに息が乱れていない。整った顔立ちに冷たい目。近くで見ると、服装は質素だが仕立てが良い。生地の選び方に品がある。どこかの良い家の出か、あるいはかつてそうだったか。

 そして目の奥に、広場で感じたのと同じ――ぞっとするような熱。

 ……嫌な予感しかしない。


「何か用ですか」


「さっきの戦い、見ていました」


「ああ、はい。大勢見てたと思いますけど」


「あなた、何者ですか」


 直球すぎる。

 せめて、最初にワンクッション挟むと思っていたが、この女。前置きも世間話もなしにいきなりそれか。


「何でも屋。通りすがりの」


「……それはさっきも聞きました」


 あ、聞いてたのか。敵と俺のやり取りまで聞いてたってことは、結構近くで見ていたらしい。あの状況で近くにいられるのは、肝が据わっているのか、別の理由があるのか。


「何でも屋が答えですよ。嘘は言ってないです。それ以上でもそれ以下でも」


「では質問を変えます」


 女が一歩、距離を詰めてきた。近い。

 逃げたい。逃げた方がいい。何でも屋の勘がそう言っている。

 だが足が動かない。別に威圧されてるわけじゃない。

 ただ、この女の目が、何かを確かめずにはいられないという、切実さを帯びていた。


「あの広場で、あなたは真名解放の威圧を受けていませんでした」


「……威圧?」


「真名を解放した人間の近くにいると、周囲の人間は体が強張ります。立っているのがやっとになる。あの広場にいた人間は全員、その影響を受けていました」


 言われてみれば、確かに野次馬たちの様子はおかしかった。膝を震わせていたり、座り込んでいたり。恐怖で腰が抜けたんだろうと思っていたが――そうじゃなかったのか?


「あなただけが、平然と立っていた。走って相手に近づき、戦闘まで行った。あの距離で威圧を受けない人間は普通いません」


「……たまたまじゃないですか。俺、鈍いんで」


「鈍さの問題ではありません」


 即答された。


「威圧は真名を通じて作用するものです。鈍感だから効かないとか、気合いで耐えたとか、そういう話ではない。真名を持つ人間には、例外なく作用します」


 妙に詳しい。

 というか、詳しすぎる。真名について、ここまではっきり仕組みを語れる人間にはそうそう会わない。酒場の酔っ払いとはわけが違う。


「……あなた、何者ですかって聞きたいのはこっちなんですけど」


「イリスです」


「……聞いてない」


「聞かれたので答えました」


 こいつ、ペース崩れないな。

 歴戦無敗である何でも屋の口八丁が通じる相手じゃない。

 理詰めで来る人間に酢漬け香辛料は効かない。物理的には効くけど、たぶん怒られる……怒られるどころじゃないか。


「……ノウムです。何でも屋の。それで、結局何が言いたいんですか」


「少し、話を聞いてもらえませんか」


「今から街を出るところなんですけど」


「すぐ終わります」


 すぐ終わる。この手の「すぐ終わる」がすぐ終わった試しがない。

 護衛の仕事で「荷物は少ないから」と言った商人の荷馬車には、荷馬車三台分の荷物が積まれていたり、ちょっとした揉め事が大規模な抗争だったりしたことがある。

 だがイリスの目を見ると、断る隙がなかった。この女は「いいえ」を受け付ける構造をしていない。


「……手短にお願いします」


「あなたに、確認したいことがあります」


 イリスがもう一歩、距離を詰めた。

 冷たい目の奥の熱が、さっきよりも強くなっている。近くで見ると、それは興味とか好奇心とか、そんな軽い言葉で収まるものじゃなかった。

 もっと大きなものだ。

 すがるような、と言ってもいいかもしれない。

 ……何でそんな目で俺を見るんだ。


「あなたには――真・名・が・な・い・」


「…………は?」


 意味が分からなかった。

 真名がない? 何を言ってるんだ、この人。

 偽名なら持っている。ノウム。さっき名乗った通りだ。

 いや——偽名じゃなくて真名の話をしているのか? 俺の真名がな・い・?

 そもそも、自分の真名なんて知らない。知らないが、それは別に俺だけの話じゃないだろう。

 知らないのとな・い・のは、違うんじゃないのか。

 何か言い返そうと口を開きかけて、イリスの目を見た。


 冗談を言っている目じゃなかった。

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