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第92話 値踏みに来た使者

 門の外に着いた一団は、監督院の使いとは、まるで格好が違った。


 揃いの外套。荷馬車には、色付きの覆い。供の者は帯剣していたが、抜くための剣というより、格を示すための剣だった。先頭に立った男は、砦の粗末な受付台を、値踏みするように、ゆっくりと見回した。埃も、板の反りも、一つずつ勘定に入れているような目つきだった。


「国の勘定方、実務差配のフェンウィックと申します」


 男は、名乗った。声も物腰も、丁寧だった。丁寧すぎて、かえって、こちらを一段下に置いているのが分かる丁寧さだった。


「灰環迷宮が、近ごろ、たいそう回っていると聞きましてね。有望な地所は、早めに拝見しておくのが、勘定方の務めです」


 ユークは、受付台の内側から、その男を見た。監督院の使者なら、まだ話が早い。あちらは、資格を剥がしに来る。狙いが、はっきりしている。だが、この男の目は、剥がしに来た目ではなかった。欲しがっている目だった。良い地所を見つけた、どこから手を付ければ自分のものになるか――そう算段している、買い手の目だった。


---


 フェンウィックは、砦の中へ通されると、遠慮なく、あちこちを検分しはじめた。


 受付台の記録。壁に貼られた利用規則。水位表。そのどれにも、丁寧に目を通す。だが、通し方が、妙だった。安全がどう守られているかには、ろくに目を留めない。事故がないことにも、水が濁らないことにも、感心する素振りはなかった。


 男の指が止まるのは、いつも、数字の並んだところだった。


「この、配分というのは」


 フェンウィックは、水位表の一項を、指で示した。


「村へ、坑区へ、と、いくつも枝が出ておりますな。これは、迷宮が水を、外へ配っている、ということでよろしいか。……ほう。では、この配る量は、増やせるのですか。減らせるのですか。手元で、自在に」


「必要な分を、必要な先へ配ってるだけです」


 ユークは、短く答えた。


「自在に、って話じゃない。増やせば、どこかが乾く。減らせば、どこかが枯れる。手元で好きにいじる蛇口じゃありません」


「なるほど。しかし、いじれる蛇口なら、それは、たいそうな財ですな」


 フェンウィックは、こちらの答えを、半分も聞いていなかった。乾く、枯れる、という言葉は、素通りしていく。残ったのは、財、という一語だけだった。


 この男にとって、灰環が村の水を守っているかどうかは、どうでもよかった。関心があるのは、その水が、いくらの値を生むか。その一点だけだった。


---


 壁際で、ザグレスが、腕を組んで聞いていた。


 フェンウィックが供を連れて奥の水路を検分しに行くと、ザグレスは、低い声で口を開いた。


「勘定方の、実務差配。……悪くない肩書きだ」


「知ってるのか」


「顔は知らん。だが、あの手の連中の後ろにいるのが、誰かは分かる」


 ザグレスは、外套の男が消えた廊下のほうを、顎で示した。


「ああいうのは、単身では動かん。後ろに、金を出す誰かがいる。国の勘定方が実務差配を寄越したってことは、後ろの主は、たぶん相当な格だ。名の知れた貴族筋か、下手すりゃ、もっと上か。……本人は、まだ出てこん。出てくるほど、まだ本気じゃないってことだ。今は、下見だ。使者に値踏みさせて、旨いと分かれば、そのとき初めて、上が動く」


「使者は、様子見の一手か」


「そういうことだ。だが、なめちゃいけねえぞ」


 ザグレスは、めずらしく、真顔だった。


「監督院みたいに、資格がどうこうと、面倒な理屈は言わん。あいつらは、もっと単純だ。良い地所がある、まだ誰のものでもない、じゃあ登録して、自分のものにする――それだけだ。理屈がねえぶん、止めにくい」


---


 ミレアは、フェンウィックが検分を続けているあいだ、記録帳を開いて、男の言葉を一つずつ書き取っていた。


 差配の男が言った、増やせるか、減らせるか。財、という言い方。書き取りながら、ミレアの手つきは、監査部にいた頃の、あの醒めた速さに戻っていた。


「線を、引いておきます」


 男が奥へ入ったすきに、ミレアは、小声でユークに言った。


「あの人は、評価に来た、と言っています。有望な地所を、拝見しに来ただけ、と。ですが、評価と接収は、地続きです。今日は見るだけ、次は測るだけ、その次は――と、段を踏んで、いつのまにか手が伸びている。境目を、こちらが先に引いておかないと、向こうの段取りのままに、押し込まれます」


「どこに引く」


「見せてよいものと、渡してよいものの間です。記録は、見せます。水位表も、規則も、配った実績も、いくらでもお見せする。それは、これまでどおり。ですが――配分を、いじる手。それは、評価の対象では、ありません。評価しに来た者が、蛇口に手をかけたら、それは評価ではなく、接収です。その一線だけは、今日この場で、記録に残しておきます」


 ミレアは、記録帳の新しい一枚に、日付を書き入れた。国の勘定方、実務差配フェンウィック、来訪。目的、資産評価。――評価の範囲は、記録の閲覧までとする。そう、こちらの言い分を、先に書いておく。あとで向こうが一線を越えたとき、越えたことが、はっきり分かるように。


---


 二正面だ、とユークは思った。


 監督院は、資格を剥がしに来ている。追放されたお前に、灰環を回す資格はない、と。片やこの男は、資格などどうでもよく、ただ、灰環を欲しがっている。まだ誰のものでもないなら、自分たちのものにできる、と。


 狙いは、正反対だった。片方は落とそうとし、片方は囲おうとする。だが、どちらも、同じ一つの迷宮に、手を伸ばしていた。剥がされれば、囲われる。囲われまいとすれば、無資格の私物だと突かれる。二つの手は、示し合わせてはいないだろう。だが、示し合わせていないぶん、両側から別々に押してくる。片方をいなせば、もう片方が空く。


「どちらも、悪人の顔はしてない」


 ユークは、低く言った。


「監督院は、制度を守る顔をしてる。あの差配は、財政を回す顔をしてる。どっちも、自分は正しいことをしてる、と思ってる。……厄介なのは、そこだ。分かりやすい悪党なら、村の連中も、はっきり味方してくれる。だが、あれは、そうじゃない。丁寧で、筋も通ってて、こっちが断れば、無主の地所を私物にしてる強欲な野良管理者、って絵にされる」


 足元で、幻尾狐のフェズが、尾の先を、床に、とん、と打った。パス越しに返ってきたのは、いつもの醒めた気配に、うっすらと苛立ちの混じった感触だった。丁寧な物言いの下の、剥き出しの欲を、この皮肉屋の狐も、とうに嗅ぎ取っているらしかった。


---


 検分を終えたフェンウィックは、上機嫌で戻ってきた。


「いや、思っていた以上でした。野良の迷宮と伺っておりましたが、これはもう、立派な地所です。ぜひ、正式にご登録なさるべきだ。登録さえすれば、監督院の面倒な審査も消えますし、供給は国が後ろ盾になる。あなたにも、地所にも、これほど良い話はありますまい」


 渡りに船の話を、男は、いかにも親切そうに差し出した。


 ユークは、その親切の中身を、頭の中で、裏返してみた。登録すれば、灰環は、誰かの資産になる。資産になれば、配る手は、その持ち主に移る。村の飲み水より、持ち主の都合が先に来る日が、いつか、来る。後ろ盾という言葉の下には、いつでも蛇口を握れる手が、隠れていた。


「……考えておきます」


 ユークは、それだけ言った。断りもしない。乗りもしない。今、その場で答えを出すのは、向こうの段取りに合わせることだった。


「ええ、ええ。よくお考えください。良い地所には、良い管理が要りますからな」


 フェンウィックは、満足そうに頷いた。それから、供を連れて、門のほうへ歩きかけて――ふと、足を止めた。


---


 差配の男は、振り返らなかった。振り返らないまま、独り言のように、こう言った。


「時に。こちらの迷宮のコアは、水を配るほかにも、何か、面白い機能を持っている、とか」


 ユークの背が、わずかに強張った。


「――どこで、そんな話を」


「いえ、噂です。ただの噂ですよ」


 フェンウィックは、こちらを見ないまま、軽く言った。


「配るだけの迷宮なら、たかが知れています。ですが、その先に、まだ何かある――そう聞けば、勘定方としては、放っておけません。財の値は、見えているものだけで、決まるものではありませんのでな」


 男は、それきり、何も言わずに門を出ていった。荷馬車の覆いが、遠ざかっていく。


 ユークは、その背を見送りながら、腹の底が冷えるのを感じた。配分の先。コアが中枢で、配分の隣に灯そうとしている、あの、まだ滲んで読めない一語。それを、あの男は、どこからか、嗅ぎつけていた。まだ読めてすらいないものを、外の欲は、もう嗅ぎ当てている。晒せば、この財の値は、跳ね上がる。跳ね上がれば、囲おうとする手は、いよいよ本気になる。


 資格を剥がしに来る手と、地所を欲しがる手。その二つを捌くだけでも、手一杯だった。そこへ、まだ形にもなっていない、コアの奥の一語が、上の筋の食指を、静かに動かしはじめていた。ユークは、遠ざかる荷馬車の覆いから、目を離せずにいた。次に門を叩くのが、どちらの手なのか――それすら、まだ、読めなかった。

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