第91話 同じ判で押された
次の便りは三日おいて届いた。
ラスティアの荷にまぎれた几帳面な走り書き。だが、字はいつもより小さく詰まっていた。書くのをためらいながら、それでも書かずにいられなかった手つきだ、とユークには読めた。
――先輩の追放の裁定に判を押した決裁筋をたどりました。三人。そのうちの二人が、同じ時期に別の案件にも判を押しています。灰環迷宮を「低価値」として監督の帳簿から落とした、あの決裁です。
ユークはその一行で手を止めた。
もう一度頭から読み直した。読み違いではなかった。自分を追い出した紙と、灰環を切り捨てた紙。別々の場所で、別々の理由で下りた、と思っていた二枚が、同じ手の同じ時期の判で押されていた。
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ミレアはその便りを受け取ると、すぐに卓へ向かった。
監査部にいた頃の控えを記憶の底から引き上げ、日付を一つずつ並べていく。灰環が帳簿から落ちた月。ユークが会議で異を唱えた月。そして、追放の裁定が下りた月。三つの日付が細い糸で一本に繋がっていった。
「近すぎます」
やがてミレアは顔を上げた。
「偶然にしては、近すぎる。灰環を切り捨てる決裁と、それに異を唱えたあなたを外す裁定が半年と離れていない。しかも、判を押した手が重なっている。……別々の事務処理がたまたま近い時期に並んだ。表向きは、そう読めます。読めますが」
「読めるだけだと」
「ええ。並んでいる、とは言えます。だから、同じ企みだ、とはまだ言えません。そこは分けて考えないと」
ユークは糸で繋がれた三つの日付を指の先で順になぞった。切り捨てられた迷宮。黙らされた口。落とされた男。並べてみれば、筋はいやになるほど通っていた。
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「――こういうことか」
ユークは低く言った。声に怒りはなかった。ただ絵の輪郭を確かめるような口ぶりだった。
「灰環を帳簿から落としたい奴がいた。だが、灰環には配分の機能がある。切り捨てちゃいけない、と知ってる人間が一人いた。その人間は会議で食い下がった。落とすのに邪魔だった。……だから、迷宮を落とすついでに、その口も落とした。討伐適性なしって顔をさせて」
言葉にすると、それはずいぶん収まりのいい話だった。収まりがよすぎて、かえって危うかった。
「よくできてる話だ」
ユークは自分で言って自分で首を振った。
「できすぎてる。俺は追放された側だ。都合よく、そういう筋を描きたがる。切り捨てと追放が繋がってたなら、俺は無能だったんじゃない、邪魔だっただけだ――そう思えれば、あの裁定書はずっと軽くなる。だから、飛びつきたくなる。飛びつきたくなるからこそ、まだ決めつけない」
「賢明です」
ミレアは控えの束を静かに閉じた。
「同じ手が同じ時期に二つの判を押した。ここまでは、記録が言っています。ですが、"灰環を落とすためにあなたを外した"のか、"たまたま同じ筋がたまたま近い時期に二つを別々に処理した"のか。その境目は、記録には書かれていません。誰が、何を思って判を押したか。そこは紙の外です」
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エルリオの便りには、末尾にもう一行、硬い字が添えられていた。
――この重なりは、まだ誰にも言えません。決裁筋の名前を追っていること自体、わたしがここにいてはいけない場所に足を踏み入れています。表で「同じ企みだ」と言えば、証しの立たない言いがかりとして潰されます。そして、たどっているのがわたしだ、とすぐに知れます。
ユークはその一行を二度読んだ。後輩が危ない橋のどのあたりに立っているのかが、字の硬さから伝わってきた。
「エルリオを矢面に立たせるわけにはいかない」
ユークは便りを畳んで言った。
「この重なりを表で振りかざした瞬間、誰が調べたかを、向こうは逆にたどる。行き着く先はあいつだ。追放の逆恨みで内通者まで使って、陰謀をでっち上げてる――そう塗られて、話は終わる。重なりは握ってはおく。だが、振り回す札にはしない」
ミレアは日付を並べた控えを、いつもの綴りには挟まなかった。別の、表に出さない一綴りを取り出して、そこへ静かに移した。
「これは公開する記録とは、分けて仕舞います」
問わず語りにミレアは言った。
「灰環の運用記録は、いつ誰に見せてもいい。見せるために書いています。ですが、この重なりは逆です。表に出た瞬間、いちばん危ういのは、こちらとエルリオさんになる。開いていい記録と、閉じておく記録を初めから分けておかないと、どこかで取り違えます」
「見せるものと、握るものか」
「ええ。何を開き、何を閉じるか。それを決めるのも、これからは運用のうちです。……いままでは、全部開けば、正しさが伝わる、と思ってきました。この一件から、そうとも限らない、と学びます」
ユークはその言葉を胸の内でもう一度なぞった。開けば伝わる、というのは灰環がここまで積み上げてきた流儀そのものだった。その流儀に、初めて閉じておくべき一枚が加わった。全部を晒すことがいつも味方する、とは限らない。晒せば、こちらの首を絞める記録もある。
「では、この重なりは何のために握るのですか」
ミレアの問いに、ユークはしばらく黙った。それから、綴じられた運用記録の一冊を卓の上にとんと置いた。
「向きを変えるためだ」
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「同じ企みだった、と証明する。それはやらない」
ユークはその一冊を指で叩いた。
「やるのは、こっちだ。あの裁定が正しかったなら、灰環は"低価値"のままとっくに死んでるはずだった。切り捨てて正解のはずだった。……なのに、灰環は今、村の水を守って、街道を戻してる。現に回ってる。だったら、あれを切り捨てた判断は間違ってたことになる。切り捨てが間違いなら、その同じ手が同じ時期に押した俺の追放も――」
「同じだけ疑わしくなる」
ミレアが後を引き取った。
「重なりを告発には使わない。ですが、灰環が現に回っているという実物が切り捨ての判断を裏から崩せば、その隣に並んだ追放の裁定もひとりでに座りが悪くなる。わたしたちは追放を弁明しない。ただ、灰環をこれまでどおり回し続ける。回っているという事実そのものが、あの二枚の判に静かに問いを突きつける」
「証明じゃなく、問いだ。何度でもそれだ」
ユークはうっすらと笑った。足元で幻尾狐のフェズが尾の先をとんと床に打つ。パス越しに返ってきたのは、めずらしく静かに凪いだ感触だった。この皮肉屋の狐も腹を立てて牙を剝くより、じっと構えて待つほうが利く、と心得ているらしかった。
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方針はまた一段固まった。だが、卓の空気が軽くなる前に、砦の表がにわかに騒がしくなった。
受付から走ってきた者があった。門の外に見慣れない一団が着いたという。監督院の使いではない。荷馬車を連ね、身なりのいい供を従えた、明らかに格の違う筋の使者だった。
「監督院じゃない……?」
ユークは卓から腰を上げた。監督院は資格を剝がしに来る。その一手を捌いているその最中に、まったく別の顔が別の門から近づいてくる。切り捨てと追放の重なりをようやく握ったばかりのところへ、今度は上の筋が――灰環を"落とす"のではなく、"欲しがる"側の手が、値踏みの目をして砦の門を叩こうとしていた。ユークは畳んだばかりの便りをそっと懐へ収めた。戦いの相手が一つ増えようとしていた。




