第83話 配り直すとどこかが乾く
翌朝、ユークは第五沈殿槽の奥の分岐まで下りた。
グランが示した緩みは夜のうちに広がってはいなかった。だが、ルーメの光を流路に這わせると、配分の傾きがはっきりと見えた。ハウル坑区へ向かう北の枝が増えた水量で青く強く脈打つ一方、南へ抜ける別の枝は光が薄く、痩せていた。
ユークは流路の傾きを指でなぞった。
「片方を太らせたら、もう片方が痩せた。ルーメ、痩せてるのはどこまでだ」
ルーメの光が南の枝をたどって細く伸びていった。その先はクルン村の畑へ水を回している生活用の枝だった。坑区へ分け前を戻した分、村の畑へ向かう水がわずかに細っていた。
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ミレアが台帳を抱えて下りてきた。流路の光を見てすぐに状況を読んだ。
「配分槽の調整ミスでしょうか。弁の開きを北へ振りすぎた。なら、戻せば直りますね」
「それで直るなら、楽なんだがな」
ユークはすぐには弁に手をかけなかった。北の弁を絞れば、南は戻る。だが、そうすればハウル坑区へ向かう枝がまた痩せる。坑区の水門はようやく水が通り始めたばかりだ。あちらを絞れば、せっかく戻りかけた分け前がまた止まる。
「調整ミスじゃない。弁の振り方の問題じゃないんだ。元の水の量が決まってる。決まった量を北へ多く回せば、南が減る。南へ戻せば、北が減る。どっちかを立てれば、どっちかが乾く。これは直せる故障じゃない。分け方の根っこの話だ」
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グランが緩みかけた北の枝の縁を太い爪で慎重に締め直した。流路そのものの補修はできる。モルトが痩せた南の枝に溜まりかけた淀みを食って、水の通りを少しだけ良くした。だが、それは時間稼ぎにすぎなかった。
「グランが流路を直して、モルトが通りを良くして、それでも元の水が増えるわけじゃない。配れる総量は変わらない。設備をいくら直しても、足りないものは足りない」
「では、増やせないなら、どう分けるかを決めるしかないということですね」
「そうだ」
ユークはこれまで配分を「止まっていた水をまた流す」仕事だ、と思っていた。流路を直し、枝を増やせば分け前は戻る、と。だが、違った。水には限りがある。限りのあるものを全員に満額は配れない。配分とは増やす仕事ではなく、誰に先に回し、誰に後で我慢してもらうかを決める仕事だった。
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「順番を決める」
ユークは台帳の余白に線を一本引いた。
「全部に満額は無理だ。なら、何を先に守るかをはっきりさせる。いちばん上は、暮らしに直に関わる分。クルン村の飲み水と畑の水。これは削らない。人が生きて、飯を作る分だ。ここを後回しにしたら、配り直す意味がない」
「その次がハウル坑区への分け前ですか」
「いや。坑区は人が戻ってる途中だ。今すぐ全量がなくても、枯れはしない。だから、二番目だ。飲み水と畑が満ちて、余った分から坑区へ回す。坑区が村の喉より先に来ることはない」
ミレアが台帳に書き留めていった。最優先は生活必須分。次が止まっていた地域への分け前の復旧。そして、余った分だけを取引に回せる枠とする。ユークが口にした順番が初めて、誰が見ても分かる形に並んだ。
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順番を貼り出すと、すぐに削られた側から声が上がった。
灰環の採集枠で水を使っていた近在の採集者の一人が受付に来て渋い顔をした。
「俺の汲み枠が半分に減ってる。今まで通り使える、と思って、段取りを組んでたんだ。なんで俺の分が削られて、クルン村が満額なんだ」
「順番を決めたからだ。あんたの汲みは採れた素材を洗うのに使ってる。大事な仕事だ。だが、飲み水と畑より先には置けない。村の年寄りや子どもが飲む水と、素材を洗う水なら、飲む方が先だ。それだけのことだ」
男はすぐには引き下がらなかった。だが、ユークは貼り出した順番表の男の枠の位置と、その理由を指でたどって、見せた。あんたを軽く見たわけじゃない、順番の話だ、と。男はしばらく表を睨んでから、低く言った。
「……飲み水より先に、とは言わねえよ」
納得とまではいかない。だが、なぜ自分が後ろなのかが見える形で示されている。それだけで、ごねる相手の矛先は少しだけ鈍った。理由の見えない我慢は、ただの理不尽になる。だが、理由の見える我慢なら、人は渋々でも呑める。
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クルン村からは逆の声が届いた。
ドーランの定期便に村の世話役からの短い言伝が添えられていた。畑の水が今年は切れずに回っている、と。去年までは、井戸が濁るたびに畑の隅から枯れていったのが、今年は端まで水が届いている、と。
ユークはその言伝を貼り出した順番表の脇に留めた。
「片方で文句が出て、片方で水が回る。全部を満たせたら、いちばんいい。だが、できないなら、どっちを先に枯らさないかは決めなきゃならん。村の畑を先に枯らさない。俺はそっちを選んだ。誰かが渋い顔をするのは、その代わりだ」
「選ばないこともできました。全員に薄く配る。誰の顔も立てる。でも、それだと薄まった水で村の畑も、坑区も、どっちも中途半端に乾きます。あなたは薄く配って、全員を少しずつ乾かすより、順番をつけて守る所を守る方を選んだんですね」
「恨まれる選び方だがな」
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ミレアが台帳を新しい頁に開いた。
「これは書いて貼り出します。口約束だと、後でもめます。誰が先で、誰が後か、理由ごと公開記録に残します。『なぜあなたの枠が後なのか』を説明できる形にしておかないと、削られた側は納得しません」
「頼む。削る側がこっそり決めたんじゃ、ただの依怙贔屓だ。順番と、その理由を全部見える所に置く。文句があるなら、その順番のどこがおかしいか言ってもらう」
ザグレスが壁にもたれたまま低く笑った。
「立派な順番だ。だがな、ユーク。その順番で、いちばん後ろに回されるやつがいちばん金を持ってる客だってこと、分かってるか」
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ザグレスの言う通りだった。生活必須を最優先にすれば、余剰の取引枠はいちばん後ろになる。そして、その取引枠を金で確保しようとしていたのが、ラスティアの商人モルガンだった。
モルガンは余剰の限定契約で一度は折り合っている。だが、配り直しで余剰そのものが細れば、真っ先に削られるのは彼の枠だった。村の飲み水を満たした後の残りの、そのまた残り。それが金を積んだ客に回る順番だった。
ミレアが契約の控えに目を落とした。
「モルガンは黙ってないでしょうね。金は払う、契約もした。なのに、村の畑より後回しにされる。商人の理屈じゃ納得できない話です」
「だろうな。だが、順番は変えない。金を積んだから先に水が来るって仕組みにしたら、いちばん最初に切り捨てられたクルン村と、同じことを今度はこっちがやることになる」
その日の夕方、モルガンはいつもより早くラスティアへ戻っていった。余剰枠の削減を知らされた直後の慌ただしい帰り方だった。
ザグレスがその背を見送って目を細めた。
「あれはここでごねるのを諦めた顔じゃない。ここで言っても、順番は変わらない、と見て、別の所へ持っていく顔だ。金で枠が買えないなら、枠を決めてる仕組みごと上から変えさせればいい――そう考える筋へ、な」
ユークは貼り出されたばかりの配分の順番表をもう一度見た。生活が先、取引が後。その順番自体は間違っていないはずだった。だが、その正しさが金を持つ者の枠を後ろへ追いやった分だけ、迷宮の外で別の手が動き始めようとしていた。




