表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
83/88

第83話 配り直すと、どこかが乾く

 翌朝、ユークは第五沈殿槽の奥の分岐まで下りた。


 グランが示した緩みは、夜のうちに広がってはいなかった。だが、ルーメの光を流路に這わせると、配分の傾きが、はっきりと見えた。ハウル坑区へ向かう北の枝が、増えた水量で青く強く脈打つ一方、南へ抜ける別の枝は、光が薄く、痩せていた。


 ユークは、流路の傾きを、指でなぞった。


「片方を太らせたら、もう片方が痩せた。ルーメ、痩せてるのはどこまでだ」


 ルーメの光が、南の枝をたどって、細く伸びていった。その先は、クルン村の畑へ水を回している、生活用の枝だった。坑区へ分け前を戻した分、村の畑へ向かう水が、わずかに細っていた。


---


 ミレアが、台帳を抱えて下りてきた。流路の光を見て、すぐに状況を読んだ。


「配分槽の、調整ミスでしょうか。弁の開きを、北へ振りすぎた。なら、戻せば直りますね」


「それで直るなら、楽なんだがな」


 ユークは、すぐには弁に手をかけなかった。北の弁を絞れば、南は戻る。だが、そうすればハウル坑区へ向かう枝が、また痩せる。坑区の水門は、ようやく水が通り始めたばかりだ。あちらを絞れば、せっかく戻りかけた分け前が、また止まる。


「調整ミスじゃない。弁の振り方の問題じゃないんだ。元の水の量が、決まってる。決まった量を、北へ多く回せば、南が減る。南へ戻せば、北が減る。どっちかを立てれば、どっちかが乾く。これは、直せる故障じゃない。分け方の、根っこの話だ」


---


 グランが、緩みかけた北の枝の縁を、太い爪で慎重に締め直した。流路そのものの補修はできる。モルトが、痩せた南の枝に溜まりかけた淀みを食って、水の通りを少しだけ良くした。だが、それは時間稼ぎにすぎなかった。


「グランが流路を直して、モルトが通りを良くして、それでも、元の水が増えるわけじゃない。配れる総量は、変わらない。設備をいくら直しても、足りないものは、足りない」


「では、増やせないなら、どう分けるかを、決めるしかない、ということですね」


「そうだ」


 ユークは、これまで、配分を「止まっていた水を、また流す」仕事だと思っていた。流路を直し、枝を増やせば、分け前は戻る、と。だが、違った。水には限りがある。限りのあるものを、全員に満額は配れない。配分とは、増やす仕事ではなく、誰に先に回し、誰に後で我慢してもらうかを、決める仕事だった。


---


「順番を、決める」


 ユークは、台帳の余白に、線を一本引いた。


「全部に満額は無理だ。なら、何を先に守るかを、はっきりさせる。いちばん上は、暮らしに直に関わる分。クルン村の飲み水と、畑の水。これは、削らない。人が生きて、飯を作る分だ。ここを後回しにしたら、配り直す意味がない」


「その次が、ハウル坑区への分け前ですか」


「いや。坑区は、人が戻ってる途中だ。今すぐ全量がなくても、枯れはしない。だから、二番目だ。飲み水と畑が満ちて、余った分から、坑区へ回す。坑区が、村の喉より先に来ることはない」


 ミレアが、台帳に書き留めていった。最優先は生活必須分。次が、止まっていた地域への分け前の復旧。そして、余った分だけを、取引に回せる枠とする。ユークが口にした順番が、初めて、誰が見ても分かる形に並んだ。


---


 順番を貼り出すと、すぐに、削られた側から声が上がった。


 灰環の採集枠で水を使っていた、近在の採集者の一人が、受付に来て、渋い顔をした。


「俺の汲み枠が、半分に減ってる。今まで通り使えると思って、段取りを組んでたんだ。なんで、俺の分が削られて、クルン村が満額なんだ」


「順番を決めたからだ。あんたの汲みは、採れた素材を洗うのに使ってる。大事な仕事だ。だが、飲み水と畑より先には、置けない。村の年寄りや子どもが飲む水と、素材を洗う水なら、飲む方が先だ。それだけのことだ」


 男は、すぐには引き下がらなかった。だが、ユークは、貼り出した順番表の、男の枠の位置と、その理由を、指でたどって見せた。あんたを軽く見たわけじゃない、順番の話だ、と。男は、しばらく表を睨んでから、低く言った。


「……飲み水より先に、とは言わねえよ」


 納得とまではいかない。だが、なぜ自分が後ろなのかが、見える形で示されている。それだけで、ごねる相手の矛先は、少しだけ鈍った。理由の見えない我慢は、ただの理不尽になる。だが、理由の見える我慢なら、人は、渋々でも呑める。


---


 クルン村からは、逆の声が届いた。


 ドーランの定期便に、村の世話役からの短い言伝が添えられていた。畑の水が、今年は切れずに回っている、と。去年までは、井戸が濁るたびに畑の隅から枯れていったのが、今年は、端まで水が届いている、と。


 ユークは、その言伝を、貼り出した順番表の脇に留めた。


「片方で文句が出て、片方で水が回る。全部を満たせたら、いちばんいい。だが、できないなら、どっちを先に枯らさないかは、決めなきゃならん。村の畑を、先に枯らさない。俺は、そっちを選んだ。誰かが渋い顔をするのは、その代わりだ」


「選ばないことも、できました。全員に、薄く配る。誰の顔も立てる。でも、それだと、薄まった水で、村の畑も、坑区も、どっちも中途半端に乾きます。あなたは、薄く配って全員を少しずつ乾かすより、順番をつけて、守る所を守る方を、選んだんですね」


「恨まれる選び方だがな」


---


 ミレアが、台帳を新しい頁に開いた。


「これは、書いて、貼り出します。口約束だと、後でもめます。誰が先で、誰が後か、理由ごと、公開記録に残します。『なぜあなたの枠が後なのか』を、説明できる形にしておかないと、削られた側は、納得しません」


「頼む。削る側が、こっそり決めたんじゃ、ただの依怙贔屓だ。順番と、その理由を、全部見える所に置く。文句があるなら、その順番のどこがおかしいか、言ってもらう」


 ザグレスが、壁にもたれたまま、低く笑った。


「立派な順番だ。だがな、ユーク。その順番で、いちばん後ろに回されるやつが、いちばん金を持ってる客だってこと、分かってるか」


---


 ザグレスの言う通りだった。生活必須を最優先にすれば、余剰の取引枠は、いちばん後ろになる。そして、その取引枠を金で確保しようとしていたのが、ラスティアの商人モルガンだった。


 モルガンは、余剰の限定契約で一度は折り合っている。だが、配り直しで余剰そのものが細れば、真っ先に削られるのは、彼の枠だった。村の飲み水を満たした後の、残りのそのまた残り。それが、金を積んだ客に回る順番だった。


 ミレアが、契約の控えに目を落とした。


「モルガンは、黙ってないでしょうね。金は払う、契約もした。なのに、村の畑より後回しにされる。商人の理屈じゃ、納得できない話です」


「だろうな。だが、順番は変えない。金を積んだから先に水が来る、って仕組みにしたら、いちばん最初に切り捨てられたクルン村と、同じことを、今度はこっちがやることになる」


 その日の夕方、モルガンは、いつもより早くラスティアへ戻っていった。余剰枠の削減を知らされた直後の、慌ただしい帰り方だった。


 ザグレスが、その背を見送って、目を細めた。


「あれは、ここでごねるのを諦めた顔じゃない。ここで言っても順番は変わらないと見て、別の所へ持っていく顔だ。金で枠が買えないなら、枠を決めてる仕組みごと、上から変えさせればいい――そう考える筋へな」


 ユークは、貼り出されたばかりの配分の順番表を、もう一度見た。生活が先、取引が後。その順番自体は、間違っていないはずだった。だが、その正しさが、金を持つ者の枠を後ろへ追いやった分だけ、迷宮の外で、別の手が動き始めようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ