表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
82/88

第82話 知っていて切り捨てた

 査察団が引き上げて三日後、エルリオからの便りが、ドーランの定期便に紛れて届いた。


 封は、いつもより厳重だった。中の紙も、エルリオらしい几帳面な字で、けれど、いつになく言葉を選んだ書き方をしていた。


「ずいぶん、慎重に書いてますね」とミレアが、便りを覗き込んで言った。


「立場が、危ういからだ」とユークは言った。


「監督院の中にいて、その監督院の古い判断を、外の俺に流してる。書きすぎれば、こいつの首が飛ぶ。これは、ぎりぎりまで言葉を削った文だ」


 便りには、こうあった。灰環迷宮の旧調査票を、保存庫で改めて確かめた。放棄が決まった当時の票だ。そこに、おかしな点が一つある、と。


---


 ユークは、ミレアと並んで、便りの続きを読んだ。


 エルリオが見つけたのは、票の書き換えの跡だった。灰環迷宮の最初の調査票には、評価項目の欄に、一度「地域配分機能」に類する記載があった。それが、後から別の手で線を引かれて消され、最終的な扱いは「維持費不相応案件」「低価値危険迷宮」へと書き換えられていた。


「最初の票には、配分のことが書いてあった」とユークは、低く言った。


「それを、誰かが消した。消したうえで、価値の低い、金のかかるだけの迷宮、ってことにして、放棄を通した。エルリオが見つけたのは、その線の跡だ」


「順番が、逆なんですね」とミレアが言った。


「価値がないから切り捨てた、んじゃない。切り捨てると決めてから、価値のほうを、見えないように消した。そういう順番に見えます」


 ユークは、すぐには頷かなかった。便りの字を、もう一度たどった。エルリオは、断定はしていない。書き換えの跡がある、とだけ書いている。それを隠蔽だと決めつけるのは、まだ早い。


---


「決めつけるのは、まだだ」とユークは言った。


「票の書き換えなんざ、いくらでも理由がある。誤記の訂正かもしれん。後から正しい等級に直しただけかもしれん。線が引いてあるってだけじゃ、悪意の証拠にはならない」


「ですが」とミレアが言った。


「その書き直しの跡がある票に、わざわざ閲覧制限がかかっている。査察官のヴェッセルが、その棚を、初めて見る顔じゃなく見ていった。ただの誤記の訂正に、そこまでしますか」


 ユークは、答えなかった。ミレアの言う通りだった。書き換えだけなら、よくある話だ。だが、書き換えた記録を、わざわざ人目から隠している。そして、その中身を知っていそうな人間が、配分槽を見に来た。一つひとつは小さな点だが、線で結ぶと、嫌な形が浮かんでくる。


「知っていて、切り捨てた」とユークは、その形を言葉にした。


「灰環が、地域へ水を配る設備だってことを、当時の誰かは知ってた。知ってて、それを票から消して、ただのハズレ迷宮として放棄した。クルン村の井戸が濁ったのも、ハウル坑区が枯れたのも、その判断の、後始末だ」


---


「誰が、いつ消したか」とミレアは言った。


「それを記録から追うことは、できます。票の書式、訂正印の様式、当時の担当部署。残っている断片を突き合わせれば、いつの時点で、どの部署の手が入ったかは、絞り込めます。私は、それが得意です」


「やってくれ」とユークは言った。


「だが、急ぐな。それと、エルリオを矢面に立たせるな。あいつから来た、とばれる形では、何も使うな。あいつは、監督院の中で、ひとりで危ない橋を渡ってる。こっちの追及で、あいつを潰したら、本末転倒だ」


「分かっています」とミレアは言った。


「内部告発の形は取りません。あくまで、外に残っている公開記録と、現地の実物から組み立てます。エルリオさんの便りは、どこを見ればいいかの道しるべにするだけです」


 ユークは、それでいい、と思った。真相を、声高に暴く必要はない。監督院を悪党だと指さして、溜飲を下げる話でもない。やるべきことは、もっと地味で、もっと確かなものだった。


---


 ふと、ユークは、自分のことを思い出した。


 戦果なし。討伐適性なし。保全部の落伍者。監督院が、ユークの働きに貼った札も、似たようなものだった。地味な保守や生態維持は、票の上では価値がないことにされ、目立つ討伐だけが手柄として数えられた。価値があったかどうかではなく、誰が、何を価値として数えるかで、評価は決まる。


「俺と、同じだな」とユークは、便りを置いて言った。


「灰環も、俺も、価値がなかったから切り捨てられたんじゃない。価値を数える側の物差しに、たまたま載らなかっただけだ。載らなかったものを、向こうは、無い、ってことにした」


「だからこそ」とミレアが言った。


「物差しのほうが間違っていた、と示せれば、灰環の名誉も、あなたの評価も、同じ一つの証明で覆ります。井戸が戻り、坑区へ水が向く。それは、当時の物差しが何を見落としたかを、現物で突きつけることですから」


「名誉なんざ、どうでもいい」とユークは言った。


「ただ、同じ見落としを、これ以上、地域に払わせたくないだけだ。物差しの間違いの後始末を、村が井戸の濁りで払い続けるのは、もう終わりにする」


 便りの几帳面な字を、ユークは、もう一度たどった。これは、ただの古い迷宮の名誉回復の話ではなかった。価値を数え損ねた物差しそのものを、現場の実物で問い直す話だった。


---


「あいつらを言葉で責めても」とユークは言った。


「向こうは、書類で書類を返してくるだけだ。書き換えた跡を突きつけたって、誤記でした、訂正でした、で押し通される。記録の喧嘩は、記録を握ってる側が強い」


「では、どうします」とミレアが聞いた。


「実物で示す」とユークは言った。


「灰環が配り直したら、クルン村の井戸が戻った。止まってた分け前が、現に地域へ流れ始めてる。当時、価値がないと切り捨てた判断が、どれだけ間違ってたか――それを、灰環が今配ってる水の量そのもので証明する。書類じゃなく、暮らしで」


 ザグレスが、壁にもたれたまま、口を挟んだ。


「気は長いが、悪くない手だ」と彼は言った。


「向こうの落ち度を、こっちが叫ぶんじゃない。こっちが地域を潤して、勝手に向こうの落ち度が、でかくなっていく。井戸が戻るたび、坑区に水が向くたび、あれを切り捨てた判断は何だったんだ、って声が、向こうの内側から出てくる。記録を握られてても、暮らしまでは握れねえからな」


---


 その方針が固まりかけたとき、坑道の奥から、グランの報せが上がってきた。


 ルーメの光を連れて戻ってきた掘角竜は、第五沈殿槽の方角を、太い首で示した。ユークの感応にも、配分の魔力流が、どこか一方へ傾いている感触が、薄く伝わってきていた。


「配り直した枝の、ひとつだな」とユークは、その傾きを読んで言った。


「広げた行き先のどこかで、水位か魔力が、偏り始めてる。ルーメ、どこだ」


 ルーメの光が、流路の図の上で、北の一筋を、ゆっくりと染めた。配分を再開したばかりの、ハウル坑区へ向かう枝だった。そこへ水を回した分だけ、別のどこかが、釣り合いを失いかけている――そういう傾きだった。


 グランが、低く唸って、流路の壁の一点を、太い爪で示した。新しく水を通した枝の縁が、増えた水量に押されて、わずかに緩みかけている。放っておけば、崩れる前触れだった。配分を広げるたびに、こうして、どこかに新しい負荷が生まれていく。


 切り捨て判断の誤りを、暮らしで証明する。その方針は、間違っていない。だが、止まっていた分け前を地域へ戻すという行いは、思っていたより、ずっと難しい仕事になりそうだった。配り直すということは、どこかを潤せば、どこかが乾く、ということでもあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ