第82話 知っていて切り捨てた
査察団が引き上げて三日後、エルリオからの便りが、ドーランの定期便に紛れて届いた。
封はいつもより厳重だった。中の紙もエルリオらしい几帳面な字で、けれど、いつになく言葉を選んだ書き方をしていた。
「ずいぶん慎重に書いてますね」とミレアが便りを覗き込んで、言った。
「立場が危ういからだ」とユークは言った。
「監督院の中にいて、その監督院の古い判断を外の俺に流してる。書きすぎれば、こいつの首が飛ぶ。これはぎりぎりまで言葉を削った文だ」
便りにはこうあった。灰環迷宮の旧調査票を、保存庫で改めて確かめた。放棄が決まった当時の票だ。そこにおかしな点が一つある、と。
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ユークはミレアと並んで、便りの続きを読んだ。
エルリオが見つけたのは、票の書き換えの跡だった。灰環迷宮の最初の調査票には、評価項目の欄に一度、「地域配分機能」に類する記載があった。それが後から別の手で線を引かれて消され、最終的な扱いは「維持費不相応案件」「低価値危険迷宮」へと書き換えられていた。
「最初の票には、配分のことが書いてあった」とユークは低く言った。
「それを誰かが消した。消したうえで、価値の低い、金のかかるだけの迷宮ってことにして、放棄を通した。エルリオが見つけたのは、その線の跡だ」
「順番が逆なんですね」とミレアが言った。
「価値がないから、切り捨てたんじゃない。切り捨てる、と決めてから、価値のほうを見えないように消した。そういう順番に見えます」
ユークはすぐには頷かなかった。便りの字をもう一度たどった。エルリオは断定はしていない。書き換えの跡がある、とだけ書いている。それを隠蔽だ、と決めつけるのはまだ早い。
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「決めつけるのはまだだ」とユークは言った。
「票の書き換えなんざ、いくらでも理由がある。誤記の訂正かもしれん。後から正しい等級に直しただけかもしれん。線が引いてあるってだけじゃ、悪意の証拠にはならない」
「ですが」とミレアが言った。
「その書き直しの跡がある票に、わざわざ閲覧制限がかかっている。査察官のヴェッセルがその棚を初めて見る顔じゃなく、見ていった。ただの誤記の訂正に、そこまでしますか」
ユークは答えなかった。ミレアの言う通りだった。書き換えだけなら、よくある話だ。だが、書き換えた記録をわざわざ人目から隠している。そして、その中身を知っていそうな人間が配分槽を見に来た。一つひとつは小さな点だが、線で結ぶと、嫌な形が浮かんでくる。
「知っていて、切り捨てた」とユークはその形を言葉にした。
「灰環が地域へ水を配る設備だってことを、当時の誰かは知ってた。知ってて、それを票から消して、ただのハズレ迷宮として放棄した。クルン村の井戸が濁ったのも、ハウル坑区が枯れたのも、その判断の後始末だ」
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「誰が、いつ消したか」とミレアは言った。
「それを記録から追うことはできます。票の書式、訂正印の様式、当時の担当部署。残っている断片を突き合わせれば、いつの時点で、どの部署の手が入ったかは絞り込めます。私はそれが得意です」
「やってくれ」とユークは言った。
「だが、急ぐな。それと、エルリオを矢面に立たせるな。あいつから来た、とばれる形では、何も使うな。あいつは監督院の中で、ひとりで危ない橋を渡ってる。こっちの追及であいつを潰したら、本末転倒だ」
「分かっています」とミレアは言った。
「内部告発の形は取りません。あくまで、外に残っている公開記録と、現地の実物から組み立てます。エルリオさんの便りは、どこを見ればいいかの道しるべにするだけです」
ユークはそれでいい、と思った。真相を声高に暴く必要はない。監督院を悪党だ、と指さして溜飲を下げる話でもない。やるべきことは、もっと地味で、もっと確かなものだった。
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ふとユークは自分のことを思い出した。
戦果なし。討伐適性なし。保全部の落伍者。監督院がユークの働きに貼った札も似たようなものだった。地味な保守や生態維持は、票の上では価値がないことにされ、目立つ討伐だけが手柄として数えられた。価値があったかどうかではなく、誰が何を価値として数えるかで評価は決まる。
「俺と同じだな」とユークは便りを置いて、言った。
「灰環も、俺も価値がなかったから、切り捨てられたんじゃない。価値を数える側の物差しにたまたま載らなかっただけだ。載らなかったものを、向こうは無いってことにした」
「だからこそ」とミレアが言った。
「物差しのほうが間違っていた、と示せれば、灰環の名誉も、あなたの評価も同じ一つの証明で覆ります。井戸が戻り、坑区へ水が向く。それは当時の物差しが何を見落としたかを現物で突きつけることですから」
「名誉なんざどうでもいい」とユークは言った。
「ただ、同じ見落としをこれ以上、地域に払わせたくないだけだ。物差しの間違いの後始末を村が井戸の濁りで払い続けるのは、もう終わりにする」
便りの几帳面な字をユークはもう一度たどった。これはただの古い迷宮の名誉回復の話ではなかった。価値を数え損ねた物差しそのものを、現場の実物で問い直す話だった。
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「あいつらを言葉で責めても」とユークは言った。
「向こうは書類で書類を返してくるだけだ。書き換えた跡を突きつけたって、誤記でした、訂正でしたで押し通される。記録の喧嘩は、記録を握ってる側が強い」
「ではどうします」とミレアが聞いた。
「実物で示す」とユークは言った。
「灰環が配り直したら、クルン村の井戸が戻った。止まってた分け前が現に地域へ流れ始めてる。当時、価値がない、と切り捨てた判断がどれだけ間違ってたか――それを灰環が今配ってる水の量そのもので証明する。書類じゃなく、暮らしで」
ザグレスが壁にもたれたまま、口を挟んだ。
「気は長いが、悪くない手だ」と彼は言った。
「向こうの落ち度をこっちが叫ぶんじゃない。こっちが地域を潤して、勝手に向こうの落ち度がでかくなっていく。井戸が戻るたび、坑区に水が向くたび、あれを切り捨てた判断は何だったんだって声が向こうの内側から出てくる。記録を握られてても、暮らしまでは握れねえからな」
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その方針が固まりかけたとき、坑道の奥からグランの報せが上がってきた。
ルーメの光を連れて戻ってきた掘角竜は、第五沈殿槽の方角を太い首で示した。ユークの感応にも、配分の魔力流がどこか一方へ傾いている感触が薄く伝わってきていた。
「配り直した枝のひとつだな」とユークはその傾きを読んで言った。
「広げた行き先のどこかで水位か魔力が偏り始めてる。ルーメ、どこだ」
ルーメの光が流路の図の上で、北の一筋をゆっくりと染めた。配分を再開したばかりのハウル坑区へ向かう枝だった。そこへ水を回した分だけ、別のどこかが釣り合いを失いかけている――そういう傾きだった。
グランが低く唸って流路の壁の一点を太い爪で示した。新しく水を通した枝の縁が増えた水量に押されて、わずかに緩みかけている。放っておけば、崩れる前触れだった。配分を広げるたびに、こうしてどこかに新しい負荷が生まれていく。
切り捨て判断の誤りを暮らしで証明する。その方針は間違っていない。だが、止まっていた分け前を地域へ戻すという行いは、思っていたよりずっと難しい仕事になりそうだった。配り直すということは、どこかを潤せば、どこかが乾くということでもあった。




