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第78話 ハウル坑区の枯れた分け前

 ハウル坑区へは、ザグレスが先に立った。


「あの辺りは、街道から外れてる」と彼は、馬の手綱を引きながら言った。


「正規の道はない。昔、鉱石を運んでた荷車の轍が、まだ残ってる。それを辿る。崩れた坑口がそこら中にあるから、勝手に踏み込むな。足元は、俺が見る」


 ユークは頷いた。グランは荷車代わりに資材を背負い、ルーメはユークの肩に丸まっている。ミレアは記録帳を抱えて、ザグレスのすぐ後ろを歩いた。


 半日ほど北へ進むと、丘の陰に、その街は現れた。


 崩れた石壁。屋根の落ちた家。坑口を塞ぐ、朽ちた板。かつては人が暮らしていたのだと分かる形だけが、雨ざらしのまま残っていた。


---


「鉱山が枯れて、廃れた」とザグレスは言った。


「世間じゃ、そう言われてる。掘るものがなくなりゃ、人は出ていく。珍しい話じゃない」


 ユークは、街の真ん中を歩きながら、地面に目を落とした。


 乾いた水路が、街を貫いていた。石で縁を組んだ、しっかりした作りの水路だ。だが、底はひび割れ、泥が固まって、もう何年も水が通った気配がない。


「鉱山の街にしては」とユークは言った。


「水路が、立派すぎる」


「どういう意味だ」とザグレスが振り返った。


「掘るだけの街なら、こんなに手の込んだ水路は要らない」とユークは言った。


「これは、よそから水を引いて、街じゅうに配るための水路だ。井戸を掘るんじゃなく、どこか遠くから、水が来ることを当てにして組んである」


 ミレアが、水路の縁にしゃがんで、底をのぞき込んだ。


「灰環の配分槽から、北へ伸びてた枝」と彼女は言った。


「あれが向かってたのは、この水路じゃないでしょうか」


---


 ユークは、ザグレスに、坑区がいつ廃れたのかを尋ねた。


 ザグレスは、街の外れに一人だけ残って暮らしている、年老いた元坑夫のところへ案内した。クルン村のさらに奥、こんな枯れた土地に、なぜか居つづけている老人だった。


「水が、出なくなってからだ」と老人は、しわがれた声で言った。


「鉱石はな、枯れちゃいなかった。まだ掘れた。だが、ある年から、街の水路に、水が来なくなった。少しずつ、細って、止まった。水のない街じゃ、暮らせん。だから、みんな出ていった。鉱山が枯れたんじゃない。水が、枯れたんだ」


「それは、いつ頃の話ですか」とユークは聞いた。


 老人が告げた年を、ミレアが記録帳と照らし合わせた。彼女の顔が、わずかにこわばった。


「ユークさん」と彼女は小声で言った。


「灰環迷宮の配分槽が止まった時期と……重なります。ほとんど、同じ頃です」


 ユークは、乾いた水路を、もう一度見た。


 灰環の地下で、配分槽が水を配るのをやめた。その細い枝の一本が、この街へ向かっていた。枝が死に、水が止まり、街が枯れた。鉱山の寿命ではなく、迷宮の配分が止まったことが、ここを廃墟に変えたのだ。


---


 ユークは、それを推測で終わらせたくなかった。


「ルーメ」と彼は、肩の灯苔モンスターに声をかけた。


「この水路の底に、まだ魔力の名残が残ってるか、見てくれ」


 ルーメが、するりと肩から降り、乾いた水路の底を這った。灯苔の光が、ひび割れた石の上を、ゆっくりと撫でていく。しばらくして、街の南の端――灰環迷宮のある方角――の水路の底で、光が、ごくわずかに、にじんで強まった。


 ユークは、しゃがんで、その場所をのぞき込んだ。底の泥に、淡い色の筋が、消えかけて残っている。地下で見た、あの死んだ枝の色と、同じ筋だった。


「残ってる」とユークは言った。


「ほとんど消えてるが、確かに、灰環から来る方向の底に、配分槽と同じ魔力の筋がある。この水路は、間違いなく、あの枝の続きだ」


 ザグレスが、街の南の外れに残る、塞がった水門のような石組みを指した。


「あそこが、水の入り口だな」と彼は言った。


「街に入る手前で、水を受けてた口だ。今は土砂で埋まってる」


 グランが、その石組みの前まで歩いて、前肢で継ぎ目を、こつ、と叩いた。重い音が返る。詰まった土砂の奥に、まだ流路の空洞が残っているらしい、と確かめるような反応だった。


「掘るなよ」とユークは、すぐに言った。


「ここを開けても、上流の枝が死んでる以上、水は来ない。確かめるだけでいい。この口が、灰環の枝の終点だってことが分かれば、それで十分だ」


 グランは、小突くのをやめ、土砂の山の形を覚えるように、一度だけ匂いを嗅いだ。記録の棚にはない地図を、また一つ、現物で確かめた格好だった。


 ミレアが、記録帳に水門の位置を写し取りながら言った。


「地下の枝の、いちばん端が、ここなんですね」と彼女は言った。


「灰環の第五沈殿槽から、北へ伸びて、迷宮の外へ抜けて……このハウル坑区の、水門まで。一本の線が、やっと端から端まで繋がりました」


「ああ」とユークは言った。


「行き先の名前が、初めて、地図の上の街と一致した。枯れた街だけどな」


---


「迷宮が止まって、困ったのは」とユークは、ザグレスに言った。


「迷宮の中の話だと、ずっと思ってた。冒険者が稼げない、外縁が回らない。でも、違った。配分が止まった分の割を食ったのは、こういう、外の生活圏だ」


「分け前を、もらってた連中か」とザグレスが言った。


「ああ」とユークは言った。


「灰環は、ただの迷宮じゃない。水や資源を、あちこちの街や村に配ってた。その配分が止まって、分け前を断たれた場所が、一つずつ枯れていった。クルン村の井戸も、たぶん、その途中だ。この坑区は、もう、行き着いた先だ」


 老人が、枯れた水路を見て、ぽつりと言った。


「今さら水が戻っても」と彼は言った。


「出ていった連中は、もう帰ってこんよ。とっくに、よそで暮らしを立ててる。枯れた街に、わざわざ戻る馬鹿はおらん」


 その一言が、ユークの胸に重く残った。配分を戻せば、すべてが元に戻る、というほど、話は甘くなかった。一度離れた人は、戻るとは限らない。


---


 帰り道、ユークは、しばらく黙って歩いていた。


「修理すれば直る、って話じゃないな」と、彼はようやく口を開いた。


「配分槽を生き返らせて、水を北へ流す。それはできるかもしれない。でも、流した先に、この坑区みたいに、もう誰もいなかったら、その水は、誰のためにもならない」


「じゃあ、やめるのか」とザグレスが言った。


「やめない」とユークは言った。


「クルン村は、まだ人がいる。井戸が濁って、困ってる。あそこは、まだ間に合う。手遅れの坑区と、間に合う村を、ちゃんと分けて考えればいい」


 ユークは、自分が今までやってきたことの、輪郭が変わっていくのを感じた。


「俺は、迷宮を直す仕事だと思ってた」と彼は言った。


「配分槽を直す。流路を補修する。コアの表示を、接続から循環、配分へと進める。全部、迷宮の中の話だ。でも、本当に直さなきゃいけないのは、迷宮じゃない。迷宮が止めてしまった、外の分け前だ。誰に、どれだけ水が届くか。それを、もう一度組み直すことだ」


「でかい話になってきたな」とザグレスが、苦笑した。


「ああ」とユークは言った。


「でかくなった。だが、やることは変わらない。一本ずつ、行き先を確かめて、生きてる枝から、順に戻す。それだけだ」


 ミレアが、記録帳の見出しを、書き換えた。


「配分槽はどこへ繋がっていたか」の下に、新しい一行を足す。


「その分け前を、今、誰に戻すか」。


 だが、その問いは、ユークたちだけのものではなかった。配分の枠を金で買いたいという新規の商人。記録の棚に鍵をかけた監督院。水の行き先を「誰に・どれだけ」決めることに、別の思惑を持つ者たちが、すでに動き始めていた。


 枯れた坑区を背に、ユークは街道へ戻った。手の中の地図には、まだ書き込まれていない行き先が、何本も残っていた。

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