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第76話 閲覧制限の棚

 エルリオの続報は、三日後の朝、またドーランの荷馬車で届いた。


 前より厚みのある封書だった。ユークは受付台の奥で封を切り、文面を二度読んでから、ミレアを呼んだ。


「エルリオからだ。配分槽の件の、続きが書いてある」


 ミレアが手を止めて、横に立った。ユークは要点を声に出した。


「保存庫で、配分槽の語が載った棚を、ちゃんと特定できたそうだ。古い地方迷宮の運用記録が、まとめて収めてある棚らしい。だが――その棚には、閲覧制限の印が押されている。エルリオの立場では、中身までは開けられない。開けようとすれば、誰が見ようとしたか記録に残る」


「閲覧制限」とミレアが繰り返した。「監督院の記録で、それが押されるのは、どういう棚ですか」


「そこを、エルリオが調べてくれた」とユークは文面の続きを指でなぞった。「閲覧制限には、いくつか段階がある。多いのは、係争中の案件とか、貴族や商会の利害が絡む契約とか、まだ公開できない調査の途中とか。要は、外に漏れると面倒なものに掛ける印だ」


「灰環は、係争中でも、契約でも、調査中でもありません」とミレアが言った。「とっくに放棄された、価値なし判定の野良迷宮です」


「そこなんだ」とユークは言った。「エルリオも、それが引っかかったと書いている。配分槽の棚に押されていたのは、放棄案件に使う印じゃない。もっと上の――『上位閲覧限定』だ。重要案件にだけ掛ける段階の印が、なぜか、見捨てられたはずの迷宮の古い記録に押されている」


 ミレアの表情が、わずかに動いた。


「価値がないから捨てた、はずの場所の記録を、価値がある案件と同じ鍵で、しまっている」


「矛盾してるだろう」とユークは言った。「本当に価値がない記録なら、わざわざ上位の鍵をかける必要はない。誰も見ないんだから、放っておけばいい。なのに、わざわざ厳重にしまってある」


 ユークは封書を台に置いて、しばらく考えた。


 灰環迷宮は、過去に正式な調査と評価を受けて、「価値が低い」「維持費不相応」と判断され、切り捨てられた。その傷は、迷宮のあちこちに残っている。風化した封鎖勧告札。回収されなかった監視器具。雑な警告板。どれも、「ここはもう要らない」と判断した側が残していった痕だ。


 だが、その「要らない」と判断したはずの場所の記録だけが、重要案件と同じ鍵の奥にある。


「価値がない、と切り捨てた判断と」とユークは言った。「配分槽の記録を、鍵をかけて隠したことは、別々の出来事じゃないかもしれない」


「同じ人間が、同じ時期に」とミレアが続けた。


「分からない。それは、まだ言えない」とユークは慎重に区切った。「だが、想像はできる。配分の機能があると分かっていたら、灰環は『価値がない迷宮』にはならない。地域に水や資材を回す施設だ。立派な価値だ。それを『価値なし』として捨てるには――配分槽のことを、知られないようにしておく方が、都合がいい」


「価値を、見えなくしてから、切り捨てた」


「かもしれない、という話だ」とユークは念を押した。「証拠はない。エルリオも、棚の中身は読めていない。読めるのは、印の段階だけだ。だから、これ以上、記録から追うのは難しい」


 ユークは、返事の文面を考えた。


「エルリオには、無理をさせられない」とユークは言った。「上位閲覧限定の棚を、後輩の立場でこじ開けようとしたら、彼の身が危うくなる。誰が見ようとしたか、記録に残るんだ。それで処分でもされたら、本末転倒だ」


「では、記録からは、これ以上進めませんね」とミレアが言った。


「ああ。記録の側からは、壁にぶつかった」とユークは言った。「だが、配分槽そのものは、向こうの棚の中じゃない。この、足元にある」


 ユークは、階下へ続く通路の方を見た。第五沈殿槽。塞がった旧流路。グランが叩いて確かめた、複数方向へ枝分かれする古い石組み。配分という機能は、紙の記録ではなく、物として、この迷宮に残っている。


「監督院が記録に鍵をかけても、現地の配分槽までは、隠せない」とユークは言った。「鍵のかかった棚を開ける代わりに、ここから配分の機能を解いていけばいい。何が、どこへ、どれだけ回っていたのか。それを現地で確かめれば、記録に頼らなくても、真相に近づける」


「向こうが隠したものを、こちらが現物で読み直す、ということですね」とミレアが言った。「それなら、エルリオさんを危険にさらさずに済みます」


「そうだ。彼には、棚を開けるな、と返事を書く。代わりに、こっちは足元を掘る」


 ミレアは頷いて、返信の控えに「現地解明へ方針転換。保存庫への深入りは無用と伝達」と書き留めた。


 昼を過ぎて、ユークは第五沈殿槽まで降りた。グランとルーメを連れていく。


 槽の手前で、グランが昨日と同じ石組みの前に陣取った。前肢で継ぎ目を、こつ、こつ、と叩く。重い音が返る場所と、奥に空洞があるらしく軽く響く場所がある。グランは軽い音の場所を、何度か叩き分けた。


「やっぱり、この奥は塞がってるだけで、空っぽってわけじゃないんだな」とユークは言った。


 グランが、肯定するように鼻を鳴らした。塞がった石の向こうに、まだ流路が続いている。それを確かめるような、低い唸りだった。


 ルーメが、石組みの上をゆっくり這って、灯苔の光を強めた。魔力流の濃淡が、淡い色の筋になって見えてくる。ユークはその筋を目で追った。


 筋は、一本ではなかった。第五沈殿槽から、少なくとも三つの方向へ、薄く流れの痕が伸びている。今はどれも細く、ほとんど止まりかけている。だが、かつてはここから、いくつもの先へ、水か魔力かが分かれて流れていた跡だった。


「一本の流れを、いくつもの先へ分ける」とユークは呟いた。「これが、配分槽の本当の形か」


 ルーメの光が、三つの筋のうち、一つの上で少し強くにじんだ。他の二つより、わずかに魔力が残っている枝。まだ完全には死んでいない一本。


「まずは、この生きてる枝から追う」とユークは決めた。「全部いっぺんに掘れば、止められなくなる。一本ずつだ。どこへ繋がっていたのか、生きてる枝から、順に確かめる」


 グランが、その枝の手前の崩れを、補修待ちとして覚えるように一度叩いた。ルーメは、枝の上に灯苔の目印を残した。記録の棚は開けなくても、ここに、読み解くべき現物があった。


 その日の夕方、ユークは管理盤の前に立った。


 盤面には、相変わらず「配分」の一語が、淡く灯っていた。あの語が出てから、灰環迷宮は確かに次の段階へ動き始めている。商人が分け前を求めて訪ねてくる。監督院が古い記録に鍵をかけている。配分という一語が、いくつもの手を引き寄せていた。


 ユークは、盤面に向けて、静かに問うた。


「配分槽は、どこへ繋がっていたんだ」


 コアは、すぐには応えなかった。ルーメの灯苔が、盤の周りでゆっくり明滅する。魔力流が、わずかに揺れた気配があった。


 やがて、盤面の「配分」の文字が、ふっと薄れ――その下に、別の語が、にじむように浮かんだ。


 ユークの知らない語だった。区画の名のようにも見える。古い字で、半分かすれている。だが、これまで盤に出たどの語とも違う、初めて見る一語だった。


 ユークは目を細めて、それを読み取ろうとした。配分の、その先。コアが示そうとしているのは、配分槽が水を送っていた、行き先の名前かもしれなかった。


「……これは、なんだ」


 盤の語は、答えるように、もう一度だけ淡く明滅して、また「配分」の下に沈んでいった。記録の棚は鍵がかかっている。だが、灰環迷宮そのものが、自分の口で、次の一語を語り始めていた。

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