第67話 商人の手順違い
朝にフェズから詳細が届いた。
昨夜確認する、と言っていたことの続きだった。パスを通じて受け取ると、フェズから来たのは状況の要約だった。言葉ではなく感触の積み重ねとして届く。昨夕、受付を通らずに前砦の外縁区画の端まで来た人間がいた。外縁の奥ではなく、入口層に近い側の区画だ。その人間は採集袋を持っていた。採集ポイントから離れた場所に袋を広げた。乾かしているような動作だった。
フェズは幻惑でその人間を封鎖区画から遠ざけた。人間は自分がなぜ足を止めたか気づかないまま、外縁区画の入口近くで作業を続けた。
顔の感触として来たのは、先日受付を通ったことのある人間だった。
「トルマだ」
ミレアが手帳を開いた。
「確定ですか」
「フェズの記憶は顔の輪郭と体格で来る。先日来た人間の中でその感触に合うのはトルマだけだ」
「昨夕、受付を通らずに入ったということですか」
「そうだ。採集品を乾燥させに来た、とフェズの状況から読める」
「フェズが封鎖区画から遠ざけた。その時トルマが置いていた場所はどこですか」
「外縁入口層の手前側、通路の広がりがある辺りだ。今日、ルーメに確認させる」
ミレアがペンを走らせながら言った。
「まず今日のグニェル一行への対応が必要ですね」
「今日の予約が入っているか」
「はい。次の利用予約は今日です」
ユークは前砦の外を見た。
グニェルとトルマが今日また来る。昨夕のことを本人から聞く前に、現場を確認しておく必要があった。
*
外縁区画の入口層へ降りた。ルーメが先行した。
フェズが示した位置に来ると、ルーメの色が変わった。
青緑から、少し白みが混じった色になった。白ほど高濃度ではないが、通常の青緑とは違う。
「湿度が下がっている」
「この辺りがルーメの調整区ですか」とミレアが手帳を持って言った。
「そうだ。この通路の壁に灰苔が生きている。ルーメはここの湿度を一定に保つことで、灰苔の生育を支えている。灰苔が壁の岩盤の結合を担っているから、この湿度は維持しないと壁が弱くなる」
「乾燥した採集品を広げたことで、湿度が落ちた」
「だいたいそういうことだ。昨夕トルマが品物を広げて、乾かした。その分の水分を空気が吸った。ルーメが一晩かけて戻そうとしているが、まだ完全には戻っていない」
ルーメが壁際を動いた。灰苔の近くで光量を少し上げた。湿度を補うために動いているのかもしれなかった。
「今すぐ問題になる状態ですか」
「今すぐは問題にならない。ただし同じことを繰り返せば、湿度の変動が大きくなる。灰苔は急激な乾燥に弱い。何度か繰り返せば枯れ始める。枯れた苔は壁の結合を失い、岩盤が脆くなる」
「崩落の前段階ということですか」
「繰り返さなければ今日は大丈夫だ。ただし今後の利用で同じことが起きれば、影響が積み重なる」
ミレアが記録した。「トルマによる採集品乾燥行為、ルーメ調整区内で実施。湿度の一時低下を確認。灰苔への即時影響なし。繰り返しにより長期影響が出る可能性あり」
「記録にあと一点。フェズが封鎖区画から遠ざけたことで、より危険な場所への侵入は防げた。それも入れておいてくれ」
「フェズの介入、封鎖区画への侵入回避。以上を追記します」
*
前砦に戻ってから一刻ほどして、グニェルとトルマが来た。
荷馬車は縄の外に止まっていた。そこは問題なかった。
受付台に来たグニェルに、ユークはまず今日の利用確認を通常通り行った。名前、採集目標、道具の種別。ミレアが記録した。
それが終わったところで、ユークはトルマに向かって言った。
「昨夕、受付を通らずに外縁区画に入ったか」
トルマが少し止まった。グニェルも顔を上げた。
「……採集品の乾燥のために入りました。ルールに採集後の処理場所については書かれていなかったので」
「書かれていなかったのは事実だ。ただし受付なしで入ることは禁止されている」
「採集作業ではなく、自分の荷物の乾燥ですが」
「前砦の管理区域への立ち入りは、受付を通ることが条件だ。荷物の乾燥であっても変わらない」
トルマは少し表情を固くした。
「灰鉱砂は湿気を吸います。採集後すぐに乾燥させないと品質が落ちる。それを防ぐためにやったことです。商品を守っただけです」
「それは分かっている」
「商品を守る行為が規則違反になるんですか」
「規則違反かどうかより先に、場所の問題がある」
ユークはトルマに外縁区画の方を向かせた。
「昨夕、品物を広げた場所は、ルーメが湿度を管理している区画だ」
「どういう意味ですか」
「外縁区画のあの通路には、壁に灰苔が生えている。灰苔は湿度が一定でないと枯れる。ルーメはその湿度を保つために、あの場所に光を当て続けている。お前が品物を広げて乾燥させたことで、昨夕その湿度が下がった」
「品物を広げて湿度が下がるとは考えていませんでした」
「品物は湿気を吸う。広い面積で空気にさらせば、周囲の湿度が落ちる。その結果が、今朝の状態だ」
「深刻ですか」
「今日すぐに問題にはならない。ただし繰り返せば灰苔が枯れる。苔が枯れれば壁が脆くなる。脆くなった壁は崩落する。崩落が起きれば、その区画は利用できなくなる」
トルマが少し黙った。
「つまり、俺が品物を乾燥させた場所は、そういう場所だったということですか」
「そういうことだ。お前は商品を守ろうとした。それ自体は正しい判断だ。ただ、その場所がたまたままずかった」
「まずいと知らなかったです」
「規則に書いていなかった。これはこちらの不備だ」
トルマがグニェルを見た。グニェルは腕を組んで聞いていた。
「乾燥させてはいけないということですか」
「そうではない。乾燥させる場所を別に作る。今日の作業が終わったら、グランに頼んで石台を一つ設置する。ルーメの調整区から外れた場所に作る。次回からはそこを使ってくれ」
「今日中に作れますか」
「グランが材料を持っていれば今日中に作れる」
グランにパスを通じて確認した。材料はある、という感触が来た。
「今日の採集が終わった後に設置する。場所は前砦の外縁入口から出た右手の石壁際だ。光が当たりやすく、ルーメの調整区からは離れている」
トルマが手帳に書いた。
「場所が決まったら教えてください」
「教える。今日の採集が終わった後で確認しにきてくれ」
*
今日の採集が終わって退場確認が済んだ後、グランが石台を設置した。
外縁入口から出た右手、石壁に沿った幅三間ほどの平場だった。石台は二つ、腰の高さに作られた。台の表面が平らで、採集袋を広げやすい高さだった。
ルーメが台の周辺を確認した。青緑の光が均一に出た。湿度の調整区とは干渉しない場所だという確認だった。
「ここでいい」とユークは言った。
トルマが台に近づいた。触って確認した。
「これで商品を乾燥できますか」
「できる。ただし使う前に受付を通ること。今後は乾燥作業も利用の一部として扱う。記録に入れる」
「乾燥時間が長くなる場合は」
「半日を限度にする。それ以上かかる場合は、一度前砦に戻って受付を通り直してくれ」
「分かりました」
ミレアが記録帳に書き込んだ。「採集後処理場所、新設。外縁入口右手石壁際、台二基。利用条件は受付通過後、半日以内。以上を利用規則に追加します」
「今日の日付で追加してくれ。グニェル一行の利用から生じた改訂として記録する」
「記録します」
グニェルがミレアの記録帳の方を少し見てから、ユークに言った。
「一つ確認していいですか」
「どうぞ」
「この規則の追加は、わたしが手順を間違えたことで生まれたものですね」
「そうだ」
「でも、追加された規則はわたしだけでなく、今後の利用者全員に適用されます」
「そうなる」
「……つまり、わたしが間違えることで、次の人間が同じ間違いをしないための規則ができた」
「そういう言い方もできる」
グニェルが少し考えた。
「規則を守ることが、迷宮を守ることになる。迷宮が守られれば、俺たちも使い続けられる。そういう構造ですか」
「その通りだ」
「最初からそう言ってくれれば、もう少し違った受け取り方ができたかもしれない」
「言い方が足りなかった」
「いや」とグニェルが言った。少し間があった。
「こちらが先に現場を確認すべきでした。規則があるなら、その理由を聞くべきだった。今日は勉強になりました」
トルマが石台の端を指で叩いた。石台はびくともしなかった。グランの仕事だった。
「次回からここを使います」
「頼む」
グニェル一行が帰り支度を始めた。荷馬車に今日の採集品を積んだ。縄の手前で止まって積み込む形は、前回と変わらなかった。
ユークは前砦の入口からそれを見ていた。
トルマは品質管理をしようとしただけだった。採集品を湿気から守る行動は商人として正しかった。ただし、場所が迷宮の維持機能と重なっていた。それを知らなければ、悪意がなくても環境を傷める。知れば、対応できる。
それが今日分かった。
「ミレアに一点確認する」
「はい」
「今日の改訂で、採集後処理の指定場所が規則に入った。ただし、同様の干渉が起きうる場所は他にもあるかもしれない。ルーメの調整区の地図を作れるか。どこで何を管理しているかを図示しておく」
「今のルーメの観測記録から骨格は作れます。正確にするには時間がかかりますが、大まかなものなら今週中に出せます」
「大まかでいい。利用者に見せられる形にしてくれ。「ここは触ってはいけない区域」ではなく「ここはルーメが何をしているか」という見せ方にする」
「理解を促す形にする、ということですね」
「禁止ではなく、説明で動かした方が長く続く」
ミレアが「ルーメの管理区図、今週中に草稿を作成する」と書いた。
荷馬車が街道を下っていく音が聞こえた。
前砦の石台の上に、今日の記録帳が一冊増えた。利用規則の改訂版が一枚、掲示板に追加された。
ルーメが外縁入口の辺りをゆっくり動いていた。昨夕落ちた湿度が、今日一日かけて戻っていた。




