第63話 水位と欲は同時に増える
今日のグニェル一行は三人だった。
グニェル本人と甥のトルマ、それに若い荷運びが一人ついていた。前回より一人多い。ユークは受付台で入場確認をしながら、荷運びの名前を記録した。
「今日の採集目標は」
「前回と同じです。灰鉱砂と崩落石材。ただし今日は容量を少し増やしてきました。前回は袋三本でしたが、今回は袋四本です。上限の半量以内に収まります」
「問題ない。採集ルートを変えないこと、採取地点の記録を都度つけること、前回通りでいい」
「承知しています」
三人が外縁区画へ入っていくのを見送りながら、ユークはシルクスのパスを確認した。
今朝の段階で、シルクスが昨日より早い逆圧振動の感触を送ってきていた。まだ弱い。採集者が動き始める前に来ていたことだけは確認済みだった。
「今日は早い」
昨日より一刻。一昨日より二刻。毎日前倒しになっている。今朝の段階ですでに感知されていた。
前砦の受付台に戻ると、ミレアが水位記録を広げていた。
「今朝の確認は三番目ですね。昨日の朝と同じ」
「今日は昨日より早く四番目に来るかもしれない」
「その場合は仮板を入れますか」
「入れる。ただし、今日は採集者が中にいる。仮板を入れる前に戻ってもらう必要がある」
「タイムラグは一刻半ですね」
「シルクスが逆圧を感じてから、一刻半で水位が動く。今朝シルクスが感じ始めたのがどの時点かを確認する。そこから一刻半で計算して、間に合うなら先に板を入れる。間に合わないなら、先に退避合図を出す」
「計算します」とミレアは言い、シルクスのログを広げた。
*
採集作業が始まって一刻が経った頃、シルクスから短い信号が届いた。
逆圧拍の感触が変わっている。間隔が縮まっている。
ユークはパスを開いた。
「今日の拍の間隔は昨日と比べてどうだ」
短い、という感触が返ってきた。昨日の半分ほどの間隔になっている。
「半分か」
「先輩。計算が合わなくなりました。間隔が縮まったなら、水位が動くまでの時間も変わる可能性があります」
「そうなる。今の採集者の位置を確認する。シルクス、今どこにいる」
シルクスから足音の位置が来た。外縁区画の中程。行きの半分ほど進んでいる。
「まだ奥にいる。今すぐ戻ってもらえるなら間に合う可能性がある。ただし、間に合わない場合に備えて退避台に移ってもらう方が安全だ」
「退避台は第一分岐の手前ですね」
「そうだ。採集を中断して退避台まで戻れば、水位が上がっても安全な場所だ。そこで待機してもらえば、状況が落ち着いてから前砦に戻れる」
「鐘を鳴らしますか」
ユークは少し考えた。
水位がまだ動いていない。採集者は通常作業中だ。間に合うかもしれない。だが間に合わない場合のコストが大きい。
「鳴らす。一回目の合図を出す」
ミレアが鐘のパイプを打った。金属音が外縁区画の入口から奥へ向かって響いた。
シルクスから返ってくる足音が変わった。三人が止まった。立っている。
「合図が届いた。今から準備を促す二回目を鳴らす」
待たなかった。
「準備」とミレアが確認する間もなく、ユークは外縁区画の入口へ向かって歩いた。
「俺が迎えに行く。退避台まで案内する」
*
外縁区画の入口を抜けると、通路の向こうからトルマの足音が来た。三人のうち、トルマが一番早く動いていた。
角を曲がると、トルマが荷袋を手に立っていた。表情に困惑があった。グニェルと荷運びはその後ろにいる。
「合図が来ましたけど、何かありましたか」
「水位が上がる可能性がある。退避台まで戻ってほしい」
「水位が、ということは採集への影響ですか」
「採集への影響ではなく、安全の問題だ」
「今の採集量はまだ上限の半分です。前回の反省もあって、今日は四袋持ってきました。あと半刻あれば上限近くまで採れます」
「それは分かっている」
「一刻半後に動くと言っていましたね。今合図が出たとすれば、まだ一刻ある計算になりませんか」
トルマの計算は間違っていなかった。ユークが前回の説明で「逆圧から一刻半後に水位が動く」と話していた。その通りに計算していた。
「逆圧の間隔が変わっている。今日は拍が昨日より速くなっている。それに合わせてタイムラグも変わる可能性がある」
「可能性、ということはまだ確定じゃないですね」
「確定する前に動く必要がある。確定してから動くと間に合わない」
「ですが、不確定な理由で今日の採集を切り上げるのは、うちとしては損失です。今日の日程は一週間前から調整しています。次に来れるのは二週間後になる」
グニェルが前に出た。
「トルマ」
「おじさん、俺の計算は合っています。一刻半のタイムラグがあるなら、まだ時間があります。管理人さんも確定じゃないと言っている」
「管理人さんが鳴らした、ということは、確定じゃなくても鳴らす判断をした、ということだ」
「それが問題です。不確定なら採集を続けて、確定したら退避台へ移ればいい。どうせ退避台は安全なんでしょう」
ユークはトルマを見た。
「一つ確認させてくれ」
「どうぞ」
「今の水位の上昇は、今日の採集作業が原因だと思っているか」
トルマは少し止まった。
「……そういうわけじゃないですが」
「今日の逆圧は、採集者の三人が前砦を出るより前から来ていた。採集と無関係な場所で、すでに圧力が上がり始めていた。今日の水位上昇は採集量の問題ではない。お前たちがあと半刻採っても採らなくても、水位は上がる」
「それはなぜですか」
「旧堰が関係している可能性がある。前砦地下の処理構成の奥に、旧図には記録されていない構造物がある。そこから圧がかかっている。今日の拍の間隔が縮まったということは、その圧が増している」
トルマが少し黙った。
「だったら採集者が出てもいいんじゃないですか。採集作業が原因じゃないなら」
「採集者がいる間に水位が上限を超えると、前砦へ戻る通路が水を含み始める可能性がある。その状態で荷を持って歩くのは危険が増す。採集量は二番目の問題だ」
グニェルがトルマの腕を軽く引いた。
「行くぞ」
「おじさん」
「損失の話は後で管理人さんとする。今は退避台に行く。それだけだ」
トルマは荷袋を持ったまま、少し表情を固くした。それから「分かりました」と言った。
四人で退避台へ向かった。
*
退避台は第一分岐の手前の広がりだった。壁の一面が平らになっていて、石台が二つある。以前、荷置き一時台として作ったものが、今は退避用として機能していた。
三人が石台に荷袋を置いた。
ユークはシルクスのパスを確認した。逆圧拍が続いている。間隔はさらに縮まっていた。
「今から前砦に戻ってミレアと水位を確認する。状況が落ち着いたら迎えに来る。それまでここにいてくれ」
「どのくらいかかりますか」とグニェルが聞いた。
「分からない。一刻かもしれないし、早く落ち着けば半刻で戻れる」
「分かりました」
ユークは前砦へ走った。
*
前砦に戻ると、ミレアが地下の方向から上がってきた。
「水位が四番目に来ました。確認したのは今しがたです」
「何時に動き始めた」
「シルクスの逆圧感知から、一刻で来ています。いつもより半刻早い」
「間隔が縮んだ分、タイムラグも縮まった」
「そうなります。今の速度が続けば、五番目に来るのはあと半刻以内かもしれない」
「グランに板を入れてもらう。今すぐ」
パスを通じてグランに指示を出した。仮板の設置。流路を絞る位置に入れてくれ、と。グランから了解の振動が返ってきた。
「モルトは」
「今朝から処理を続けています。水量が増えているので少し重そうですが、眠りかける状態ではありません」
「五番目に来る前に板が入れば、モルトへの負荷は抑えられる」
ミレアが水位目盛りを確認するために地下に向かいかけた。
「待ってくれ。観測孔の方を確認したい」
「一緒に行きます」
二人で地下へ降りた。
グランがすでに仮板の設置を始めていた。流路の入口で石板を持ち、嵌め込む角度を調整している。
ユークは観測孔の方へ向かった。砂利の上に立って、石蓋のある場所を見た。
石片が止めていた観測孔から、空気が漏れていた。いつもより強い。
「空気の量が増えている」
近づいて確認した。観測孔の縁から、細い水の筋が出ていた。
昨日まではなかった。今日初めて見る。
ルーメに光を差し込んでもらった。
灰青色が出た。昨日より濃い。揺れていた。
「漏れている」
「今まで空気だけだったものが、水になった」とミレアが書いた。
「観測孔から灰青水の漏出を確認。初回確認。漏出量は微量」
「旧堰の側で何かが動いた」
「旧堰が開いたということですか」
「開いたのか、圧が高くなって隙間から出てきたのかは分からない。ただ、内側の圧力が上がって、今まで保っていた均衡が崩れたことは確かだ」
グランが仮板を入れた。水音が少し変わった。流入量が絞られた。
モルトが処理場の縁を動いた。水量が減った分、ペースを落とした。
ユークは観測孔の縁から漏れる灰青の水を見た。細い筋だった。まだ量は少ない。だが、今まで観測孔の空気だけを通していた場所から水が出ている。
「このまま漏れ続ければ、量が増える」
「いつまでに増えますか」
「今の量では今日中に問題になるとは思わない。だが今日の変化を記録して、明日以降と比べる」
「記録します」
「旧堰の側に直接行く必要が出てくる前に、できることを確認しておく必要がある。今日の漏れが始まりなら、明日はさらに増える可能性が高い」
ミレアが書いた。「旧堰側への直接調査の必要性、今日の漏れ量記録との比較で判断。明日以降の優先度を確認」
地下の水音が少し穏やかになっていた。仮板が機能している。グランが流路を離れ、地下の奥に戻っていった。
ユークは観測孔の縁に滲む灰青の水を見た。
止まっていない。細く続いている。
「退避台に戻る。グニェルたちを前砦に案内する」
「水位は今の四番目から上がりますか」
「グランが板を入れた。上がるとしてもゆっくりになる。今の段階では安全範囲内だ」
「了解しました。私は記録を続けます」
ユークは地下を出た。
*
退避台に戻ると、三人が石台に座っていた。グニェルが腕を組み、トルマが今日の採集量を計算していた。荷運びは壁に背をつけて待っていた。
「前砦に戻れる。水位は落ち着いた」
三人が立ち上がった。
退避台から前砦への道を歩きながら、グニェルが言った。
「原因が旧堰だとして、次の利用の時も同じことが起きますか」
「起きる可能性がある。旧堰の問題が解決するまでは、同様の中断が起きうる」
「解決の見通しはありますか」
「今動いている。時期の約束はできない」
「それは困りますね」とトルマが言った。口調はとがっていなかった。さっきより落ち着いていた。
「困るのは分かる。ただ、今日の水位上昇は採集者の存在と無関係だった。採集量の問題でも、今日の荷袋の数の問題でもない。前砦地下の構造の問題だ。それを先に言うべきだった」
「前砦側の問題を、こちらが負担する形になっています」
「そうだ。今日の分については、利用料を減額する。上限まで採れなかった分に対して、補填する方法を考える。ミレアと話してくれ」
トルマが少し間を置いた。
「……補填まで考えてくれるとは思っていませんでした」
「今日起きたことは、今日の規則では対応できていなかった。規則の外で起きた問題だ。それはこちらの責任になる」
グニェルが少し頷いた。
「規則に追加できますか。今日のような場合の中断基準を」
「追加する。今日から作る。環境異常時の即時中断と、その場合の利用料の取り扱いを明示する」
「それがあれば、次回も来やすくなります」
前砦の扉が見えた。
ミレアが扉の前に立っていた。水位記録を手に持っていた。
「今の水位は四番目のまま安定しています。仮板が機能しています。グランの確認も取れました」
ユークはグニェル一行を前砦に案内した。
受付台の上に、今日の記録が並んでいた。採集量の記録、入退場時刻、水位の変化、シルクスの逆圧拍の時刻。それと、ミレアが書き足した一行。
「環境異常時の即時中断規程、本日付で新設予定」
「先に書いていたのか」
「書いておいた方が話が早いと思ったので」
グニェルが確認書の写しを受け取りながら、その一行を見た。
「速い」と言った。
「今日起きたことを今日規程にする。それだけです」
グニェルが確認書を外套の内ポケットにしまった。
「次の利用の連絡はいつできますか」
「旧堰の状況が確認できれば、その後で調整する。今週中に連絡できるかを確認する」
「分かりました」
グニェル一行が荷馬車に戻った。
ユークは前砦の入口から、縄の向こうで荷馬車が動き出すのを見た。荷運びが手を振った。トルマは振り返らなかった。グニェルがこちらを見て、小さく頭を下げた。
前砦に戻ると、ミレアが地下への入口を指さした。
「観測孔の漏れは続いています」
「今夜も確認する」
「漏れ量が増えていますか」
「今朝より増えている。旧堰が今夜どう動くか次第だ」
シルクスからのパスが届いた。逆圧拍の間隔が、採集者が退避してからも変わらず続いている、という感触だった。
採集者が出ても、拍は止まっていない。
前砦地下の奥で、旧堰から灰青の水が細く漏れ続けていた。




