第58話 荷馬車は地面を壊す
朝、前砦の扉を開けると、ドーランが広場の端に立っていた。
定期便の日ではなかった。荷を持っていない。石畳の上をゆっくり歩きながら、足元を見ていた。歩いては止まり、また歩く。
「何をしている」
「地面の確認だ」とドーランは言った。
「昨日の話が気になった」
昨日、ドーランは「荷馬車の位置を間違えるな」と言って帰った。自分で言っておいて、次の朝に足を確かめに来ている。言いっ放しにしない人間だと、ユークは思った。
「グランに頼んであった。朝に確認させようと思っていた」
「それを待たずに自分で見た方が早いと思った。地盤のことはグランの方が分かるが、荷馬車が止まる場所がどこかは、俺の方が読める」
ドーランは広場の中央から少し外れた位置で止まった。街道から前砦の入口にかけて、自然に車が流れる動線の上だった。
「荷馬車の御者は、荷の積み下ろしがしやすい位置に止める。前砦の入口に近い方が楽だ。石畳の続きに止めようとするはずだ」
「昨日の話で、広場止まりにした」
「広場と言っても広い。石畳の端の辺りは、前砦の床下水路と近い。どこまでが安全か、それが問題だ」
ドーランが足踏みをした。石畳を、かかとで軽く叩く動作だった。
「足の感触を読んでいるのか」
「長いこと荷を運んでいると、地盤の硬さが音と振動で大体分かる。ここの石畳は前砦に近い部分が少し響く。ここより奥は止めない方がいい、と昨日から思っていた」
ユークはドーランの立っている位置を確認した。前砦の壁から、大人の歩幅で十二、三歩ほど離れていた。
「グランを呼んでくる」
*
グランはすでに前砦の外縁にいた。昨夜のうちに広場の確認をするよう伝えておいたので、朝から動いていたらしかった。
ユークがパスを通じて呼ぶと、石畳の脇から低い振動が返ってきた。来た、という合図だった。
グランが広場に出てきた。その巨体が石畳を踏むたびに、低い重みが足の裏に伝わった。グランは広場の端からゆっくりと前砦に向かって歩き始めた。
「空洞がある場所で止まってくれ」
パスを通じて伝えた。
グランが歩いた。一定のペースで、石畳を一枚ずつ踏んでいく。ドーランが横で見ていた。
前砦の壁まで残り七、八歩というあたりで、グランが止まった。
前脚を高く上げた。そして、石畳の一枚を軽く叩いた。
音が変わった。
それまでの詰まった重い音とは違う、少し遠い音だった。太鼓を叩いた時に近い。下が空洞になっている時の音だ。
「ここか」とドーランが言った。
「そうだ」
グランがその場で止まったまま、前脚で半径一間ほどの範囲を叩いて回った。同じ音が続く範囲を探っている。前砦の壁に近い側は響く。広場の中央側は少し変わる。
グランが叩き終えて、ユークの方を向いた。
「範囲が分かるか」とユークが聞いた。
グランから感触が返ってきた。前砦の壁から外側に向かって、四、五間ほどの範囲が響く。前砦の床下水路がそこまで延びている可能性がある。
「ドーランが止まっていた位置はどうだ」
グランが動いた。ドーランが昨夜指摘した「ここより奥は止めない方がいい」という位置まで戻り、同じように叩いた。
音が締まった。響きがなかった。
「ここから先は安全ということか」とドーランが言った。
「グランの判定では、そうなる」
「十分だ。ここに荷下ろし場を作ればいい。御者が荷を下ろして担いで運ぶ距離は増えるが、あの距離なら文句は言えない範囲だ」
「グニェルは不満を言うかもしれない」
「言うかもしれない」とドーランは繰り返した。「ただし、商人が本当に困るのは、地盤が沈んで荷馬車ごと落ちることだ。そっちの方が損が大きいと説明すれば、大半は聞く」
「説明の仕方が分かるか」
「距離より損得だ。前砦の床下が抜けたら、荷馬車の修理と荷の損傷で、運賃の何倍も飛ぶと伝えれば、大体の商人は計算する」
ユークは手帳に書いた。「荷下ろし場位置確定:前砦壁から広場方向に六間。グランの叩き確認で安全地盤。荷馬車は広場入口よりこの位置で停車。御者の移動は十五歩程度」
「ミレアに伝える。今日中に仮の境界を引く」
「杭か縄か」とドーランが聞いた。
「縄でいい。グニェルが来る前に立てておけばいい。正式な設備は後でグランに石を積んでもらう」
*
ドーランが縄の手配を申し出た。前砦の倉庫に使い古しの縄があるかどうかを確認しに入るついでに、ミレアに地盤確認の結果を伝えるためだった。
ユークはグランと広場に残った。
グランが地盤を確認した範囲を、もう一度ユークは歩いた。ドーランが止まった位置から前砦の壁まで。音の変わり目が、確かに前砦の壁から数間のところにある。
「前砦の床下水路は、この辺りまで来ているということになる」
パスを通じてグランに言った。
グランから短い返答が来た。おそらくそうだ、という感触だった。
「旧図には記録がなかった。グランが通した三段処理構成の奥にある第五沈殿槽系も含めて、床下の水路がどこまで延びているかは、まだ全部確認できていない」
グランがまた何かを伝えようとした。今度は少し長い感触だった。
広場の外れの方向。石畳が切れて砂利が始まる境目の辺りを、グランが視線で示した。
「そっちに何かあるか」
グランが歩いた。砂利の上に出て、一か所で止まった。前脚で砂利を少しかき分けた。
砂利の下から、石の端が見えた。
石畳の続きかと思ったが、違った。大きさが違う。石畳の一枚分よりひと回り大きく、縁が丁寧に整えられていた。
ユークは近づいた。しゃがみ込んで砂利をもう少し動かした。石の表面が露わになった。
平らな石板だった。縁に細い溝が入っていた。持ち上げるための手がかり溝だ。嵌め込んで設置するタイプの石蓋だった。
「これは」
グランが砂利をもう少しかいた。石蓋の全体が見えた。縦横それぞれ大人の腕の長さほど。前砦の観測口と同じ規格に近い。
石蓋の縁に、何かが刻まれていた。泥と砂利が詰まっていて、全部は読めない。
ユークは手帳の端で、詰まりを少しかき出した。刻印の一部が見えた。
監督院の旧紋章ではなかった。もっと古い意匠だった。二重の円の中に、縦線が入っている。見覚えがあった。
以前、保守導線の入口で見た刻印と同じ系統だった。ただし、形がそれより一回り古い。
「開けるか」とグランに問いかけた。
グランが少し待つような感触を送ってきた。今すぐ開けることへの、静かな慎重さだった。
ユークは石蓋を見た。
グニェルが来るのは明日だ。荷下ろし場の位置は確定した。縄の境界を今日中に立てれば、明日の利用に間に合う。この石蓋の確認は、明日の作業とは別だ。今日無理に開ける必要はない。
「今日は開けない」
グランが短く返答した。了解、という感触だった。
「砂利を戻してくれ。位置は手帳に記録する。荷下ろし場の整備が終わった後で、改めて調べる」
グランが砂利を戻した。石蓋が見えなくなった。
ユークは位置を手帳に書いた。「砂利下、石蓋発見。前砦壁から南に八間、荷下ろし場確定地点の二間東。縦横各一間半。縁に古式刻印。旧紋章ではなく、より古い様式の可能性あり。開蓋は未実施」
*
前砦に戻ると、ミレアが縄を手に持って立っていた。倉庫にあった古い縄だった。
「荷下ろし場の位置は確定しましたか」
「確定した。前砦壁から六間のところに縄を張ってくれ。荷馬車はその外側に停車させる」
「杭は」
「ドーランが裏の木材を確認している。使えるものがあれば今日中に打てる」
「記録します。荷下ろし場設置、位置は前砦壁から六間。グランの地盤確認済み。荷馬車の乗り入れ禁止範囲は壁から六間以内。縄張りは本日中」
「そうしてくれ」
「もう一点。砂利の下の石蓋について、記録に入れますか」
「入れてくれ。今日開けたわけじゃないが、位置と状態は記録に残す。発見日と刻印の様式についても」
「刻印の拓本は取りましたか」
ユークは少し考えた。
「取っていない。砂利の下だったから、手帳の端で少しかき出した程度だ」
「明日の利用が終わった後で、拓本を取りに行きましょう。紙を用意しておきます」
「頼む」
ドーランが木材を二本抱えて戻ってきた。
「倉庫にあった。釘も何本かあった。これで杭が打てる」
「助かる」
「荷下ろし場の位置は決まったか」
「決まった。今から縄を張る」
「俺も手伝う。荷の扱いは分かるから、動線の角度も一緒に見る」
三人で広場に出た。ドーランが木材を持ち、ユークが位置を示し、ミレアが縄を渡す。グランが杭の位置に前脚を当てて押さえ、ドーランが石で頭を叩いて打ち込んだ。
大仕事ではなかった。杭を四本打って、縄を渡して、端を結んだだけだ。
縄が張り終わった。
前砦の壁から六間のところに、細い縄が一本伸びた。荷馬車はここより前に入れない。荷下ろし場はこの縄より前砦に寄った部分に作らない。採集品はここで馬車から降ろして、前砦まで人の手で運ぶ。
「御者が見て分かるか」とドーランが言った。
「分かると思う。ただし、目に入りやすいように縄に何か布を巻いた方がいい」
「前砦の中に古い布があった。赤みのある色だ。ルーメの橙の色に近い」
「それを使う。止まるべき場所は目立つ色にしておいた方が、理由なく手前で止まれる」
「それでいい」とドーランが言い、倉庫の方へ戻った。
ユークはグランを見た。グランは縄の端の杭を前脚で軽く押した。動かなかった。
「明日の利用の間、広場の端にいてくれるか」
グランが短く返答した。いる、という感触だった。
「グニェルの荷馬車が縄の手前で止まるかどうかを確認してくれ。縄を越えようとしたら教えてくれればいい。止めに行く必要はない。俺が対応する」
グランがまた短く返した。
*
夕方、ミレアが今日の記録を整理した。
「今日の作業内容、まとめます。グランによる広場地盤確認、荷下ろし場位置の確定、縄張り設置、砂利下石蓋の発見と記録。以上でよいですか」
「合っている。石蓋の件については、次の調査予定も入れてくれ。グニェルの利用が終わった後で開蓋調査を実施する予定、という形で」
「入れます。調査予定日は三日後以降、拓本の準備は明日中に完了予定。以上を追記します」
「頼む」
ドーランが帰り支度をしながら言った。
「一つ確認しておく。あの石蓋、お前は何だと思っている」
「排水口の可能性がある」とユークは言った。
「ただし、刻印が旧紋章より古い様式だった。前砦が今の形になる前から、あそこに何かがあったことになる」
「古い施設ということか」
「旧図に記録がなかった区域だ。第五沈殿槽系の一部かもしれないし、それより前に作られた何かかもしれない。今は分からない」
「分からないのに今日は開けなかった」
「明日グニェルが来る。地下から何かが噴いたり、圧が変わったりすれば、利用を中断させることになる。蓋を開けるなら、利用がない日を選んだ方がいい」
ドーランは少し考えてから頷いた。
「それは正しい順番だ」
前砦の灯りが、夕方の光に溶けていった。砂利の下に石蓋がある。明日はグニェルが来る。その順番で、今夜は終わる。
ユークはシルクスのパスを確認した。今夜の振動記録は、逆圧が夜に入ってから強くなるパターンだった。仮板を今夜も入れる必要がある。
「グラン、夜に仮板を頼む」
グランから低い了解の振動が返ってきた。
前砦の夜が始まった。石蓋は砂利の下で静かにしていた。




