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第57話 利用日と水位表

 朝の確認が終わって前砦に戻ると、扉の前にグニェルが立っていた。

 四十代の商人だ。ラシャ布の外套に旅の埃がついていた。街道を歩いてきたらしかった。今日は荷馬車を連れていない。一人で来ていた。


「管理者殿、早朝に申し訳ありません。返信をいただいたので、日程を直接確認しに参りました」


「中へ入ってくれ」


 グニェルが前砦に入ると、ミレアが受付台の奥から顔を上げた。記録帳を整理していた。


「グニェルさんですね。おかけください」


 グニェルが椅子に座った。外套の内側から、こちらの返信書を取り出した。ミレアが出した短いものだった。「受け取った、準備が整い次第連絡する」という一文と、署名だけの内容だ。


「こちらを拝受しました。ありがとうございます。それで、日程なのですが、三日後の昼を希望しています。できればその日に初回利用をさせていただきたい」


 ユークは手帳を開いた。三日後の日付を確認した。

 シルクスの振動記録と、ミレアが作った水位照合表が頭に浮かんだ。一週間分の記録が揃っている。三日後の夜は、逆圧振動が来るパターンに当たっていた。


 夜間の水位上昇は、昼からの逆圧振動に始まる。一刻半のタイムラグがある。昼に使い始めれば、採集作業が終わる頃に水位が動き始める計算になる。


「三日後の昼は、少し難しい」


「難しい、というのは」


「その日は地下の水位が夜に向かって上がる可能性がある。利用者が中にいる時間帯に処理槽の状態が変わると、採集を中断させることになる。中断した場合、採集量が予定より大幅に減る。商人の側にとっても良くない」


 グニェルは少し考えた顔をした。


「水位が上がると、利用を止めるということですか」


「止める場合がある。水位が処理上限に近づいた場合は、外縁区画の利用者に退場してもらう必要がある」


「それはいつ判断するんですか」


「前砦地下の目盛りを確認しながら判断する。シルクスが地下から振動を拾ったタイミングから、水位が動くまでの時間は一刻半程度あることが分かっている。その間に退場してもらえれば、利用者に危険はない」


「では、事前に分かるということですか」


「ある程度は分かる。ただし一刻半の猶予は長くはない。採集を途中で切り上げて、荷物を持って退場するには十分な時間だが、作業を続けながら様子を見ていると間に合わなくなる可能性がある」


 グニェルは手帳に何かを書きながら聞いていた。


「三日後がその可能性がある日、ということですね」


「記録上は、その日は夜間水位上昇の周期に当たっている。昼の段階から逆圧が強くなりやすい日だ。利用を始めてから中断になる可能性がある」


「日程を変えろということですか」


「変えられるなら、翌日か翌々日の方が安定している。ただし、どうしても三日後でなければならない理由があるなら、条件をつけた上で受け入れることも検討できる」


 グニェルは手帳から顔を上げた。


「条件とは」


  *


「三つある」とユークは言った。


 ミレアが記録帳を開き、書き始めた。


「一つ目。採集量を通常の半分以下にする。入場時に採集品の上限重量を設定する。その重量を超えた時点で退場してもらう。水位が動く前に上限に達する設計にしておく」


 グニェルが書き留めた。


「半分以下というのは、利用料の計算はどうなりますか」


「利用料は採集量に連動する。半分の採集量なら、利用料も半分になる。初回の利用料については改めて話し合う。今日は日程と条件の確認だけにしたい」


「分かりました。続けてください」


「二つ目。利用は半日まで。朝の第二刻から昼の第四刻まで。それより後は前砦に戻って退場手続きを終えてもらう。採集量に達していなくても、時間になれば退場する」


「時間の管理は誰がしますか」


「前砦側で管理する。時間になったらシルクスを通じて退場の合図を出す。合図が来たら、残量に関係なく戻ってくること」


「合図の出し方は」


「前砦の鐘を鳴らす。一回鳴らしたら準備の合図、二回鳴らしたら退場の合図だ。鐘の音は外縁区画内まで届く」


 グニェルはそれを書き取った。


「三つ目。荷馬車は前砦の手前の広場止まりにする。前砦の床下に水路がある。荷馬車の車輪荷重が地盤に集中すると、床下の水路に負荷がかかる。車輪が前砦の床に乗り入れることは認めない」


「荷物の運搬は」


「徒歩で運ぶ。採集品を前砦まで持ってきて、前砦の外の広場で荷馬車に積む形にする。一往復で運べる量が採集上限になるので、半量制限とも合う」


 グニェルは書き終えて、少し考えた。


「……三つとも、初回だからという理由で付いていますか」


「そうだ。水位が安定している日に、問題なく利用できることが確認できれば、採集量と時間の制限は緩和できる可能性がある。荷馬車の乗り入れ禁止は、地下水路の配置が確定するまでは変えない」


「地下水路の配置が確定する、というのは」


「今の前砦地下の構造は、まだ調査中の部分がある。どこに水路があるかが分かれば、安全な荷下ろし位置を決められる。それまでは広場止まりにしてもらう」


 グニェルはまた書いた。それから手帳を閉じ、ユークを見た。


「三日後でなければならない理由があります。ラスティアで買い取り業者との約束が入っている。その日に戻れなければ、今期の取引自体が流れます」


「それは分かった。ただし、今言った三条件を守れる場合のみ、三日後の利用を受け入れる」


「条件を守れない場合は」


「その日の利用は認めない。取引が流れても、それは前砦側の都合ではない」


 グニェルは少し間を置いた。商人としての計算をしている時間だった。半量では採算がギリギリになるかもしれない。ただ、初回の実績が作れれば、次回以降の交渉材料になる。そういう判断をしているだろうと、ユークは思った。


「……分かりました。三条件を受け入れます。三日後の朝の第二刻に参ります」


「記録を取る。ミレア、確認してくれ」


 ミレアが手帳を読み上げた。


「利用日は三日後、朝の第二刻から昼の第四刻まで。採集量は通常上限の半分以下。荷馬車は広場止まり、前砦への乗り入れ禁止。利用料は採集量連動、金額は利用後に精算。以上を双方が確認した。日付は今日、確認者はユーク・フェルドとミレア・ノスト、利用申請者はグニェル・バルトノフ。以上でよいですか」


「合っている」とユークが言った。


「問題ありません」とグニェルも言った。


 ミレアが記録帳にそれを書き込んだ。グニェルに確認書の写しを渡すために、もう一枚書き直した。


  *


 グニェルが前砦を出た後、ミレアが「水位による受入制限条項について、利用規則の文書を改訂します」と言った。


「どんな形にする」


「水位が処理上限の七割を超えた日、または逆圧振動が朝から継続している日は、利用組数を通常の半分以下に制限する、という文言を追加します。具体的な数値の基準は、今週の記録から出します」


「七割という根拠はあるか」


「昨夜の確認で、五番目の目盛りで処理量がモルトの余力の七割に相当することが分かっています。目盛り五番目以上が高負荷日と定義できます」


「それを条項の基準にしてくれ。『水位目盛りが五番目以上の日』というのは分かりやすい」


「使います。加えて、逆圧振動の記録が連続した日も同様に制限する文言を入れます。逆圧が続いている日はその後に水位が上がる可能性が高いと、今の記録が示しています」


「それで条項を作ってくれ」


「今日中に書きます」


 ユークは記録帳を確認した。今日の照合表を見ると、三日後は夜だけでなく、昼の後半から逆圧振動が強くなるパターンが過去の記録に出ていた。グニェルへの制限が単なる用心ではなく、観測に基づく判断だということが確認できた。


「この三日後のパターンについて、ミレア、グニェルへの確認書に一行入れられるか。水位上昇の可能性があるため上記制限を設ける、という旨を」


「入れます。商人側に理由が分かれば、規則が恣意的でないと示せます」


「そうしてくれ」


 作業が続いた。


  *


 昼になる少し前、ドーランが前砦に来た。今週の定期便だった。

 補修油と乾燥布の袋を壁際に下ろしながら、前砦の中を見回した。グニェルの姿はもうなかった。


「さっき、ラスティアの方向から商人風の男が下りていくのとすれ違ったが」


「グニェルだ。三日後の利用日程を決めた」


「初回か」とドーランは言い、荷の口を解きながら続けた。


「荷馬車は持ってきたか」


「今日は一人で来た。三日後は馬車で来ると思う」


「馬車を乗り入れさせるつもりか」


「広場止まりにした。前砦の床には乗せない」


 ドーランが手を止めた。


「誰がそう決めたんだ」


「俺が条件に入れた。前砦地下に水路がある。荷馬車の車輪が地盤に集中すると、水路に負荷がかかる可能性がある。だから前砦への乗り入れは認めない」


 ドーランは少し黙ってから「なるほど」と言った。


「だが、広場止まりにしても、荷馬車はどこに停める」


「前砦の外の広場だ。砂利が敷いてある部分の端に停めれば、距離はある」


「距離があっても、荷馬車は重い。砂利の下が空洞なら、車輪荷重は地盤を通じて広がる」とドーランは言った。


「広場の砂利の下が安全かどうか、確かめてあるか」


 ユークは少し考えた。


「確かめていない」


「確かめておいた方がいいぞ」とドーランは言った。荷物の整理をしながら、念押しするように続けた。


「前砦地下に水路があって、その水路が前砦の床下だけに収まっているとは限らない。広場の下まで延びている可能性がある。グランに踏んで確かめてもらえ。空洞がなければ問題ない。あるなら、荷馬車を停めていい場所が別になる」


「……そうだな。今日中にグランに頼む」


「荷馬車の位置を間違えるな」とドーランは言い、荷を持ち上げた。


「三日後に事故が出てから気づいても遅い」


「分かった」


 ドーランが帰り荷の確認に移った。

 ユークは広場の方向を見た。砂利が敷かれた前砦の外の空間。今まで荷馬車を意識したことがなかったから、地盤の確認をしていなかった。前砦の床下の水路が広場の方向に延びていれば、荷馬車の荷重が地盤を通じて水路の天盤に集中するかもしれない。


「グランに頼む」とミレアに言った。


「今日中に広場の地盤確認をしてもらう。空洞の有無と、前砦地下の水路が広場の下まで延びていないかを確かめてもらう」


「グランへの指示、記録に入れます。確認結果は明日の朝に」


「それでいい。グニェルが来る前日には結果が出る」


 ドーランが帰りの荷を担ぎ上げた。前砦の扉が開いて、閉まった。

 ミレアが水位条項の文書を書いている音がした。ユークはパスを通じてグランに指示を飛ばした。広場の砂利の下を確認してくれ、と。グランから、重い了解の感触が返ってきた。


 水位表が一枚できた。利用日の三日後と、その前後の水位傾向が並んだ表だ。受入可能日と要制限日が色分けで分かるようになっている。

 グニェルへの確認書はすでに書き終わっていた。水位条項の改訂文が今日中に完成すれば、明日には利用規則の更新版が掲示板に出せる。


 三日後の利用が決まった。問題が出るかどうかは、その日になってみないと分からない。ただ、今できることは整えてある。

 前砦の外で、グランが広場の砂利を踏んでいる低い振動が、床を通じて伝わってきた。

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