第51話 限定開放規則
ラスティアの小商人——名をグニェルといった——は、ユークが差し出した受付台の椅子に座り、手持ちの申請書を広げた。
縦十五センチほどの紙に、びっしりと細かい字が詰まっている。
「こちらは、ラスティア商工組合の書式を参考に作ったものです。採集品の買い取り価格の交渉、利用日程の予約方法、事故時の補償範囲、それから……」
「少し待ってくれ」
ユークはグニェルの申請書を一枚受け取り、内容を読んだ。三分ほどかかった。
書いてあることは分かる。だが、ユークがここで必要なのは「申請者が持ってくる書式」ではなく、「灰環前砦が出す規則」だ。申請書を受け取ることと、ルールを渡すことは別の話だ。
「今日のところは申請書を預かる。ただし、今の段階でこちら側の規則がまだ文章になっていない。正式な返答は、数日後になる」
「もちろんです。では、いつ頃にお伺いすれば」
「三日後に来てくれ。前砦の受付台に掲示しておく」
グニェルは礼儀正しく頷き、前砦を出た。
その背中を見送りながら、ミレアが手帳を開いていた。
「三日、ということは明日には骨格が要りますね」
「そうだ。ドーランは今日来る予定だったか」
「昨日の報告では、ラスティアからの荷を届けに午前に来ると」
ちょうどその頃、前砦の扉が外から開いた。
ドーランが油の入った革袋を肩に担いで入ってきた。補修油と布の定期便だ。荷を壁際に下ろしながら、前砦の中を一瞥した。
「さっき出ていった男は何だ」
「ラスティアの商人だ。利用申請を持ってきた」
「正式な申請か」とドーランが言い、荷から手を離した。「で、規則はあるのか」
「今から作る。時間があれば付き合ってくれるか」
「ちょうど昼まで手が空いてる。話くらいなら乗ってやる」
三人がテーブルを囲んだ。ミレアが白紙を広げ、ユークが話しながらドーランが口を挟む形で作業が始まった。
*
「まず開放範囲を決める。外縁区画の安全帯まで。それより奥は封鎖継続だ」
「ここは変えない方がいいな」とドーランが言った。「奥が見えないのに入れると、必ず行きたがる奴が出る」
「同意だ。入場の人数と組数はどうするか」
ミレアがペンを走らせながら「一日あたりの上限を決めた方がいい」と言った。
「シルクスのログを見ると、同時入場者数が二組を超えたあたりから、互いの足音が干渉して検知精度が落ちています。安全管理の観点から、一日二組、一組三人以下がシルクスの処理限界に近い」
「シルクスの限界に合わせるのか」とドーランが少し意外そうな顔をした。
「モンスターの処理能力が、安全管理の天井を決めている。そこを無視すると、何かあった時に見落としが出る」
「なるほどな。じゃあ一日二組、三人以下か。それを破ったら?」
「その日の入場を止める。翌日以降の申請も、一週間停止にする」
ドーランはそれを聞いて「ずいぶん厳しいな」と言ったが、否定はしなかった。
「次に採集品の指定だ」
ユークが外縁区画の採集可能品リストを取り出した。前砦の記録帳から転記したものだ。低位鉱砂、副産物の灰泥砂、外縁安全帯の石材廃材の一部。これらは採集しても生態系への影響が少ない。一方で、外縁区画の壁面に生える灰苔や、水脈近くの堆積物は採集禁止だ。
「指定品以外は持ち出せないとする。持ち出した場合は没収して、翌週の採集権を停止する」
「確認する方法はあるか」とドーランが聞いた。「いちいち荷物を調べるか?」
「退場時に前砦で一度確認してもらう。シルクスが荷の重さの変化を拾っているから、入場時と退場時で大きな差があれば、俺に情報が来る」
「それは知らなかった」
シルクスが荷重まで記録していることを、ドーランは今初めて知ったようだった。一語で返す代わりに、少しの間何かを考えていた。
もう一点、緊急時の撤退条件をどうするか、という話になった。
「ルーメの灰赤が出たら即撤退。これは変えない」とユークが言った。
「問題は、灰赤の意味を知らない人間が入ってきた場合だ」
「入場時に説明するしかないだろう」
「説明したとしても、実際に見たことがない色を体で覚えるのは難しい。前砦の掲示板にルーメの色表示の一覧を出して、入場前に見せてから通す形にする」
「それで覚えられるかは分からないぞ」
「完璧には無理だ。ただ、見ていなかった場合は自己責任だと言える根拠になる。見せた記録が残る分、後で揉めた時に違う」
ドーランは「まあ、それが限界か」と言って、次の項目に移った。
*
前砦の扉が、また外から開いた。
ザグレスが外套の前を開けたまま入ってきた。今日が前砦に来る日だという連絡はなかった。ラスティア方面に仕事があったついでらしい。
「何をやってる」
「規則を作っている」
「規則か」とザグレスが言い、テーブルに並んだ白紙を見た。まだ骨格段階で、書き直した跡が何本もある。「どれくらいの長さになる予定だ」
「今のところ、七項目になっている」とミレアが答えた。
ザグレスは白紙を一枚手に取って読んだ。黙って最後まで読んで、紙を戻した。
「冒険者は読まないぞ」
「全部、ということか」
「いや、長い規則は読まない。五項目を超えると、大体の奴は途中でやめる。最初の二、三項だけ頭に入れて、あとは都合良く解釈する」
ドーランがそれを聞いて小さく頷いた。
「俺も大差ない。現場の奴は書いてある全部を読むより、目に入った部分で判断する」
「じゃあ短くする必要がある」とユークが言った。「どこを削れる」
「削るんじゃなくて、順番を変えろ」とザグレスが言った。
「最初に来るべきは、一番やったら困ることと、一番守れば得なことだ。細かい条件は後に回す。どうせ前半しか読まないなら、前半に全部詰め込め」
「具体的に言えるか」
「まず死なないための行動。灰赤が出たら即撤退、これが一番目だ。次が、そこから先は入るな、外縁奥は封鎖。三つ目が人数と組数。この三つさえ守れば大事故は防げる。残りは「その他の条件」としてまとめればいい」
ミレアが聞いていた。ザグレスの言い方は乱暴だが、論理は正しかった。
「実際にそれで機能しますか、経験から言って」
「完全には無理だ。でも、三項目なら九割の奴は頭に入る。七項目だと頭に入るのが半分以下になる。どちらがましかは明白だろう」
ザグレスは椅子を一つ引いて座った。正式に作業に参加するつもりらしい。
四人で規則を整理し直した。ザグレスとドーランが「使う側」の視点で口を挟み、ミレアが記録形式に落とし込み、ユークが最終判断を出す。
一時間ほどかかって、六項目に絞り込んだ。
一、ルーメの灰赤表示が出たら即座に撤退すること。
一、外縁安全帯より奥へは立ち入らないこと。封鎖区画への立入は、採集権の即時停止とする。
一、一日の入場は二組まで。一組の上限は三名。超過した場合はその日の入場を停止する。
一、採集可能品は指定品のみ。退場時に前砦で確認を受けること。
一、受付を通らずに入場した場合、採集権を停止する。
一、指定された条件に違反した場合、前砦の施設修繕作業を課す場合がある。
「六項目か」とザグレスが言った。
「まあ許容範囲だ。ただし掲示板は文字を大きくしろ。小さいと読まない」
「文字の大きさまで指定してくれるとは思わなかった」
「俺もかつては利用者側だったからな」
「助かる」
ユークがそう言うと、ザグレスは「礼はいいと言っただろう」と返した。
「言っていない。お前が以前そう言ったのは別の話だ」
「同じようなもんだ」
ドーランが二人のやり取りを横目で見ながら、紙のコップに水を注いでいた。何も言わなかった。
*
規則の骨格が完成した後、実装の作業に移った。
規則板は、グランが壁材を削り出した厚板を使った。前砦の入口から一番目に入る位置に立てる。グランが根元に石材を積み、板が傾かないよう固定した。軽く揺らしてみたが、動かなかった。
ルーメを規則板の前に誘導した。採集可能品の欄と封鎖区画の欄、それぞれの横に対応する色を光で示させる。採集可能品の横は穏やかな青緑。封鎖区画の横は灰赤。色の意味を文字と光で同時に示す形にした。
「これは良いな」とドーランが言った。
「字が読めない奴でも色は分かる」
「それを想定して作った。ただし、ルーメが規則板の前から離れると色が消える」
「ルーメがここにずっといるのか」
「交代で休憩を取りながら、前砦にいる時間帯だけは規則板の前にいてもらう。夜は消える」
「夜は誰も入らないのか」
「入れない。夕方に最後の利用者が退場した後は前砦の扉を閉める。夜間入場は認めない。その項目も規則に入れるべきだったか」
「七項目になるぞ」とザグレスが言った。
「夕方撤退は入場の時間帯として告知する形にする。別項目にはしない」
「それでいい」
シルクスには、入場人数の超過検知を追加で設定した。今まで「重さ」と「歩幅」で個体識別をしていたものに、前砦通過の際に一組あたりの人数をカウントする仕組みを加えた。三名を超えた場合、パスを通じてユークに通知が来る。
「これが作動した場合、すぐ対処できるか」とミレアが確認した。
「俺が前砦にいれば対処できる。前砦を離れている時は、シルクスが足音を記録するだけになる。記録が残れば、戻った後に規則違反として処理できる」
「リアルタイムで止められない場合がある、ということは記録しておきます」
「そうしてくれ」
フェズに対しては、特に新しい指示は出さなかった。これまで「封鎖区画に向かおうとする者を前砦へ戻す」という動きをしていたものを、そのまま正式な役割として固定する形にした。フェズが何をしているかを説明した時、ドーランが少し考え込んだ。
「フェズがそういう動きをしているのは分かった。だが、冒険者によっては『何かが自分を邪魔している』と感じて、逆に興味を持つ奴がいる。そういう奴への対処は考えているか」
「フェズの幻惑が効かない相手には限界がある。そういう相手には正面から「封鎖区画の先は退路が一本しかない」という説明をする。ザグレスが外縁奥を踏査して同じ判断を出している、という外部評価を出せれば、大体の冒険者は止まる」
「俺の名前を使うのか」とザグレスが言った。
「使っていいか」
「……構わない。ただし、俺がそう言ったという記録を作れ。後で曲解されると困る」
「ミレア、記録してくれ」
「しています」
ザグレスは少し笑った。声には出さない笑い方だった。
*
日が傾き始めた頃、規則板が完成した。
前砦の入口に立てられた板には、六項目の規則が大きな字で書かれていた。ミレアが書いた字だ。ユークの字より整っていて、遠くから読める。ルーメが板の横で穏やかに光を灯していた。
四人でそれを眺めた。
特に感動的な場面ではなかった。板が一枚立っただけだ。書いてある内容は当たり前のことばかりで、これで全部の問題が解決するわけでもない。
ドーランが最初に動いた。荷を担ぎ上げながら言った。
「三日後に商人が来る前に、これを一度利用者に見せておいた方がいいぞ。慣れていない人間は、その日に初めて見た規則を守るのが難しい。前日に予告しておいた方が事故が減る」
「次の利用者はいつだ」とユークがミレアに確認した。
「明後日の予約が一組入っています」
「明後日に来る前に、掲示板を見てもらうことを事前に伝える。記録に残してくれ」
「残しました」
ドーランは「じゃあ、俺はここで」と言って、前砦を出た。大きな背中が石畳を踏んで遠ざかった。
ザグレスも外套の前を合わせながら立ち上がった。
「規則が一枚できたからといって、守る奴ばかりじゃないぞ」
「分かっている。規則は守らせるためではなく、守らなかった時に対処するための根拠として作った」
「それが正しい使い方だな」とザグレスが言った。「じゃあな」
前砦の扉が閉まった。
ユークとミレアが残った。
ミレアが記録帳の最後のページに書き込んでいた。今日の作業内容、完成した規則の全文、四人の関与を示す記録、掲示板の設置場所。
「一つ確認していいですか」
「どうぞ」
「この規則の目的は何ですか。先輩の言葉で聞きたいんですが」
ユークは規則板を見た。
「管理者が利用者に命令するためのものじゃない。迷宮と利用者の両方が壊れないための導線だ。利用者がルールを知らずに危ない場所に入れば、利用者が死ぬ。守るべきものを採りすぎれば、迷宮が壊れる。その両方を同時に防ぐための線が、あの六項目だ」
ミレアはそれを書き取った。
「記録に残します。規則の目的として」
「記録しておいてくれ。後で誰かに聞かれた時の答えになる」
前砦に静かな時間が続いた。
片付けをしながら、ユークはふと管理盤の方を見た。前砦の奥、旧式の計器が並んだ台座だ。今日は特に用はない。ただ、視線がそちらに向いた。
台座の表示部分が、薄く光っていた。
いつもは薄い光が漏れている程度だが、今日は少し違う。文字が出ていた。
ユークは台座に近づいた。
表示は二文字だった。
接続
一秒ほどで、また消えた。
ユークはしばらくその場所を見ていた。
「何かありましたか」とミレアが声をかけてきた。
「コアが何か表示した」
「何と」
「接続、と一語だけ」
ミレアはその言葉を手帳に書き付けた。日付と時刻と、台座が光った持続時間の推定を添えた。
「どういう意味だと思いますか」
「分からない。ただ、仮認証の時は『仮認証』だった。今日は『接続』だった。一語変わった」
「前進しているということでしょうか」
「そうかもしれない。確かめる方法はない」
ユークは管理盤から離れた。
外縁奥はまだ封鎖中だ。水脈の変動も読めきれていない。今日の規則板は始まりで、三日後に商人が来れば、また別の問題が出る。全部が繋がっているわけでも、全部が解決しているわけでもない。
ただ、コアが今日「接続」と表示した。何かが、一語分だけ変わった。
「明日、ドーランへの連絡を出します」とミレアが言いながら荷物を整えていた。
「規則板の存在を前砦利用者に事前告知するための文書を作ります。私が書いていいですか」
「頼む」
「フォーマットを確認してから署名だけいただきます」
「分かった」
前砦の外縁から、夕方の風が入ってきた。ルーメが規則板の横で穏やかに光り続けていた。




