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第43話 仮管理者の説明責任

「コアの仮認証だ」


 ユークがそう答えるまでに、数秒かかった。

 外縁安全帯の終端。ルーメの青緑色の灯りが届く限界で、ミレアが「誰の権限で」と問うてから、ユークの脳内では答えの候補が一瞬だけ並んだ。王国の許可はない。監督院の命令もない。領主への届け出もしていない。


 残るのは一つだった。


「コアが俺を仮管理者として認証している。それがこの迷宮での権限の根拠だ」


 ミレアは表情を変えなかった。感情で反応せず、言葉を事実として受け取る。それが彼女の仕事の仕方だとユークは覚えていた。


「……見せられる? 何らかの形で」


「前砦に戻れ。管理盤がある」


 二人は来た道を引き返した。

 ルーメが足元で光を灯し、シルクスが壁際から静かについてくる。ミレアは歩きながら何も言わなかった。ユークも言わなかった。


 前砦の最奥、石壁が二重になった一角に、旧式の管理盤がある。正確には「管理盤の残骸」だ。計器のほとんどは死んでいて、目盛りを示す針も錆で固まっている。だが中心部だけは、薄く光が宿っていた。

 ユークが台座に手を置いた。


 ルーメが足元で一瞬、光度を上げた。

 壁面の小さな表示部分が、ゆっくりと浮かび上がる。


 【仮認証】


 それだけだった。

 続きはない。理由の説明も、ユークへの指示も、権限の範囲の説明も、何もない。ただ「仮認証」という二文字が、ぼんやりと灯って、消えた。


 ユークは無意識に、もう少し何かが出るのを待った。

 出なかった。


 コアはいつもそうだ。問いに答えるのではなく、状態を返す。「今これが起きている」という事実を一語で返すだけで、それ以上はない。

 ユークは手を台座から離した。


 ミレアは記録帳を開き、手早く書き込んでいた。日付、時刻、場所、「管理盤に『仮認証』の表示を確認。継続的に点灯する性質ではなく、接触による一時表示の模様」。

 書き終えてから、眼鏡の位置を直して言った。


「確認した。記録した」


「それで通るか」


「通らない」


 ミレアの返答は即座だった。


「これはダンジョンの内部システムが、あなたを現地の管理者として登録していることの証拠にはなる。でも、王国法上の管理権限の根拠にはならない。迷宮の承認と、人間社会の承認は別の話」


「分かっている」


「分かっていて、どうするつもりだったの」


 ユークは少しの間、黙っていた。

 正直に言えば、どうするつもりも何もなかった。現場が先だった。水が腐っていた。土砂が詰まっていた。死者が出かねない状態だった。それを直すことが先で、誰かに許可を取りに行く時間も、そもそも誰に取ればいいかも、分からなかった。


「現場が止まらなかった」


「それは分かる。でも、今は止まっていない。外縁区画は動いている。人が入っている。収益が出ている」


「収益じゃない。維持費だ」


「外から見れば同じよ」


 ユークは壁に視線を向けた。

 グランが固めた石組み。モルトが処理した水路の端。ルーメの光に照らされる空間。これを「違法建築」と呼ばれれば、反論できる言葉がない。形式上はそうなる。


「……なら閉じるのか」


 声に出してから、それが「反発」ではなく「確認」になっていることに気づいた。

 本当に閉じる選択肢があるのか。閉じれば何が起きるか。コアの出力が落ちれば入口層の管理が死ぬ。水脈の制御が止まればクルン村の井戸が悪化する。ここまで積み上げた運用が消える。


 それを分かった上で閉じる、という選択肢をユークは持っていない。


「閉じるためにも、説明が要る」


 ミレアは静かに言った。


「続けるためにも、閉じるためにも、どちらにせよ記録と説明は必要。今のあなたには、何かあった時に自分が何をしていたかを示す手段がない。記録はある。でも、外に通す形じゃない。それはさっき言った通り」


 さっき言った、とミレアは言った。42話の指摘の繰り返しではなく、前提として踏まえている言い方だった。


「俺が隠そうとすれば」


「もっと危ない。隠しながら運用すれば、何か起きた時にすべてが『不法行為の現場』になる。記録があれば、少なくとも『何をしていたか』は残る」


「記録があれば守られるのか」


「守られるとは言っていない。でも、記録がなければ確実に守られない」


 ユークは管理盤の残骸を見た。

 「仮認証」の一語は、もう消えていた。


 コアはそういうものだ。状態を返すが、保証はしない。助けを約束しない。ただ今の事実を示すだけ。

 それでも、ユークはここにいる。


「……分かった。何が要る」


 ミレアはすでに記録帳のページをめくっていた。


「三つ。入退場の記録、事故の記録、施設の維持状況。この三点を、外部の人間が読める形で整理する。あなたの記録はある。私が形式を整える」


「俺の字は汚い」


「読める?」


「読める」


「なら問題ない。内容はあなたが確認して、最後に署名する。形式は私が作る。翻訳作業だと思って」


 ユークは受付台の裏から記録帳の束を引き出した。乱雑に積み上げられた十数冊。日付の書き方も、項目の立て方も、統一されていない。現場で必要な情報を必要な順に書いていただけだから、体裁はない。

 ミレアはそれを受け取り、一冊目をめくりながら小さく眉を動かした。眉をひそめるとまでは言えない。ただ、何かを確認している顔だった。


「……内容は十分。記録密度は監督院の現役職員より高い」


「それは」


「褒めている。でも形式が通らない、という話は変わらない」


 二人でテーブルを挟んで向き合った。

 ミレアが新しい帳面を広げ、項目を立てた。ユークはシルクスの入退場ログを読み上げた。パスを通じて伝わってくる情報を、声に出して整理する。


『――イリ、ヒトリ。ハキモノ、フツウ。カエリ、フォルム、イジョウナシ』


 シルクスの振動記録は精密だった。誰がいつ入り、何時間滞在し、帰り際の歩幅に乱れがなかったか。日別で積み上げれば、事故発生件数ゼロが数字として出てくる。


「これ」とミレアが言った。「事故ゼロの根拠になる。この記録を日付順に整理して一冊にまとめれば、最低限の安全管理の証拠になる」


「シルクスのログをそのまま写すのか」


「書き直す必要はない。あなたが日本語で要約して転記するだけでいい。『〇月〇日、入場者〇名、退場〇名、負傷者ゼロ』。それだけで記録として機能する」


 次にモルトの処理量だ。

 ユークが処理槽の側面に刻んでいた泥量の目盛りを引き出すと、ミレアはそれを水質改善の時系列に重ねた。


「モルトの処理量が増えた時期と、クルン村の井戸濁りが下がり始めた時期が一致する。この相関を並べれば、迷宮の稼働が地域水質の改善に繋がっているという記録になる」


「そういう見方をするのか」


「外から見ればそうなる。あなたは『やって当然だからやった』と思っている。でも、それを見たことがない人間には証明が要る」


 ユークは少し黙った。

 水質改善を「証拠」として使う発想が自分にはない、と改めて気づいた。現場の問題だから直した。それ以上でも以下でもなかった。ミレアの見方は、現場の結果を社会の言語に変換する作業だ。


「分かった。その方向で整理する。帳面を分けてくれれば、中身は俺が埋める」


「三冊に分ける。一冊目が入退場と事故記録。二冊目が施設の維持状況と修繕履歴。三冊目が採集量と水質の変化記録」


 ユークはペンを取り、新しい帳面の表紙に書いた。

 ミレアは隣で二冊目の表紙を書いた。同じ書体ではない。彼女の字は整っていてユークの汚い字とは似ても似つかないが、同じ文言だ。


「表紙だけ私が書いてもいい?」


「構わない」


「じゃあ揃えておく。後で並べた時に見栄えが違いすぎると、外部の人間に雑な印象を与える」


「そこまで気にするか」


「気にする。内容が正しくても、見た目が雑なら信用されにくい。理不尽だけど、それが現実」


 ユークは記録帳の転記を始めた。ミレアは項目の整理を続けた。

 前砦に、ペンの音だけが続いた。


 書いている途中で、ミレアが一度だけ手を止めた。


「一点、確認させて」


「何だ」


「私がここにいることを、監督院に報告するかどうか。今は報告しない。でも、いつかは動く必要が出る。その時に、あなたに連絡なく動くことはしない」


「お前が決めていい。俺には口を出せない立場だ」


「分かっている。でも、言っておきたかった」


 そのまま二人は作業を続けた。

 日が大きく傾いた頃、三冊の帳面に骨格ができた。


 完成ではない。過去の記録の転記はまだ残っている。水質記録は明日もう一度シルクスのログと照合が必要だ。でも、「灰環前砦運用記録」という形式が存在した。

 外に通す最初の形が、できた。


 ユークは三冊を並べて見た。

 現場は変わっていない。入口層は今日も動いている。モルトは今この瞬間も処理槽で泥を食い、シルクスは石畳の下で振動を拾い続けている。何も増えていないし、何も解決もしていない。


 ただ、それが「記録されている現場」になった。

 そこへ——。


 シルクスから、魔力パスを通じて短い警告が届いた。

 ユークが立ち上がった。ルーメが足元で赤く光った。


 前砦の西側。受付を通っていない足音。シルクスが歩行振動から弾いた体重と歩幅は、採集者のそれではない。荷物も持っていない。迷宮に入ろうとして入口を探している動き方だ。

「来た」とユークは言った。


「何が?」


「無札の侵入者だ」


 ミレアは記録帳を閉じて立ち上がった。


「記録してもいい?」


「するなら正確に」


「当然」


 二人は前砦の扉を開けた。

 作ったばかりの三冊の帳面を横目に、今度は現場の問題が始まる。

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