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第28話 最初の試験入場

 灰環前砦グレイサーク・フロントに設けた即席の受付カウンターの前で、ユーク・フェルドは三組の来訪者たちを静かに見据えていた。


「本日は試験開放日です。入場をご希望の方は、こちらの『利用規則』を熟読の上、同意いただける方のみ、受付へお進みください」


 ユークの淡々とした声に、来訪者たちは顔を見合わせた。

 誰もいない廃墟だと思ってやってきた場所に、いきなり管理者を名乗る男が立ち、ルールの遵守を求めてきたのだ。戸惑うのも無理はない。


 集まったのは、計八名。三つのグループに分かれている。


 一組目は、使い込まれた剣や革鎧を装備した、二十代後半ほどの中堅冒険者三人組。身のこなしに隙がなく、迷宮の危険性を熟知している様子だ。噂の真偽を確かめるために斥候として来たのだろう。

 二組目は、分厚い作業着に大きな背負い籠を持った、初老の採集者二人組。武器は護身用の鉈程度で、戦闘よりも素材集めを専門としている。クルン村か、その近隣の村の住人かもしれない。


 そして三組目は、真新しい剣とピカピカの胸当てを装備した、十代後半の若い男女三人組。冒険者になったばかりで、まだ死の恐怖を知らない、落ち着きのない視線を周囲に彷徨わせている。


「……本当に、あんたがここを管理してるのか? 王立迷宮監督院の役人には見えねえが」


 中堅冒険者の一人が、ユークの軽装を見て疑しげに尋ねた。


「監督院は無関係です。私はここの専属の管理人です」


 ユークは嘘をつかずに答えた。


「入場は一日三組までと定めています。今日はちょうど三組ですね。入るも帰るも自由ですが、入るならルールは絶対です」


 ユークは受付カウンターの横に掲げた木板を指し示した。


「許可エリアは、地図にある『外縁区画』のみ。青緑色の光に沿って歩いてください。赤紫の光や、点滅する黄色い光の先は『完全進入禁止』です」


 ユークは石の台の上に置いた鉄鉱石と砂の小瓶を軽く叩く。


「持ち出しが許可されているのは、この見本と同じ『低位鉱石』と『魔力濾過砂』のみ。壁の魔力石を剥がしたり、建材を壊したりした場合は、即座に退場と以後の出入り禁止を申し渡します。……日没前には必ずここへ戻り、報告をしてください」


 威圧するわけではない。だが、交渉の余地を一切挟ませない実務的なトーン。


 初老の採集者たちは、互いに頷き合って最初に受付へ進み出た。


「わしらはルールに従うよ。昔の灰環は怖くて近づけなかったが、安全な道があるなら、石拾いだけでも十分な稼ぎになる」


 彼らはユークの用意した名簿に簡単なサインを残した。


 続いて中堅冒険者たちも、「まあ、様子見だ」と肩をすくめながらサインをした。

 最後に若い三人組が、少し不満そうに口を尖らせながら受付に来た。


「なんだよ、せっかくすげえ宝を見つけてやろうと思ったのに。石と砂しか拾っちゃダメなのかよ」


「文句を言わないの。とにかく入ってみましょ」


 彼らもサインを済ませた。


「手続き完了です。退避合図の『高い金属音』が鳴った場合は、すべてを放り出して入り口へ戻ってください。では、気をつけて」


 ユークの言葉を背に受けて、三組八名の人間が、灰環迷宮のアーチをくぐっていった。


 ユークは受付カウンターに座ったまま、目を閉じ、魔力パスを通じて迷宮内部の『感覚』に意識をシンクロさせた。


『……人間、八名進入。足取り、バラバラ』


 天井付近に張り巡らされたシルクスの警戒糸が、彼らの歩行による振動を正確に拾い上げ、ユークの脳に伝達してくる。

 フェズは完全に気配を消し、グランも崩落の土砂の影で岩になりきっている。モルトは奥の水路で静かに泥を消化している。


 モンスターたちは、決して人間の前に姿を現さない。


 利用者の目には、ただ「淡い光に照らされた、不思議と歩きやすい廃墟」にしか見えていないはずだ。


 パスを通じて伝わってくる振動から、彼らの反応が手に取るように分かった。


 最初は恐る恐る足を踏み入れた中堅冒険者たちが、次第に歩調を早めていく。


「……おい、なんだこの道。床が完全に固められてるぞ」


「この青緑の光、魔力石じゃない。生き物みたいに明滅してる。……だが、これに沿って歩けば確かに泥の沼を避けられるな」


 彼らは、グランの土木工事とルーメの視覚誘導の恩恵を、プロの目線で的確に評価していた。「危ないが、分かりやすい」。ドーランが言っていたのと同じ感触だ。


 初老の採集者たちは、安全導線の端に転がっている土砂の中から、手際よく低位鉱石を拾い集めている。彼らは欲をかかず、青緑の光の範囲から一歩も出ようとしない。


 だが、問題は三組目の若者たちだった。


「ねえ、なんか退屈じゃない? 魔獣も全然出てこないし」


「道端の石っころ拾って帰るなんて、冒険者らしくねえよなあ」


 彼らは安全導線を歩きながらも、周囲の壁の窪みや、崩落の跡などに過剰な興味を示し、立ち止まってはウロウロと歩き回っている。

 彼らが立ち止まると、その後ろを歩いていた中堅冒険者たちや採集者たちの進行が詰まってしまう。一本しかない安全導線で渋滞が起きれば、思わぬ事故やいさかいの原因になる。


「……少し、流れを整えるか」


 ユークは直接中に入って「早く進め」と怒鳴るような真似はしない。彼は管理者だ。現場のルールは、システムで制御する。


「ルーメ。若い連中の足元の光を少しだけ落として、前方十メートルの光を少し強めろ。『進まないと暗くなるぞ』と錯覚させるんだ」


 パスを通じて指示を飛ばす。

 すると、若者たちの足元の青緑色の光が、フゥッと弱まった。


「うわっ、なんか暗くなったぞ!」


「前の方は明るいから、早く進みましょ!」


 本能的に暗闇を恐れた若者たちは、慌てて歩調を速め、前方の明るいエリアへと移動していった。それによって導線の詰まりが解消され、後続のグループもスムーズに進めるようになった。


「よし。これでいい」


 ユークは目を開け、少しだけ安堵の息をついた。

 直接言葉で命令しなくても、環境を操作することで人間の行動を誘導できる。フェズの幻影を使った誘導の、マイルドな応用だ。


 これが「人間相手にも回る」という確かな手応えだった。


 時間は静かに過ぎていった。

 午後になり、太陽が西へ傾き始めた頃。


 ザク、ザク。

 迷宮の奥から、複数の足音が戻ってきた。


 一番早く帰還したのは、初老の採集者二人組だった。彼らの背負い籠には、ユークが指定した通りの低位鉄鉱石と、少しの魔力濾過砂が半分ほど入っていた。


「お疲れ様です。怪我はありませんか?」


 ユークが受付で声をかけると、彼らはホッとしたような笑顔を見せた。


「いやあ、大したもんだ。昔の灰環は、いつ石が落ちてくるか分からん恐ろしい場所だったが……あの光の道は本当に安全だな」


「大儲けとはいかんが、命の心配をせずにこれだけ拾えれば、わしらには上等な稼ぎ場だよ。管理人さん、また来させてもらうぜ」


 彼らはユークの用意した名簿の「帰還」の欄にチェックを入れ、嬉しそうに山を下っていった。


 それから一時間後、中堅冒険者の三人組も戻ってきた。


「おう、戻ったぜ」


 彼らは特に何も持ち帰っていなかった。素材集めではなく、純粋な地形調査が目的だったのだろう。


「あの赤い光の先、少し覗いてみたが……ひどい毒ガスと泥の沼だったな。あんなところに入ったら一発でオダブツだ。あんたの引いた線は、確かに『生還のライン』だ。俺たちのクランにも、良い狩場(現場)を見つけたと報告しておく」


 彼らも名簿にチェックを入れ、満足げに帰っていった。


 ユークは名簿を見つめ、小さく頷いた。

 二組の帰還。ここまでは完璧だ。ルールは守られ、利用者は生還し、迷宮の機能は一切損なわれていない。


 試験開放の初日としては、出来すぎなくらいの結果だ。


 だが、ユークの表情は険しいままだった。


「……遅いな」


 空はすでに夕焼けに染まり、日没の時間が刻一刻と迫っている。

 六つ目のルール。『探索は日没前までに必ず撤収すること』。


 三組目。あの若い男女の三人組が、まだ戻ってきていないのだ。


 ユークは再び目を閉じ、シルクスの索敵網に意識を繋いだ。

 糸の振動は、彼らがまだ迷宮の内部、第一次安全帯の最も奥深く――モルトが浄化を行っている岩棚の少し手前にいることを示していた。


『……歩行停止。微細な足踏み。躊躇い』


 シルクスからの情報が、彼らの現在の心理状態を正確に伝えてくる。

 彼らは迷子になっているわけではない。青緑の光はしっかりと彼らの帰路を照らしている。


 ただ、帰ろうとしていないだけだ。


「欲をかいたか」


 ユークは舌打ちをした。

 パスをさらに研ぎ澄まし、彼らの周囲の状況を読み取る。


 彼らが立ち止まっている場所。

 そこは、安全導線が左へ曲がる角であり、同時に、右の壁にぽっかりと開いた『未整備の旧区画』との分岐点だった。


 そしてその旧区画の入り口には、ルーメの放つ『濁った赤紫色の光』が、不気味に、しかしどこか魅惑的に点滅している。


『死ぬ道を残したまま客を入れるな』。


 ドーランの言葉が、再びユークの脳裏をよぎった。

 ユークは赤い布を巻いた杭を打ち、溝を掘って境界線を作った。ルールでも「立ち入るな」と明確に伝えた。


 だが、若い彼らにとって、その厳重な禁止措置は、逆に「この奥に特別な宝が隠されているに違いない」という根拠のない確信を生み出してしまっていた。


 迷宮の静寂の中。

 青緑の光の境目に立つ若い男が、ゴクリと唾を飲み込む音が、シルクスの糸を通じてユークの耳にまで届くようだった。


 男の足が、ユークが掘った境界の溝を越え、赤紫の光が照らす暗がりへと一歩、踏み出そうとしていた。

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