第24話 進めない入口
「お宝だ! やっぱり誰かが隠してやがったんだ!」
ガロと呼ばれた男を先頭に、三人の灰漁りたちは下品な笑い声を上げながら、泥の深い旧通路へと足を踏み入れた。
彼らの目には、通路の奥でチカチカと黄金色に反射する光だけが映っている。それがフェズの作り出した魔力の幻影だとは微塵も疑っていない。放置された迷宮で、他の同業者より先にお宝を独り占めできるという強欲が、彼らの警戒心を完全に麻痺させていた。
「おい、泥が深くなってきたぞ……。それに、なんか臭くねえか?」
十数メートル進んだところで、最後尾の男が顔をしかめて鼻を覆った。
安全導線ではモルトが処理していた腐敗泥の悪臭が、この旧通路にはたっぷりと残っている。足元はぬかるみ、一歩踏み出すごとにズブズブと泥に足が沈み込んだ。
「我慢しろ。金目のものを持ち出すまでの辛抱だ。……って、おい、宝箱はどこ行った!?」
ガロが松明を高く掲げたが、先ほどまで見えていた黄金色の光は、まるで陽炎のように揺らぎ、気がつけばさらに奥、別の横穴の方向へと移動しているように見えた。
「くそっ、誰かが奥に持ち去ろうとしてるのか!? 逃がすな!」
彼らは慌てて泥を跳ね飛ばしながら、光を追ってさらに奥へと進んでいく。
その様子を、ユーク・フェルドは暗闇の中から冷ややかに見つめていた。
彼の肩にいるシルクスから、パスを通じて灰漁りたちの正確な位置情報が途切れることなく送られてくる。
「完全に食いついたな。だが、これ以上奥(深部)へ行かせる必要はない。あそこは水脈が不安定で、素人が踏み込めば本物の崩落に巻き込まれる」
ユークの防衛方針は「殺さず、通さず、壊させず」だ。
彼らを迷宮の罠にかけて殺すのが目的ではない。この迷宮が「自分たちの手に負える場所ではない」と理解させ、二度と来たくないと思わせることが目的なのだ。
「ルーメ。視覚を狂わせろ」
ユークの指示がパスを走る。
灰漁りたちの背後、彼らが今まで歩いてきた通路の入り口付近で、ルーメの欠片が淡い光を放ち始めた。
しかし、それは安全を知らせる青緑色ではない。空間の奥行きを錯覚させるような、不規則に明滅する濁った赤紫色の光だった。
「……おい、ガロ。ちょっと待て。後ろが……」
振り返った男の一人が、息を呑んだ。
松明の光が届かない背後の闇の中に、チカ、チカッと不気味な赤い光が点在している。それがまるで、無数の魔獣の目のように見え、しかも彼らが通ってきたはずの「真っ直ぐな道」が、光の錯覚によってグニャリと歪んだ別の空間のように見えたのだ。
「なんだありゃ……! 俺たち、どっから入ってきたんだ!?」
「落ち着け! 来た道を戻れば……」
ガロが振り返って歩き出そうとした、その時だった。
ズズン……。
背後の暗闇の奥、ルーメの光のさらに向こう側で、重く低い地鳴りのような音が響いた。
それは、グランが「退路に見える横穴」を、自身の巨体と岩盤の操作によって音もなく塞いだ音だった。完全に退路を断ったわけではない。彼らが入り口へ逃げ帰るための『唯一の正解ルート』だけを残し、それ以外の「迷い込みそうな分岐」を片端から物理的に封鎖したのだ。
だが、灰漁りたちにはグランの姿は見えない。
ただ、自分たちの背後で、迷宮の地形そのものが生き物のように蠢き、逃げ道を塞いでいるという『環境の変化』だけが圧倒的な恐怖として押し寄せてきた。
「道が……壁になってるぞ!? さっきまでは確かに通れたはずだ!」
「嘘だろ……。なあ、やっぱりここ、ヤバいんじゃねえか!?」
パニックの兆候が見え始めた彼らに、ユークはさらに追い討ちをかける。
「フェズ。ご褒美の時間は終わりだ」
灰漁りたちが追いかけていた、奥の黄金色の光。
それが突然、フッと形を変えた。
宝箱の幻影はドロドロに溶け落ち、巨大でグロテスクな泥食い虫の姿へと変貌したのだ。
さらにフェズの気配操作により、周囲の壁のあちこちから、カサカサ、這いずるような無数の『音の幻影』が響き渡った。
「ヒィッ!?」
「宝じゃねえ! 虫の巣だ! 囲まれてるぞ!」
姿のない無数の気配。
戻るべき道は不気味な赤い光に歪められ、岩壁が蠢いて道を塞ぐ。
足元は悪臭を放つ泥に膝まで浸かり、一歩進むのもひどく重い。
剣を振るう相手すら見えない。魔法が飛んでくるわけでもない。ただ、この空間そのものが、明確な悪意を持って自分たちを「拒絶」し、袋小路へと追い込んでいる。
冒険者としての訓練を受けていない彼らにとって、それは理解の範疇を超えた超常的な恐怖だった。
「ひぃぃぃっ! ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
「逃げろ! 入り口に戻るんだよ!」
ガロたちは完全にパニックに陥り、手にした松明を振り回しながら、泥の中で転び、這いつくばりながら来た道(ユークが意図的に残した唯一の正解ルート)へと逃げ出し始めた。
「シルクス、入り口までの誘導を頼む。グラン、奴らが通り過ぎた後から、少しずつ岩を動かして『追い立てろ』」
ユークの冷静なタクトに合わせて、モンスターたちが連動する。
灰漁りたちが間違った方向へ行こうとすると、ルーメの赤い光が強まり、グランの動かす岩の音が響いてそちらへの歩みを躊躇させる。
結果として、彼らはまるで羊飼いの犬に追われる羊のように、ユークが定めた「入り口へ直行するルート」だけを泣き叫びながら走り続けることになった。
ドシャァッ!
泥まみれになり、息も絶え絶えになった三人は、ついに迷宮のアーチを抜け、前砦の敷地へと転がり出た。
外の冷たい夜風に吹かれ、彼らは地べたに這いつくばったまま、恐怖でガタガタと震え上がっていた。
「はぁっ、はぁっ……! な、なんだったんだ、今の……!」
「あそこは、ただの放置穴じゃねえ……! 魔獣がいないんじゃなくて、穴そのものが生きてやがったんだ!」
「誰かが……いや、何かがこの場所を回してるんだ! 俺たちみたいなもんが、足を踏み入れちゃいけねえ場所だったんだよ!」
誰の姿も見ていない。一度も攻撃を受けていない。
だが、彼らの心には「二度とこの迷宮には近づかない」という強烈なトラウマが刻み込まれていた。
ガロたちは互いに肩を貸し合い、捨て台詞を吐く余裕すらなく、ラスティアへと続く北の街道を転がるように逃げ帰っていった。
「……ご苦労だったな」
彼らの足音が完全に遠ざかるのを確認してから、ユークは暗闇から静かに姿を現した。
迷宮の内部では、すでに後処理が始まっていた。
パニックになった灰漁りたちが旧通路から安全導線へと逃げ帰る際、盛大に踏み荒らし、撒き散らしていった腐敗泥。
それを、モルトがズズズと音を立てながら、まるで掃除機のように吸い込んで回収していく。彼らが崩した石の堰も、グランがすでに綺麗に積み直していた。
数分後には、迷宮の入り口付近は、彼らが侵入する前と寸分違わぬ「静かで管理された空間」へと戻っていた。
「みんな、見事な連携だった。怪我もなく、血も流させずに追い返せたのは最高の結果だ」
ユークが労いの波長を送ると、シルクスが誇らしげに前脚を振り、フェズが暗がりで幻の尾を揺らした。
戦闘力を持たない五体のモンスター。彼らの能力を組み合わせ、空間全体を一つの防衛機構として運用する。
これこそが、ユーク・フェルドの目指す「ダンジョンの管理」だった。
「……防衛機構の実地試験としては、百点満点だ」
ユークは記録帳に結果を書き込みながら、深く息を吐き出した。
物理的な破壊を防ぎ、侵入者を無傷で追い返すことには成功した。これで彼らは、仲間内に「あそこはヤバい」と触れ回り、少なくとも底辺の灰漁りたちが無警戒に寄り付くことは減るだろう。
だが、ユークの表情は晴れなかった。
「今回は素人だったから、恐怖だけで追い返せた。だが、これが本職の冒険者パーティーだったらどうだ?」
もし、剣の腕が立ち、魔法を使いこなし、何より「未知の危険」を乗り越えることに価値を見出すような熟練の冒険者が入ってきたら。
彼らはルーメの光やグランの地鳴りを恐怖ではなく「奥に強大なボスがいる証拠」と解釈し、フェズの幻影を力ずくで突破しようとするかもしれない。
そうなれば、今の防衛機構では対処しきれず、激しい戦闘に発展し、迷宮のインフラは破壊されてしまう。
「追い返すだけでは、いずれ限界が来る。イタチごっこになるだけだ」
施設を維持するためには、外部の人間を完全にシャットアウトすることはできない。
物資の循環、資金の獲得、そして迷宮が正常に機能していることを社会に認めさせるためには、いずれ人間を「客」としてこの迷宮に入れなければならないのだ。
だが、無秩序に入れれば破壊される。
追い返し続ければ、力でこじ開けようとする者が現れる。
「……使わせるための、明確なルールが必要だ」
ユークは迷宮の入り口を振り返り、外界への接続点である『灰環前砦』を見つめた。
砦の壁には、彼が刻んだ「注意喚起」の木板が掲げられている。だが、あれはただの警告だ。
「警告じゃなく、制度を作る。ここから先は『冒険の場』ではなく、『管理された現場』だということを、外の連中に理解させるための規則が要る」
誰を入れ、どこまで許可し、何をさせないのか。
その線引きを明確にし、社会に認知させる。それができなければ、この迷宮に真の平穏は訪れない。
「明日から、忙しくなるぞ」
夜明けの光が、灰環前砦の崩れた屋根をうっすらと照らし始めていた。
ユークは防衛戦の疲労を振り払うように顔を上げ、次なる巨大な仕事――「規則の設計」へと頭を切り替えた。




