第153話 次に書かされる者
二通目は朝のうちに綴じた。
ミレアは封と中身を別の頁へ入れて、受けた日の下へ刻を足した。それから筆を置いた。
「一つ余ります」
「どこがだ」
「配られた先を控える段です。書く場所はありますが、書くものがありません」
その段は先の月に自分たちで足したものだ。外へ出した紙がどこへ回ったかを追うために作った。埋まる見当は一つか二つだった。
「訊く筋は」
「ありません。訊けば、訊いた日が向こうの紙へ載ります」
載ったものは十年先まで残る。訊いた側の名も一緒に残る。
「空けとけ」
「空けます」
ミレアは段の頭へ横線だけ引いて、その下を白くしたまま閉じた。
「埋まらない空きと、まだ埋まっていない空きは、頁の上では同じ形です」
ユークは湯呑みを持ち上げて、口をつけずに戻した。
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午後の早いうちに、門の外で足が止まった。
ドーランだった。籠は負ったままで中は空だ。荷は下の曲がりへ置いてきたという。
「売りに来たんじゃねえ」
「上がれ」
「いい。ここで済む」
彼は門の内へ入らずに坂を背にして立った。
「三日前だ。荷受けの帳場に一枚回ってきた」
「何の紙だ」
「あんたが書いたやつだ」
ユークは門の柱まで出た。
「本院の写しか」
「例だと書いてあった。上に触れが一枚付いててな。同じ形で書け、とよ」
帳場の男は棚へ入れる前に卓へ広げていたらしい。出入りの者が覗いて、ドーランもその一人だった。
「読んだ奴が何を言ったか、聞くか」
「聞く」
「水でも地形でもねえ。空いてる二つだ」
彼は肩の籠を揺すり上げた。
「書けなかったんじゃなくて、書かなかったんだろうとよ。……言ったのは一人じゃねえ」
ユークは動かずに聞いていた。
空きは二つともこちらが空けると決めて空けたものだ。決めたことだけが向こうへ届いて、分けた理由は籠の中にある。
「先に言うぞ」
「言え」
「その言い方で今すぐ損する奴はいねえ。あんたも損してねえ」
「じゃあ誰だ」
「これから書かされる土地だ」
ドーランは籠の紐を握り直した。
「例が回ったってことは、同じ形で書けと言われてる先があるってことだ。向こうも空きを二つ作る。作ったら、あんたと同じに読まれる」
「うちは分けて書いた」
「届いてねえだろ」
「届いてない」
「なら、向こうにあるのは空きだけだ」
ドーランは坂の下へ顎を向けた。
「置いてきた荷を積み直さねえとな」
言い終えると彼は坂を下りはじめた。門の内へは一歩も入らないままだった。
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ドーランが下りたあと、ミレアは控えを開いたまま動かなかった。
「うちの控えには十一字が残っています」
「出せるか」
「出せません。控えは書いた側の紙です。外へ出せば書いた者の申し立てになります」
「訂正の紙は」
「出せないことはありません。出した先で訊かれるのは、伏せた場所のことです」
伏せた場所を説明すれば、埋めた三人の卓に手が届く。埋まった名の下には本当の名があって、その先には去年の綴りを自分で繰った若い書役がいる。
「使えねえな」
「使えません」
ミレアは筆の穂先を紙から離したままにした。
「口では言えます」
「訊かれたらか」
「はい。訊かれた方にだけ、書けなかった欄と書かなかった欄があると言えます」
「訊きに来ねえ土地は」
「届きません」
「口は綴じられねえからな」
「綴じられません。……添える紙と同じです」
三日いた人の言い方は正しかった。添えた紙は綴じない。今度は紙ですらない。
ミレアは応対の型の頁を開いて、下へ一行足した。
〈空きの二つを訊かれた場合。二つは同じ理由ではないと答える。どちらがどちらかは答えない〉
「どちらかを言えば」
「片方は書かなかったと認めることになります。認めた日が向こうの紙へ載ります」
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ミレアは控えの頁を先の月まで戻した。
「あの晩のことを一つ訊かせてください」
「なんだ」
「弱く出すと仰いました。賭けだとも」
「言ったな」
「弱く出した一枚は採られました。例として回りはじめています」
「当たったな」
「当たっています。外れたのは罫の外です。十一字は綴じられていません」
どちらも先の月に自分で並べた形のとおりだった。並べたときに数えていたのは、外れた場合にこちらが幾ら被るかだけだ。
「外れたぶんはうちが払わねえと言った」
「聞いています」
「うちは一文も出してねえ」
「出ていません。門を通る足も減っていません」
午後に門の外で聞いたのは、これから同じ形を渡される土地の話だった。名も数もこちらには入っていない。
「代わりに払う形はあるか」
「作れません。あちらの卓へこちらの手は届きません」
言い分のほうなら一つある。弱く出さなければ、あの紙は別の誰かの型で作られた。その型に空けてよい欄があったかどうかは誰も知らない。
今日それを持ち出せば、当たったほうを勘定に入れたことになる。
「一つ数え落としてた」
「訊きます」
「外れたぶんを、うちじゃねえところが払う形だ」
ミレアは筆を持ち上げなかった。書く段の決まらないものは控えに入らない。
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月末に控えを締めた。
ミレアは頁を繰りながら、動かなかったものを声に出して数えた。年ごとの手順だったものが、今年は途中から月ごとになっている。
「落ちた端の籠は出ました」
「戻らねえな」
「戻りません」
「黒淵は」
「値は据わったままと聞いています。掘る向きも先の月から変わっていません」
変わっていないというのは、良いところから先に掘る向きのままだという意味だ。
「院の一枚は」
「行の頭で止まっています」
「受け先は」
「切れたままです。内規は動いていません」
「台帳は」
「空いたままです」
六つ数えたところで指が止まった。
「動いたものは」
「二つです」
「言え」
「村の普請の紙です。もう一つは、うちの書き方です」
どちらもこの卓では止まらなかった。片方は村が決めて、もう片方は本院が決めた。
「うちが決めた先じゃねえな」
「ありません。ですが、どちらにもうちの名が入っています」
ミレアは応対の頁も繰った。
「今月坂を上がって訊かれたのは六件です。うち三件は、空きの二つのことでした」
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次の桶の日にミレアが槌と杭を負って坂を下りた。ユークは炭と紐を持って後ろへ回った。
リクは桶を置いた足でそのまま付いてきた。呼んだ者はいない。
「何すんだ」
ミレアは杭の束を肩から下ろした。
「目印を立てます」
「なんの」
「離れた先を測ります。今は曲がりとか、その先とか、言い方で書いていますから」
「俺が四つに分けたやつか」
「分けたのは正しいです。ただ言い方は、書く人が替われば変わります」
歩数は三十で一つと決めた。杭は三本ある。頭に炭で線を入れる。一本目は一本、二本目は二本、三本目は三本。
三本目を打ち終えたところでリクが坂の下へ首を伸ばした。
「曲がりはまだ先だぞ」
「先です。そこまでは測れていません」
ミレアは槌を下ろして三本目と曲がりのあいだを目で測った。
「杭が尽きました。三十歩ずつで割りますと、ここから下は割りきれずに残ります」
「もう一本作りゃいいだろ」
「作れます。ですが立てても数になりません」
ユークは三本目の頭へ掌を置いた。
「外へ出せる一体は一つです。その先を見に行く足がありません。杭が倒れても見つけるのはうちです」
立ててみるまで、端がどこにあるかは糸の震えでしか分からなかった。今日それが坂に立っている物になった。通る者は誰でも見る。
「これ、村のが見たらなんだと思うんだ」
ミレアは杭の頭の線を指でなぞった。
「三本目だと分かります。何を測るための三本目かは分かりません」
「訊かれたら」
「答えます。うちが立てた物ですので」
「じゃあ〈まがり〉って書いた日は」
ミレアは裏紙へ歩数を控えた。
「三本目より下です。今日から先も数になりません」
いちばん多く書かれてきた言い方が、いちばん端の外にある。
リクは三本目を握って揺すった。杭は動かなかった。
ユークは戻りに坑口へ寄った。槌の音は板の内側まで入ったらしく、掌を当てるとすぐに返りが来た。
半拍は今日も遅れている。杭は立ったが、遅れのほうを当てる物差しは、まだこちらの掌の中にある。
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その晩に一月ぶんを綴じた。
リクの行と点は日付の順のまま一冊の後ろへ入り、並べ替えた写しがその隣に並んだ。
綴じた頁は何も言い当てていない。ただ今日から先の頁には、離れた先が歩数で入る。歩数の入った頁を綴じるのは来月だ。
柱の根方の布は今夜も掛けたままにした。書ける先は今日一つ分かった。うちの控えだ。控えへ入れたものは外の紙を一枚も動かさない。
卓には罫だけの見本が出したままになっている。欄の名は五つで、内側は上下に割ってある。
こちらが出したのは五つの欄と、罫の外の十一字だった。届いたのは五つの欄と二つの空きだ。
これから写す者が写すのは届いたほうだ。写された形が次の元になる。元になったものを、書いた側の手では直せない。
最初の記入例になった。同じ日に最初の空欄にもなった。片方だけを受け取る手はない。
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月をまたいで四日目の昼過ぎに町の荷方が坂を上がってきた。
預かりものだと言って一通置いていく。封は町のものではなかった。
ミレアが宛名を読んだ。
「名がありません」
「うちのじゃねえのか」
「うちです。……〈見立ての票の例を書いた砦へ〉とあります」
台帳に載っていない者へ宛てる名を、向こうは持っていない。持っていないので様式の言い方で宛ててきた。
「差出は」
「村の名です。うちの控えのどこにも出てまいりません」
「どこだ」
「南でも西でもありません。道の名も知りません」
彼女は封を切って灯へ寄せた。
「短いです」
「読め」
「〈あんたのとこの書き方だと、うちは書けないところがある〉」
それだけだった。あとは書いた者の名と、村の書役という肩書が入っているきりだ。
「怒ってるか」
「怒ってはいません。訊いています」
ユークは紙を受け取って二度読んだ。
こちらの書いた形が、行ったこともない土地の卓の上で誰かの手を止めている。止まった手は、止まった先を紙にしてこちらへ寄越した。
書いた者は決めていない。読んだ者は書いていない。裁った者は読んでいない。返す先はどこにも無かった。
この一枚には名がある。
「控えへ入れます」
「入れとけ」
ミレアは筆を取ってから手を止めた。
「三つ目に何を入れましょう」
三つ目はいつも、こちらの側を入れる欄だ。
「返す、でいい」
外は暗い。坂の下には今日打った三本目の杭が立っている。その先の道がどこの村へ繋がっているのかを、この砦の紙はまだ一枚も書いていない。




