↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
147/148

第147話 届かないところ

 その日の見回りは日の出のすぐあとだった。


 グランが口の内側を一周して戻ってくる。ユークは脇の板へ掌を置いた。返るのは形ではない。掘っていい線と掘ってはいけない線の区別と、重さの偏りだけだ。


 今朝来たのは偏りのほうだった。


 右へ寄っている。


 届くまでの間は縮んでいない。東から帰った日と同じだけ空く。半拍。


---


 口の右には枠が二つ立っている。二年半前にユークが組んだものだ。落ちてくる土を止めるだけの木で、上の一本を二本の足が受けている。


 手前の足の根を見た。噛ませた石が半分外へ出ている。地面のほうが下がっていた。親指の丈ほどだ。


 詰所から槌と楔を運んだ。


 石を押し戻して楔を打つ。手前は締まった。


 奥の足へ回ったとき、グランが窪みから出てきて木の下へ角を寄せた。


 木を伝って返りが来た。偏りが動いている。


 半拍。


 その半拍のうちに上の一本が滑った。


---


 ユークは手を引いていた。引けたのは、埃のほうを目が先に見たからだ。


 木は足の外側へ落ちて、土が拳ひとつぶん崩れた。槌が下敷きになった。


 口の下には誰もいない。


 埃が引くまで少しかかった。


 落ちた木は足の外へ横たわっている。裂けたのは端の一尺ほどで、繊維が斜めに走って白く見えた。掛けた手に来たのは持ち上がる重さだ。二年半前に一人で担いで据えた木だった。


 槌は柄のほうだけが土から出ている。頭は埋まっていた。


 崩れた土は拳ひとつぶんで、それ以上は落ちてこない。上が乾いていたからだ。雨のあとなら同じ落ち方はしなかった。


 グランは窪みの縁で止まっている。角はまだ、木のあった高さへ向いていた。


 二年半、この一体の返りより先にこちらの目が動いた日は一度もなかった。


---


 音でミレアが出てきた。土間の履きのまま坂の土を踏んでいる。


「どこか切りましたか」


「切ってない」


「木は」


「端が裂けた」


 ミレアは落ちた木の裂け口を見てから、口の右の高さへ目を上げた。


「グランは教えたのですか」


「教えた。届いたのが半拍あとだ」


「いつもと同じ半拍ですか」


「同じだ」


 ミレアは少し黙った。


「同じなら、今日は何が違ったのでしょう」


 ユークは土から槌を掘り出した。柄に泥が付いている。


「こっちが下にいた」


---


 外にいたのは二十一日だ。戻ってから三月になる。出ていた日数の四倍を過ぎている。


 ミレアが控えの手を止めた。


「戻る見当は付きますか」


「付かない」


 遅れが日数で戻るものなら、とうに戻っている。道のせいなのか歳のせいなのか、並べて確かめる物がこちらには一つもない。


---


 裂けた端は鋸で落とした。挽くのに手間がかかった。乾いた木は目が詰まっていて、刃が二度逃げた。


 木は短くなり、短くなったぶん足を内へ寄せて組み直した。寄せたぶんだけ受ける幅が狭くなる。狭くなったことは、次に土が動くまで分からない。


 ミレアは袖を括って石を選びに行った。使えるのは角の残っている石だけだ。丸い石は噛まない。選び直した石を三つ運んできて、使ったのは二つだった。


 グランは窪みへ戻した。重い石を持たせるのは東から戻ってから止めてある。今日もそれは変えなかった。持たせれば早い。早いぶんは、この一体の背中が払う。


 終わったころには昼を過ぎていた。


---


 ミレアが定規を持って戻ってきた。組み直した桁の下へ当てて、目盛りを読まずにそのまま押さえている。


「昨日の丈がありません」


「無いなら測っても仕方ないだろう」


「今日のは残ります」


 彼女は日付を先に書いた。数はそのあとに入れた。


「次に落ちたときは、今日と比べられます」


「今日は何とも比べられんな」


「比べられません。比べられないぶんは、そう書いておきます」


---


 いつもリクが坂を上がってくるのは夕方だ。今日は昼を回ったところで下の曲がりの糸が震えた。


 リクは受付台より先に枠のほうへ寄った。切り落とした端が二本、足元に転がったままになっている。


「これ、折れたのか」


 ユークは楔を拾う手を止めた。


「間に合いませんでした」


「なんでだよ」


「こちらが下にいたからです」


 リクは裂け口へ指を当てて、途中で引っ込めた。棘が立っている。


「この端、貰っていいか」


「使い道はありますか」


「ねえ」


「持っていってください」


 リクは受付台へ回って筆を取った。点を一つ。書くのはそれだけだった。


 端を桶へ放り込んで坂を駆け下りる。桶の中で木が二度鳴った。


---


 ユークは打たれた点を見た。


 欄は四つある。日付。どの一体。どれだけ離れたか。返りがどう変わったか。


 グランは今日門の外へ出ていない。離れた先は口の内側までだ。返りは昨日と同じ半拍だった。四つのどれも動いていない。


 今日落ちた木は、この行のどこにも入らない。


 入る欄を足すことはできる。足せば、足す前の行が全部その欄の空いた行になる。線を引いたのは先の月で、行はもう十を越えた。


 ユークは筆を置いた。


 木のことは日付順の綴りへ入れた。そちらには欄がない。あるのは日付だけだ。


---


 日が傾いてから表を回った。


 シルクスは坂の下の曲がりにいた。糸の張りは朝と同じで、直す手つきもしていない。拾うのは上がってくる足だ。下りていった足は、曲がりを過ぎたところで糸から外れる。


 槽ではモルトが底にいた。晴れが続いて流れは細い。舞う前に浚わせてあるので水は静かだ。静かにしておける先は槽の縁までで、この一体を外へ連れ出せる日数は、昨夜の紙に並べてある。


 フェズは詰所の屋根にいた。禁じたのはこちらで、禁じたぶんをまだ解いていない。屋根から見えるものに名を付けても、付けた名の入る欄が一つもない。


---


 井戸端の柱の根方へ回った。


 布へ手をかけて、今日は上げた。


 細い光が来た。


 落ちてはいない。布をかけた日から数えて百日を越えている。


 光る先の壁は、まだ一度も写していない。写せば紙になる。紙になれば卓へ出る。


 待たせたぶんは日数では済まない。百日前の脈と今日の脈を並べられるのは、百日前を写してあった場合だけだ。今日から写しはじめても、並ぶのは今日から先だけになる。


 この一体に用が無いのではない。用のほうをこちらが出していない。


 布を下ろした。


---


 南では枠木が五度ぶん下りている。


 こちらで落ちたのは一本だ。一本は今日のうちに組み直した。向こうの五度ぶんがどこの切羽へ入ったかは、糸も掌も一つも拾わない。


 同じ日に同じ木が動いていて、こちらに入るのは坂を上がってくる口だけだ。


---


 糸は朝にも一度震えていた。グニェルが泥を採りに上がった刻だ。


 日暮れ前にもう一度震えた。坂に現れたのは同じ男だった。


 精算は受付台で済ませる。済ませてから土間の卓へ着いて、湯が出るまで坑の話をしていく。二年ぶんそうだった。


 今日は帯を肩へ回したままだった。


「泥は積んだ」


「目方は」


「いつもと同じだ。書いといてくれ」


 帳簿は出さない。腰の袋は結んだままだった。


 ミレアが筆を取った。


「払いはいかがしますか」


「次でいい」


「次は来月ですね」


「来月は上がらねえ」


 ユークは何も訊かなかった。


「二月ぶん、次にまとめる」


「重いのですか」


「重かねえ。銭の話じゃねえよ」


 グニェルは帯の留め金へ指を掛けて、外さずに離した。受付台へ手は置かない。土間へは一歩も入らなかった。


「十日ばかり留守にする」


 行き先は言わない。こちらから訊けば、それがそのまま向こうの卓へ乗る。


「気をつけてくれ」


「気をつける用があるとは言ってねえぞ」


 彼は笠を被り直して門を出た。


---


 ミレアの控えに一行入った。


 〈来訪。泥の引き渡し。払いは次月へ繰り越し。行き先は伺わず〉


 坂を下りる足は下の曲がりで糸を一度揺らした。


 揺れたのはそこまでだ。どこへ下りたかは、次に上がってくるまでこちらには入らない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。