第145話 どこへ書けばよかったのか
定規は卓へ出したままにしてあった。
朝いちばんにミレアが座り、写しを台の中ほどへ置き直した。罫の脇へ定規を寝かせて目盛りを覗く。顔の高さは昨日と同じだった。
「四分ほどです」
「何がだ」
「三つ目の罫から紙の端までです。五つ目の脇も同じでした」
十一字はそこへ入っていた。控えのほうの紙は今も同じ幅を持っている。
「幅はあるんだな」
「あります。幅のあるところが残るかどうかは、幅では決まりません」
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ミレアは新しい紙を出して頭へ一行だけ書いた。
書ける場所を並べる、と書いてある。
「四つあります。上から潰します」
「潰すのが先か」
「一つでも残れば、そこへ書きます。一つも無ければ、無いと分かります。どちらでも今日のうちに決まります」
彼女は行を四つに割った。割った線はまっすぐだった。
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「一つ目は欄の中です」
「取る先が要る」
「要ります。道の欄は道帳から取ります。うちの坂は道帳にありませんので、入れられるものがありません」
「事由のほうを入れればどうだ。取る先が無い、と欄の中へ書く」
ミレアは罫の内側を指でなぞった。
「欄の名は〈道〉です。〈道の事由〉ではありません。名の合わないものを入れれば、入れた者が名を変えたことになります」
「名を変える手は」
「本院にあります。こちらにはありません」
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「二つ目は裏です」
ミレアは罫だけの見本を取って戸口へ持っていった。朝の光へかざしてから戻ってくる。
「罫は片面だけです」
「刷り忘れじゃないのか」
「刷りは面で掛けます。忘れるなら一枚も入っていません」
彼女は見本を裏返して卓へ置いた。何も刷っていない面が上を向いた。
「この面には欄がありません。欄の無い面へ書いたものは、罫の外へ書いたものと同じ扱いになります」
「耳と同じか」
「面ごと耳です」
ユークは見本の端を摘まんで自分の側へ寄せた。
「裁たれずに残ったとしてもだ。棚で誰かが繰って裏を見る目はないのか」
「ありません」
ミレアは控えの頁を戻して、運び屋から聞いた工程のところを出した。
「束のまま裁ち板へ載せる、と伺いました。一枚ずつはやらないとも伺いました。束にするなら向きは一つです」
「揃えて重ねるわけだ」
「重ねます。綴じるのは端の一辺ですので、繰れば次の紙の表が出ます。裏はその下です」
「棚では」
「棚は収める先です。収めたものを一枚ずつ返す手は、六行に一つもありません」
六行の返しはまだ卓の上にある。
〈一、束の丈を揃えます〉〈二、揃えたのち綴じます〉〈三、綴じたものを棚へ収めます〉
裏返す手は三行のどれにも無い。手順に無い手を誰かが気を利かせて足すことはある。足すかどうかを、こちらでは当てにできない。
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「三つ目は添え紙です」
「それは先に潰れてる」
「潰れています。添えた紙は綴じない、と伺いました。伺った先が、伺ったその場で言い切っています」
「四つ目は」
「二枚目です」
「票をもう一枚出すのか」
「出せます。ですが票は一枚で回る紙です。二枚目を出せば、二件目の票になります」
「一件目の続きにはならないのか」
「なりません。同じ土地から二件出れば、後のほうは前のほうを直した紙に見えます。直したと読まれれば、一件目の中身が動きます」
「動けば」
「一件目は型です。型が動けば、次に書く方は二つの型を見ることになります」
そのうえ二枚目も同じ袋へ入る。同じ束に載り、同じ板の上で丈を揃えられる。罫の外へ書けば、そこもまた耳になる。
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「控えを出す手はどうだ」
「出せます。出せば、こちらの紙になります」
「向こうの紙へ足すんじゃなくてか」
「足せません。綴じられた紙にこちらの手は入りません。足すとすれば添える形です」
「添えた紙は綴じない」
「綴じません」
控えの十一字は、この砦の綴りの中でだけ十一字のままだった。外へ出せば、書いた者が後から書いたと言う紙になる。後から書ける字は、いつ書いたかを字の側では証せない。
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ユークは卓の縁へ両手を置いた。線の入った紙が真ん中にある。四つとも下へ短い横棒が引かれていた。
「欄がないんじゃないな」
「はい」
「こっちの書いたものが、紙として扱われてない」
字は字だった。読める形で入っていて、同じものが控えにも残っている。それでも向こうの手つきの中では、あれは字ではなく紙の端だった。
丈を測る者の目には、そこにあるのは中身ではなく余りになる。
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「あれは何のために書いた」
「読む方のためです」
「読まれなかったな」
「読まれませんでした」
次に票を書く者は一番上の一件を見る。見えるのは空いた欄が二つだけだ。空いていることに理由は付いていない。付けるのは読んだ者になる。
書けなかったのか書かなかったのか。分ける手はこちらの控えの中にだけ残って、外では一度も使われない。
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「どこまで内へ寄せれば残る」
「分かりません」
ミレアは、丈を揃えるとある行へ指を置いた。
「落とす幅が書いてありません。丈を揃えるとあるだけです。揃える先の丈は棚が決めます。棚の丈をこちらは見ていません」
「測れないのか」
「測れるのはこちらの紙だけです。向こうで何分落ちたかは、落ちた端を見なければ分かりません」
端は籠へ入って月末に出ると聞いた。月末はもう過ぎている。
「試すか」
「試せません。試した紙が一件になります」
紙の内側へ一分ずつ寄せて三度出せば、どこで残るかは分かる。分かるまでに三件の票が綴じられ、三件とも灰環の名で立つ。
「残るのは罫の内側だけだな」
「残ります。ですが入れられません」
二つは繋がっていなかった。残る場所には入れる形が無く、入れられる場所は残らない。
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ミレアは測った数を控えへ入れた。
罫の外の幅。票の紙の丈。うちの綴りに入っている紙の丈。三つ並べてから日付を書いた。
「使い道は」
「今日はありません」
「無いものを書くのか」
「測った日に書かなければ測り直しになります。測り直した数は、測り直した日の数です」
ユークは何も足さなかった。足す言葉は一つ浮かんだが、それは慰めの形をしていた。慰めは数にならない。
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昼に槽まで下りた。
水は静かで、底のモルトは動かない。縁へ掌を置くと重さだけが返った。その向こうに何があるかは、この一体には要らない。
坑口へ回った。グランは窪みから動いていない。板へ掌を当てると半拍だけ遅れて返る。遅れは東から戻った日のままで、その半拍が今日要る用は一つも無い。
ルーメの布に手をかけて、かけたまま下ろした。壁の脈を写す手はまだ呼んでいない。
残りの二体は上にいる。屋根の上と、坂の下の曲がりまで。
どれも足の届くところにいた。
裁ち板の置いてある土間を、この五体は一つも見たことがない。
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午後の早いうちに糸が震えた。
坂を上がってくる輪の音は、下の曲がりで一度止まってからまた鳴る。
ドーランは門の前で車を止めた。土間へは入らなかった。
「長居はしねえ」
「上がらないのか」
「下で降ろす口が三つ残ってる」
彼は輪へ手を掛けたまま笠の縁を上げた。
「荷の話だ。南の穴で人が動いた」
ミレアが受付台から出た。
「動いた、とは」
「人がだ。数までは今言わねえ」
「言えないのですか」
「今言うと勘になる。帳面を突き合わせてからだ」
「伺えるのはいつになりますか」
「次に上がるときだ」
ミレアは受付台の控えへ一行入れた。日と、聞いた先と、聞いた中身。数はまだ聞いていないので、聞いていないと書いた。
ドーランは輪へ手を戻した。
「気づいたのは二日前だ。変わったのはもっと前だろうな」
坂を下る音が下の曲がりで切れた。
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定規は片づけなかった。
朝から測ったのは紙の幅で、幅はどれも足りていた。足りていないのは幅ではない。
こちらの手は今日も坂を下りていない。下りていない手の書いた紙が、下りたことのない土地で人を動かしている。
その土地で動いたのは、今日のことですらなかった。ドーランが気づいたのが二日前で、変わったのはもっと前だ。




