第144話 耳を裁つ
三日置いた。
そのあいだにミレアが立てたのは、訊く先の一覧ではなかった。
紙の頭に一行だけある。どこで手が入るのかを先に知る、と書いてある。
「知ってから訊きます。順を逆にすると、こちらの中身のほうが先に出ます」
「当てはあるのか」
「うちにはありません。うちの目は坂の下の曲がりから先へ届いていませんので」
ユークは表の戸口へ目をやった。
「当ての無いまま順だけ決めたわけだ」
「順は決まりました。当てはこれからです」
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「二つあります」
「言え」
「一つは、あちらに用のある方に序でで伺っていただくことです。こちらの名を出さない形で」
「ドーランか」
「月に二度、町の役所へ入る用があるとお聞きしています」
「二つ目は」
ミレアは本院の紙を卓の中ほどへ寄せた。末の一行を指の腹で押さえる。照会の要あり、とそこに書いてある。
「照会が要ると向こうが書いています。要ると書いてある照会に、こちらから手順を一つ伺うのは、たぶん筋の内です」
「たぶんか」
「たぶんです」
「何を訊く」
「まだ決めていません。中身の決まらない照会は出せません」
「順があるのか」
「あります。そこにいた方の口から先に手順を聞きます。聞いてから字にします」
字にした一行は残る。残る一行は繰られる。繰られたときにこちらの中身が薄ければ、薄いところから読まれる。
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四日目の昼過ぎに糸が短く震えた。
上がってきた荷車は積みが半分で、御していたのはドーランの下の若い男だった。
「今月は二度に分けます。親方は町です」
ミレアは言付けを渡した。紙にはしなかった。
「ご主人にお伝えください。町の役所で束を作るとき紙にどんな手が入るのかを伺いたい、と」
「うちの名は出さなくていい」
ユークが土間から足した。
「出せば、訊いた先で灰環が訊いたことになる」
「そのままお伝えします」
若い男は一度復唱してから輪を回した。
口で頼めば控えが残らない。字にすれば運んだ者の手元にも一枚残り、残った一枚は預けた側では動かせない。
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ドーランが上がってきたのは六日あとだった。
荷を下ろす前に土間へ入って笠を脱いだ。卓の縁へ肘を置いてから口を開く。
「訊いてきたぞ」
「早いな」
「役所には毎月入る。ついでだ」
彼は指で卓を一度突いた。
「うちの樽の話に混ぜた。丈の揃わねえ荷をどうしてるかって話にしてな。あんたのとこの名は出してねえ」
ミレアが筆を持った。
「伺います」
「一枚で回る紙は袋へ入れて月に二度上げる。上げた先で束にする。束は棚へ入る」
「棚に」
「棚の丈が決まってるんだと。丈の違う紙は棚から出る。出りゃ角が擦れて千切れる」
筆が止まった。
「揃えるのですね」
「揃える」
ドーランは掌を卓へ伏せて指を四本並べた。
「束のまま裁ち板へ載せる。上から押さえを置いて刃を一度で落とす。一枚ずつはやらねえ。手間が合わねえからな」
「落ちた端は」
「籠だ。籠は月末に出す」
ドーランは卓の縁から肘を外した。
「あそこじゃ耳と呼ぶんだと。紙の耳だ。裁つのは耳で中身じゃねえ、と書役は言った」
「読まないのか」
「読まねえよ。読む掛は別にあるんだと」
「なぜ読まない」
「知らねえ。俺は樽の話をしに行ったんだ」
彼は肩を回した。
「袋は月に二度で六つか七つ上がるらしい。中はてんでばらばらの一枚紙だ。あれを全部読む掛はねえよ」
ミレアは筆を置いた。
「読めば、読んだ者の言い分になります」
「三日いた人と同じか」
「同じ手つきです。あの方は見たものは書けないと仰いました。あれは検分の話でしたが、綴じるところにも同じものが立っています」
ドーランは笠の紐を指へ巻いた。
「腹を立てる前に言っとくがな。俺も同じことをしてる」
「樽か」
「丈の合わねえ樽は積まねえ。中身は見ねえで積む。一日に六十も七十も積んで、いちいち蓋を開けてたら日が暮れる」
紐がほどけて笠が膝へ落ちた。
「揃えるってのはそういうことだ。揃えるほうの手は中身を見ねえ」
ユークが口を挟んだ。
「訊いてどうする」
「どうにもならねえよ」
「そうか」
ドーランは立ち上がった。
「序でだと言ったな。序でじゃなきゃ訊かねえぞ。俺は紙の商いはしてねえ」
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輪の音が下で聞こえなくなってから、ユークは棚の前に立った。
三十二冊が背を並べている。一冊抜いて小口へ親指を当てた。
端は揃っていない。厚みの半ばで一枚だけ出ているところがあり、その少し下は引っ込んでいる。村から来た紙と役所から来た紙と自分たちで買った紙を、そのまま重ねて綴じてある。丈も幅も違う。
二年半、この端を揃えようと思ったことが一度もない。
「うちの棚には、うちのぶんしか入りません」
ミレアが横へ来た。
「並べる先がありませんので、揃える理由もありません」
「向こうは並べるんだな」
「並べます。棚のあるところは丈を先に決めます」
ユークは綴りを戻した。背が並んで小口だけが出入りしている。
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卓へ戻ってミレアは控えを開いた。
「あの方は、添えた紙は綴じないと仰いました」
「言ったな」
「ですからこちらは票そのものの余白へ書きました。票が綴じられれば一緒に綴じられます」
「綴じられる前があったわけだ」
「ありました」
彼女は頁を押さえたまま少し黙った。
「あの方の話は綴じるところで終わっています。こちらが伺ったのも綴じるところからでした。あいだが一つ抜けています」
「訊けば言ったか」
「言ったと思います。伺えば答える方です。伺わなければ誰も言いません。中にいる人には、手順は手順に見えませんので」
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その晩に一行を書いた。
書く前に、書かないものを並べた。
十一字が無いとは書かない。こちらの控えにあるものが向こうの紙にもあったと言う形になり、向こうは無いものを探すことになる。
落ちたとも落としたとも書かない。どちらも相手を作る。
空欄の事由も書かない。訊かれる前に出せば言い分になる。
書けるものは一行しかなくなった。
〈綴じの手順を伺いたく存じます〉
「これだけか」
「これだけです」
「返ってくるか」
「分かりません。ただ、手順を訊く紙は答えても誰の言い分にもなりません。返しやすいほうだと思います」
「宛名は」
「掛のお名前で出せば受ける方が決まりません。決まらない紙は動きません」
院の綴りには灰環の名の入った紙が一枚あって、宛先が空いたまま止まっている。坂の中腹でそう聞いた。
「人の名で出せば、あの人の手元へ残るぞ」
「残ります。ですから一行です」
ミレアは宛名を書いた。三日この砦にいた人の名だった。封の表には町役所気付とだけ添えた。
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返しが来たのは十九日あとだった。
町の役所の下働きが荷の序でに置いていった。ミレアは封を切る前に帳面を開いた。切った刻と、切った者と、居合わせた者を先に入れる。封は薄く中は一枚だけだ。
罫は無い。字が六行ある。
〈お尋ねの綴じの手順は下記のとおりです〉
〈一、束の丈を揃えます〉
〈二、揃えたのち綴じます〉
〈三、綴じたものを棚へ収めます〉
〈罫の外に記されたものは、綴じの際には扱いません〉
六行目だけが行の頭を一つ下げてあった。
〈綴じ方の掛は中身を読みません〉
褒めも咎めも一つも入っていない。詫びも無い。
詫びの無い紙のほうが正しい。詫びる者がいれば間違いがあったことになる。手順のとおりに進んだものに間違いは無い。
ユークは六行を上から二度読んだ。
「落ちたのでも落としたのでもないな」
「どちらでもありません」
「裁ったんだ」
「裁ちました」
手は動いている。丈を測った手があり押さえを置いた手があり刃を落とした手がある。籠を月末に出した手もある。
そのどれもが、こちらの十一字を一度も見ていない。
こちらの十一字だけが落ちたのでもない。同じ束の紙は全部同じところで落ちている。次に書く者の紙も、同じところで落ちる。
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ユークは表へ出た。
網の端は坂の下の曲がりにある。そこから先は誰の持ち場でもない。グランの板が拾うのは足元の沈みだけで、町の棚の丈までは上がってこない。
卓には紙が四枚並んでいる。本院の紙。綴じたものの写し。罫だけの見本。今日の六行。
どれにも十一字の入る場所がない。
罫の内側は欄で、欄には取ってくる先が要る。罫の外は紙の耳で、耳は丈を揃えるときに落ちる。
「では、どこへ書けばよかった」
ミレアは定規を出した。まだ何も測らずに罫の脇へ置いただけだった。
紙の端まではまだ指の腹ほどある。
その指の腹ほどが、向こうの棚には無い。




