表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
143/145

第143話 採られた

 票を下ろして三十七日目だった。


 糸が震えたのは昼を回ってからで、上がってきたのは荷を一つ背負った若い男だった。ラスティアの役所の下働きだと名乗った。


「町役所からお預かりしたものを、灰環前砦へお届けします」


 背負い籠から出たのは封が一つ。表に字が三行ある。


 差出は王領台帳方 本院 様式掛。宛先は町役所気付とあって、その下に灰環前砦とある。人の名はどこにも入っていない。


「受けはどちらへ」


「うちの帳面へお願いします」


 男は門の内へは入らなかった。下ろす荷がまだ三軒ぶん残っていると言って、坂の途中で背負い直す音だけを残していった。


---


 ミレアは封をすぐには切らなかった。


 受付台へ置いて帳面を開き、先に刻を書いた。


「切った刻と、切った者と、居合わせた者を控えます」


「中も見ないうちにか」


「見てからでは、見たあとの手になります」


 ユークは柱へ背を預けた。


 小刀の背が紙をすべって封が二つに割れた。


---


 中身は三枚だった。


 一枚目は本院の紙。二枚目は綴じたものの写し。三枚目は薄い紙で、罫だけが刷ってあって字はどこにも入っていない。


 ミレアは一枚目を先に読んだ。読み上げはせず指で行を追い、三行目のあたりで一度止まってから頭へ戻った。


「採られました」


 ユークは柱から背を離した。


「様式にか」


「様式に立ちます。仮の名が取れて番号が付きました」


「番号」


「三枚目の頭に刷ってあるのがそれです。これから使う紙の見本として、うちの手元へ一枚ということかと」


---


「うちの票は」


「一件目です。綴じの一番上に入っています」


 行の長さは一件目で決まると三日いた人は言った。次に書く者はそれを見て書き、その次の者も見る。承知のうえで引き受けた。


 引き受けたものが返ってきた。


「早くないか」


「早いです。本院へ上がったのはまだ一度のはずですので」


「一度で決まったのか」


「決まったというより、並べる先の一件が無かったのだと思います」


 遡らない紙には去年が無い。去年が無ければ比べる先も無い。比べる先の無いものを決めるのに刻はかからなかった。


「うちは載るのか」


「載りません。票は載せるかどうかを決める前に付ける紙です」


「一件目に使われてもか」


「使われても載りません」


 紙のほうだけが先に立った。監督院の台帳にあるこの穴の欄は今日も空いている。


---


 ミレアが二枚目を台の中ほどへ広げた。


 罫の並びは出したときと同じだった。水。地形。道。村の戸数。出入りの人数。


 三つに字が入っている。二つが空いている。


 空いた二つはそのままの形で空いていた。埋められてもいないし線で潰されてもいない。


「そこは動いていません」


「動かなかったな」


 ユークは三つ目の欄の右へ目をやった。


 ミレアの指がそこで止まった。


---


「ありません」


「何が」


「罫の外です」


 余白は写しにもある。紙は紙の端まである。字だけが無い。


 三つ目の脇も五つ目の脇も白い。


 ユークは写しを自分の側へ回した。日の差すほうへ紙を傾け、それから戻した。傾けたところで無いものは出てこない。裏も返した。裏は前と同じで何も書いていない。


---


 ミレアは棚から綴りを出した。


 綴りへ入れたほうの写しは、畳んだ折り目のまま挟まっている。下ろした日から一度も開いていない。


 開いて、台の上へ二枚を並べた。


 こちらの三つ目の脇には〈取る先なし〉とある。五つ目の脇には〈届け出さず〉とある。合わせて十一字。筆の入りも上がりも出した日のままだった。


「書き忘れではありません」


「書いたな」


「書きました。書いてから写しを取っていますので、控えのほうが後です。後の紙に入っているものは前の紙にも入っています」


 ミレアは二枚の位置をもう一度そろえた。罫の目が上下でぴたりと重なり、脇の余白の幅も同じだけあった。


---


 ミレアは一枚目へ戻った。


 本院の紙は事務の紙だった。良し悪しはどこにも書いていない。採ると書いてあるだけで、良いとも足りるとも書いていない。三日いた人の紙と同じ手つきだった。


 末の一行だけが、ほかより字を詰めて足してある。


 〈空欄二件、事由不明。記入者へ照会の要あり〉


 ユークは一度だけそれを目で追った。


「事由は書いた」


「書きました」


「罫の外にな」


「罫の外にです」


 事由が不明だと書いた者は、事由の書いてある十一字を読んでいない。読んだうえで足りないと思ったのなら足りないと書く。足りないとは書いていない。


 無いものは読めない。


---


 ユークは台の縁へ手を置いた。声は上げなかった。上げる先が卓の上にない。


「落ちたのか、落としたのか」


 ミレアは答えなかった。


 先の月、同じ形の問いをこちらから出したことがある。書けなかったのか書かなかったのか。それを分ける手が要ると言って、分ける手を自分たちで作った。


 作った手が、返ってきた紙には無い。


 空いた欄が二つ並んでいる。並びの違いは残らなかった。


---


「一つだけ確かめておきます」


「何を」


「これは写しです。写した者が罫の外まで写さなかっただけかもしれません。それなら綴じられた元にはあります」


「元にあれば」


「うちの十一字は綴じられています。次に繰る者が読みます」


「無ければ」


「無ければ、どこかで落ちました」


 二つは同じ紙の上では見分けが付かない。見分けるには元を見るしかなく、元は本院の棚にある。


 こちらの手は町の役所の受付までしか届かない。そこから先はもう届いた話しか入ってこない。


---


 夕方まで紙は動かなかった。


 ユークは表へ出た。


 糸をどれだけ伸ばしたところで、伝わるのは震えだけだ。誰かが通ったことは分かる。通った者が何を提げていたかは分からない。提げていた紙のどの行が読まれたかは、なおさら分からない。


 字は震えにならない。


 町までは一日。町から本院まではその何倍もある。そのあいだのどこかで十一字が紙から離れた。離れた場所へは、糸のほうが先に届かない。


---


 リクが桶を提げて上がってきたのは日が傾いてからだった。


 ユークは表から戻って受付台の内側に立った。リクは台の紙を見て一度だけ足を止めた。


「なんか来たのか」


「来ました」


「読んだのか」


「読みました」


「なんて書いてあった」


「うちの書き方で通る、と書いてありました」


「じゃあ良かったんだな」


 ユークは答えるまでに間を置いた。


「そこは分かりません」


 リクは首を傾げてから線の下の行へ筆を下ろした。点を一つ打って、それで終わりだった。


「これ、誰が読むんだ」


「うちが読みます」


「よそのやつは読まねえのか」


「読ませるために書いてはいません」


「じゃあ、読まれたら困るのか」


「困りません。読まれても読まれなくても、同じことを書きます」


 リクは筆を戻して桶を提げ直した。門の外まで足音が続いた。


---


 灯を入れてから、ミレアは三枚を並べ直した。


「調べます」


「どこをだ」


「分かりません」


 ミレアは帳面へ〈調べる〉とだけ書いた。どこをとは書かなかった。


「本院へは訊けません。うちの欄は空のままですので、訊く筋がありません。町の役所は束にして回しただけです。回した先で何をするかは、回した者が知っているとは限りません」


「訊く先が無いのか」


「無いのではありません。どこにあるかを、こちらが知らないだけです」


 落としたのなら落とした者がいる。落ちたのなら誰もいない。


 どちらであるかを決めるのにまず要るのは、相手がいるかどうかだった。


 三枚のうち二枚は今日から灰環の綴りへ入る。残りの一枚には罫だけがある。次に誰かがこれを埋めるとき、手本になるのは一番上に綴じられた一件だった。


 その一件の欄が二つ空いている。


 なぜ空いているのかは、もうどこにも書いていない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ