第128話 日取りが来る
二通目には封がなかった。
折ってあるだけの紙で、外側には何も書いていない。門の外で受け取ったユークは渡してきた男の顔を先に見た。街道の宿場で荷を継いでいる若い男だった。
「王領台帳方から回ってきたやつです。返事は要らないと言われました」
言い終わる前にもう向きを変えていた。上がってきた道をそのまま下りるだけの用だった。
紙は三行しかない。
――王領台帳方の検分。三日ののちの朝より。滞在は三日。
人数は三と書いてある。来る者の名は一つも入っていない。紙の下にあるのは前と同じ書役の名だった。
炉底から戻って四日になる。荷をほどいた樽はまだ空き地に置いたままで、卓には書き直しの途中の二枚目が広げてある。
グランの返りはまだ半拍ぶん遅い。ルーメは布を外しても光らない。四日で戻る見込みだったものが戻っていない。
樽は昨日のうちに数えたきりで、受け払いの控えは卓の端に伏せたままだった。ユークは三行の紙をその上へ重ねた。重ねてすぐ順を戻した。
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ミレアは受け取った紙をそのままの向きで読んだ。三行なら灯へ寄せる必要もない。
「早いです」
「追って知らせると書いてあったな」
「はい。追って、が二十日ならこちらは動けました」
彼女は三行を二度読んだ。
「一つ、先に申し上げます」
「言ってくれ」
「載っていない場所には検分は来ません」
ユークは紙の折り目を指でならした。
「うちは台帳にない」
「ありません。ですから本来は回ってこないのです」
言葉はそこで一度切れた。
「……来るということは、載せる前提で来るということです」
登録の話はどこにも書いていない。書いていないのに手続きのほうが先に動いている。検分は載っている土地へ回るものだ。載っていない場所へ回すには、回してよい理由を紙に書いた者がどこかに要る。
その紙をユークは見たことがない。これから見ることもない。
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「決められることを並べてくれ」
「日程のことですか」
「日程は向こうが決めた。俺が知りたいのは、こっちの手に何が残ってるかだ」
ミレアは白紙を一枚引き寄せて左から順に書いていった。書きながら口に出す。
「来る日。向こうです」
「人数。向こうです」
「誰が来るか。向こうです」
「何を見るか。向こうです」
「どこから見るか。向こうです」
穂先が紙の右端まで行って止まった。
「湯をお出しするかどうかは、こちらで決められます」
冗談を言った声ではなかった。
ユークはその紙を裏返した。裏は白いままだった。
二年かけて覚えた手が一つある。消せない形にしてから、判断できるぶんだけ、こちらの順で開く。閉じる側にいるのをやめて開く側へ回った日に作った手つきだった。四つの写しも、名を伏せた一枚目も、あの順で外へ出た。
あれが成り立っていたのは、開く順を握っているのがこちらだったからだ。
「見せる順も向こうか」
「見せろと言われた順です。こちらから並べ替えれば、並べ替えたことが書かれます」
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昼を過ぎてザグレスが上がってきた。
門の内へは入らず受付台の外側へ肘を置いた。
「宿場で三日前から回ってる」
「何が」
「灰環に国が来る、だ」
紙より三日早い。
「誰が言い出した」
「帳場の親父だ。三日前の晩に馬が二頭、宿を通り越して坂のほうへ折れたと言ってる。泊まりもせずに折れるのは王領のやつらくらいだとよ」
「見たのか」
「親父は見てねえ。厩の小僧から聞いた口だ」
「二つあってな。一つは、あの穴がやっと登録されるらしい。もう一つは、国が水を取り上げに来る、だ」
「どっちが多い」
「宿場は前のほうだ。坂を下りるほど後のが増える」
「水のほうは何と言ってる」
ザグレスは肘の下で指を組み直した。
「坂の下の炭焼きだ。上の砦が国と手を組んで堰を作るとよ。作る場所まで決まってる」
「どこだ」
「村の井戸へ落ちてる樋の上だ」
「そんな話はない」
「ねえのは知ってる。場所まで決まってると人は本当だと思うんだ」
「村は」
「知ってる。桶を提げた女が二人で話してた。止められるのか止められねえのかってな」
止めるという言葉は、あの村では水のことだ。四日目から三日止めたのはついこのあいだで、止める権限は今もあちらにある。
「行くか」
「行かねえよ。俺が行けば砦の使いだ。……自分で決める村なんだろうが」
彼は肘を離した。
「泊まらねえぞ」
「聞いてる」
「三日前に知れたのは下にいたからだ。上に座ってりゃ今日知った」
勝ち誇った言い方ではなかった。前の月に自分で言ったことを、自分で確かめただけの声だった。
坂を下りる背が木の間へ入るまで門は開けておいた。
途中で糸が一度だけ震えた。シルクスの網は坂の下の曲がりまで届いている。三日後に誰がどこで足を止め、どこで引き返したかも同じように分かる。分かったことを書ける紙が、こちらには一枚もない。
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日が落ちてから卓へ戻った。
「来るのがあの人なら」
言いかけてユークはそこで切った。
「……話は早い」
ミレアはそれを打ち消さなかった。
「私も同じことを考えていました」
「名が書いてないのはどういう扱いなんだ」
「決まっていないか、書く必要がないかです。検分の者は着いてから名乗ります。先に名が分かると、名で断ろうとする土地が出ますので」
「断れるのか」
「断れません。断ろうとして揉める土地が出るというだけです」
卓には二通が並んでいる。蝋の紋の残った封と、封のない紙。どちらにも来る者の名がない。名の入っていない紙を二枚前にして、二人とも同じ顔を思い浮かべていた。
三日かけて自分の足で回り、七つの数字と坑の帳面と村の井戸を突き合わせて、正面から正しいと言った人だ。押さえの欄を作ってくれとこちらが言ったとき、あの人は何より先に書役を外へ出した。話が通じるという意味では、あれ以上の相手をこちらは知らない。
通じたところで決める側ではないと、本人が自分で言った。
――次に来るのは、私のような者ではありません。
書簡の最後の一行はもう読んでいる。読んだうえで、卓の二人はまだあの顔を消していなかった。
それでも通じるほうがましだった。
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夜になってミレアが綴りを積み替えはじめた。
「三日でこちらが用意できるのは、出す紙の量ではありません」
手を止めずに続ける。
「出さない紙の理由です」
積み替えは三つに分かれた。
一つ目は嵩があった。水位表。配分の控え。事故と怪我の記録。人の出入り。村へ回した量。資材の受け払い。
「二年半ぶんあります。どこから開かれても困りません」
「そう作ってあるからな」
「はい。実際より貧しく見えるように作りました」
二つ目は薄い。深いところの形と脈の通り方だけだ。背表紙の色が一つだけ違う。
「これは出しません」
「出せば外し方の見本になる」
「なります」
三つ目にミレアは時間をかけた。
入ったものを並べると短かった。書き直しの途中の二枚目。押さえのこと。五体が毎日していること。井戸端で決めてきたことの一切。
彼女は一枚ずつ表を上にして重ね直した。
「押さえの数は日ごとに取ってあります。取ってあるだけです」
「載せる先がないのか」
「ありません。紙の上では五体は昨日も何もしていないことになります」
「井戸端のは」
「二年前の分から写しました。決めた日も、決めた者の名も入っています」
重ね終えた束は指の腹ほどの厚みしかない。
「どれも様式に合う欄がありません」
「これは出せない紙ではありません」
「出したい紙か」
「出したいのに、出す場所がない紙です」
「二つ目とどう違う」
「二つ目はこちらが出さないと決めました。三つ目は決めていません」
彼女は積み終えた束へ手を伸ばして、そこから先へ動かさなかった。
「……決める前に、書く欄のほうがありません」
綴りは背に名を書いてから綴じる。名のない束は目録に載らない。載らない束は、卓の上にあっても無いことになっている。
「この束に、名前を付けなければなりません」
ユークは返す言葉を持たなかった。
名を付ければ目録に載る。載れば、そこにその束があることになる。あることになって中身の出ない束を、人は隠していると呼ぶ。
名を付けなければ、束は無いことになる。無いことになったものの中に、この二年半のいちばん大事なところが入っている。
卓の灯はまだ落とせなかった。三日後の朝までに、この束は名を持っていなければならない。




