3 静かな刃
一時は危篤状態だった雪の体力は、司狼の看病の甲斐もあってか、ものの数日で歩けるまでに回復した。
司狼の計画通り、体力も安定したその日より二人は狄地を目指して北進した。背の高い植物がかろうじて生える程度の高度とは言えど、進む道は険しい山道には違いなく、毎日歩き疲れる頃には足の裏が浮腫んで感覚がなくなっていた。規格外の高山である清龍山脈から出るだけでも一苦労なのだと雪は思い知った。そもそも司狼が選んだ道は普段は使われないような悪路らしいが。
数日、深い森林を歩き続けてやっと街道に出た。
整備された山道があるだけでも気持ちが楽になる。道が平坦なだけでこんなにも足の負担が減るのかと雪は感心した。
街道を歩くとなると人とすれ違うことも多くなるため、雪は龍の角を覆うように頭巾を被せられた。司狼がその場で縫い取り作ったものだが、兎族が防寒で被る頭巾と同じものなので、希少種である龍族だとわかりにくくなる。尻尾も脚に巻きつけるように覆い隠せと言われそのまま従った。どうやら龍族だとバレるとかなり不都合があるようなのだが、雪にはあまり感覚がわからなかった。
この日も早朝から黙々と歩き、夕暮れに差し掛かる前に天幕の用意を始めた。
司狼が寝床の支度をしている間、雪は薪を拾いに出かける。ここ数日は雪も降っていないので、乾燥した良質な薪がよく取れる。北へと山を降りるほど植生も豊かになっていき、最初の頃のように枝ひとつ見つけるのに歩き回る必要はなくなった。
目的のものはすぐに見つかった。細くて火の付けやすそうな枝が視界の隅に映る。
雪は腰を屈めてそれを取ろうとした。その時だった。
「ん!」
何かに口を覆われて、きつく羽交締めされた。
「うさぎちゃん、ひとりか?」
明らかに司狼ではない。悪意のあるしゃがれた声だった。眼下に映るのは、ボロボロに刃の欠けた剣。
「ああ、口が塞がれてちゃ答えられねえか」
問うたところで拘束を緩めるつもりはないらしく、叫び声すら上げられない。
落ち葉を踏み締める音と共に、背後からまた別の声が聞こえた。
「お頭、あっちにこいつの父親らしき男が」
「おう、連れてこい」
「でも……見たところ結構強そうな傭兵でしたぜ?」
雪を拘束している山賊の子分なのだろう。答える声は震えていた。
「お前頭働いてねえのか? こんな時に子供と裏山にいるってことは大方家族抱えた脱走兵だろ。早く連れてこい」
「へい……」
子分はすたすたと司狼の方向に去っていった。
雪は逃げ出したくてじたばたと体を動かそうとするも、山賊の力は強く、ほぼ意味はなかった。
「うさぎちゃん、元気なのはいいことだがそんなに暴れると間違えて切っちゃうかもしれねえぞ?」
雪は山賊の手に握られている剣を再度見て、暴れるのをやめた。あれで肌を擦られたら流血だけでは済まないだろう。
直感的に、もう逃げられないんだ、と思った。
恐怖が体を支配する。
手足が冷えて、小刻みに震えている。
しばらくすると、司狼が雪の前に現れた。
その姿を一目見ただけで、雪は少しだけ安堵する。
手に縄をかけられている。たった数日一緒にいただけだが、この大男が大人しく縄についている状況には少し違和感があった。相手はガリガリに痩せた小柄な山賊の男なのだ。
助けて、と声を上げたかったが、不可能だった。
「切られたくなかったら金を置いていくんだな」
「ああ」
司狼はいたって冷静に、縛られた手を器用に使って腰に付けた道具箱から銀貨の詰まった袋を取り出した。
「うおお、随分な額じゃねえか」
袋を覗き見た山賊二人は目を輝かせた。
「約束通り縄は解いてやる」
子分は司狼の手首の縄を緩めた。
司狼は手首をぐるぐると回し、静かな目で二人の山賊を見まわした。
「おい、早くその子の拘束を解け」
一向に雪を離そうとしない山賊に痺れを切らしたのだろう。唸るように言うと身を乗り出した。
山賊はすかさず、その刃こぼれした剣を雪の首元に当てがった。
「おっとお、金を出したのはお前だけだろ。その娘は置いていけ」
こんな別嬪じゃあ、あんな端金より高く売れそうだからな、と山賊がこぼしたその瞬間だった。
司狼の瞳に、青い炎が散ったような気がした。
「しろ……」
塞がれた口で精一杯言葉を漏らしたその時には、
「うお⁉」
二人の山賊の顔に一文字の切れ目が走っていた。
剣を抜く動作すらわからなかったが、一太刀で二人の男を薙いだらしい。司狼の無骨な剣は血に濡れていた。
「うわああああっ!」
「いってえええ!」
斬られたことに後から気づいたのか、山賊たちは顔を押さえて悶え始める。
痛みで構う余裕がなくなったのだろう。雪を締め付けていた腕が緩んで、簡単に抜けることができた。
脱出するタイミングを見計らっていた司狼が、雪の手を取る。
「行くぞ」
雪はただ頷き、そのまま山道を駆け降りていく。この時ばかりは恐怖が勝って、足の疲れなど気にならなくなっていた。
本能のままに走る。
されど思考は止まらなかった。恐怖と安堵の狭間で、やけに心は落ち着いていた。
雪はただ一つことを思っていたのだ。
(まるで、手で水を切るかのように)
この人はなんて静かに人を斬るのだろう、と。




