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その手を  作者: 一ノ瀬 蒼
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8/9

その手をひいて

盲目の衰弱天使かつ俺にとっての昇格チケットであるユーリが我が家へ訪れて約10日。始めの数日は死んだように眠って過ごしていたユーリも、少しずつ活動出来る時間が増えていき、今では普通の生活を送れる程になっていた。ただし普通の生活といえど目は相変わらず見えないままである。要するに天使の力はまだまだ回復していないらしい。しかし視力が無くとも問題はなさそうだった。もうこの家の中は把握しきったらしく俺が誘導しなくても歩けるうえ、1人で時間を潰すのも上手い。天使の象徴である大きな翼も引っ込められるようになった。俺は俺で外での悪魔活動の傍らにその世話をし、まるで手が掛からない親戚の子供を預かった夏休みのような日々が続いている。



「ディックさん、今日の予定は何ですか?」

今朝もまたお決まりの質問が飛んできた。アルの家から帰ってきて以来1度も外に出ていないユーリは、毎朝俺にその日1日の指示を求める。俺の返した答えも毎日お決まりのもの。休息と無理のない程度に矢を創る練習をする事。練習後は好きにしてろと言えば、たいてい1人で日光浴をしたり歌を歌ったりとおとなしく過ごす。あとはたまに俺の気が向いた時に料理を振る舞えば、ちびっこのごとく喜んで食うくらい。お決まりだらけで単調とも平和ともとれる毎日である。俺の指示にハキハキした返事を返すとすぐに矢創りに取りかかったユーリだが、今回も進歩はほとんど無さそうだった。窓の外から人間に見られない壁際に立っていつものように両手を差し出し、全身に力を込めるも手のひらがぼんやりとした光を纏うのみ。それも寝室にあるベッドサイドランプの方がよっぽど優秀な輝きをしてると思うくらいに弱々しい光。こいつの創る矢が形に成った事なんて1回もなかった。もっといえば形に成りかけた事すらない。まだ全快に程遠いのはもちろん理解しているが、このうっすい光のベールみたいな力がいつかアル並みに強力になるとは到底信じられなかった。なーにが「これが、最終的に君が出来るようになる事だよ」だ、絶対嘘だろ。俺がこいつの力を得るまでの先の長さを考えると溜め息が出そうだが、千載一遇のチャンス、焦って下手を打っても仕方がない。結果を急いた考えを首を振って払いながら、コーヒーメーカーのスイッチに手をかけた。とりあえず、顔を赤くしながら力を込め何度も何度もリトライする姿をコーヒー片手に眺めることにしようと思う。



しばらくの間そのまま練習させてから、ひとまず休むように告げる。別に俺が鍛練時間を管理しているわけでは無いのだが、コイツは自分でセーブをかけるのが下手くそだから仕方がない。名残惜しそうに手を開いたり閉じたりしているユーリをテーブルに呼ぶと、ようやく自らの手への執着を解いてこちらに向かって来た。閉じた瞳から感情は読み取れないものの、しょんぼりと下がった眉や少し悔しげにへの字を描く口元が雄弁にその気持ちを語っている。

「今日もダメでした…何かを生み出せてる感覚が全く無いんです。何も出来なくてすみません…。」

「別に。まだ本調子じゃねぇんだろ。また倒れられても困るから、後はちゃんと休んどけよ。」

ん。とさっき淹れたばかりのカフェオレのカップを掴み、その取っ手を押し付けた。一瞬慌てた様子を見せたが、中身の香りを認識した途端にほっと緩んだ顔になる。席に座って大事そうに両手でカップを抱える姿は、あたかもご褒美をもらった大人しい子犬のようだ。まだ熱いカフェオレを冷ましつつ飲み始めるそいつの向かいで本日3杯目のコーヒーに口をつけると、同時に家のドアが勝手に開いた。鍵をきちんと掛けていたはずのドアが。驚いて出入口を見やると、見覚えのありまくる私服の猫毛茶髪野郎が、今人間の間で流行している型の肩かけ鞄を慌てて取り落としている。細身のジーパンを履き、白シャツの上に薄いピンクのカーディガンを羽織った清楚な格好に似合わない表情で、信じられないものを見るかの如く目を極限までかっぴらいたラビリスが人差し指を突きつけて叫んだ。

「あ、あのディックが家に彼女連れ込んでるうぅぅぅぅ!!?」

「違ぇーわ!!この色ボケ野郎!」

周りの人間の目がある外で叫ばれても困るので、驚愕したままのそいつを素早く家の中に蹴り入れた。つーか仮に俺が彼女を連れ込んでたとして、そんな顔するほどあり得ないのかよ!?お前の中の俺はどんだけ女っ気がないんだ!そんなイラつきを込めて、叩きつけるがごとく扉を閉めた。


「…ははぁ~、なるほどね。やっぱりディックに彼女なんてあり得ないか!あーあ、慌てて損した~!」

ユーリに聞かれないように事の成り行きを説明し終わると、心底安心した顔でケラケラ笑いだすラビリス。お前絶体俺の事を下にみてるだろ。なぜドアが開いたのか聞けば、悪びれもせずに合鍵作っといたんだよねと一言。オイちょっと待て聞いてないぞそんな事。真剣に念押しした時も、僕がバラしてもメリットないもーんと軽く返された。腹が立つ相手ではあるが同時に長年一緒にいた仲なので、俺が悪魔だとユーリにバラすような事はしない…はず。悶々と考えていると、語尾にハートが付きそうなぶりっ子声の自己紹介が耳に入った。見ると椅子に腰をかけたままのユーリに近付き、自分が一番可愛く見えるであろう角度に首をこてっとかしげつつ握手している。

「初めましてっ!僕は死神界きっての可愛い系男子、ラビリスだよ。これからよろしくね!」

「自己紹介があざといわ、自分で可愛いとか言うな。」

俺は冷めきった反応だが、ユーリは全くの正反対。先生的な立ち位置にいるアルカディナとは違う、友達に位置する存在と出会えた興奮で頬が紅潮している。もし瞼が開いていたならば、その瞳はキラキラ輝いている事だろう。

「よろしくお願いします、ラビリスさん!」

「もぉ、何で敬語なの~?友達なんだからタメにして。ねっ?」

「はい、いやえと、う、うん…っ!」

女友達同士のような会話を聞き流す間、俺の視線が注がれたのはラビリスとユーリの繋がれた手。死神と握手をしていても天使に傷付いた様子はない。死神は完全中立の立場であり負の力とは関係ないから、天使が触っても傷つかないようだ。接触を気にしなくていいのは楽だろうな。死神とは異なる性質である自らの手にふと視線を落とした。そのままボンヤリしているとラビリスからの話が振られる。

「もうユーリちゃんと街くらいには行ったんでしょ?どこまで案内したの?」

「え、どこにも行ってない。」

自分の手ではなくラビリスの方を向くと目に映ったのは、本日2回目のあり得ないものを目の当たりにした表情。直感に任せてバッと耳をふさぐと、それを突き破って甲高い声が上がった。

「信っっじられなーーい!!!」

このタイミングで言うのもなんだが、俺の悪い予感はよく当たる。


「さあ、今日は色んな所を回ろうね!まずはユーリちゃんの服だよ服!」家からこじゃれた雑貨屋や洋服店の建ち並ぶ通りまで出てきて、ようやくユーリと俺の腕を引いていたラビリスが立ち止まった。腕を組み、やる気を滲ませた仁王立ちでこちらを振り返る。ラビリスの言い分だと、一緒に住んでいる女に服も買い与えず、ずっと家に居たままにさせるのは論外らしい。確かに今ユーリが身に纏っているのは俺のTシャツと七分丈のジーパンという、外に出るにはあまり見映えしない格好である。これからこいつに何か使いっぱしりを頼むこともあるかもしれないし、外に連れ出すのも必要になりそうだ。ラビリスにも一理あると納得した俺は分かったから好きにしろと言い、両手を上げて降参の意を示す。俺の承諾を聞くやいなやユーリの手を取って近くの服屋に突入していくラビリス。ふわふわキラキラした女らしい店に入る気には到底なれなくて、道の端に寄りジーンズのポケットから取り出した煙草に火を着けた。あー、何か腹へってきたかも。そろそろ誰かと契約しないといけねーな、めんどくせぇ。悪魔の食欲の仕組みは基本的に人間のそれとあまり変わらない。たくさん動けばすぐに腹は減るが、動かない事を心がければ人間1人分の魂で2~3ヶ月もつ。そこには個人差もあって、すぐに食べたがる食欲旺盛なやつもいれば、魂1つで3ヶ月以上食べなくていいという食の細いやつもいる。餓死だってある。とはいっても契約も取れないほどの救いようがない無能か、恋をしてその相手の魂しか受け付けなくなった馬鹿くらいしかしないが。何はともあれ俺は餓死なんてさらさらする気はない。煙草をふかしながら次はどんな奴に契約を持ちかけようかと目の前を過ぎ行く人間達の品定めをしていると、ふと聞き覚えのある微かな笑い声が耳に入ってきた。先程ラビリス達が入っていった店の方を向くと、窓越しにちょうど楽しそうにしている2人が見える。わくわくした様子で、ユーリに何着もの服をあてがいあれこれと試すラビリス。閉じたままの瞳で店内やラビリスの選ぶ服達を見回し、幸せそうな笑顔を見せるユーリ。ドア越しに少しだけ聞こえる2人の笑い声は、俺が見たこともないくらい楽しげなその様子を一層際立たせていた。何を話しているかまでは聞こえないが、もうすっかり仲の良い友達同士のように見える。さっきのさっきまで初対面だったくせにお早いこった。ま、女の気持ちなんてさっぱりわかんねぇ俺より、ほとんど女みたいなラビリスの方が気が許せるのは当たり前か。さっきより深く深く煙草を吸う。腹の底から吐くすすけた煙はあっけなく青空へと溶けていった。持ち歩いている携帯灰皿を出す気にもならず、灰の部分が増えた煙草を踏み消して2本目を取り出す。そいつをくわえた時、窓を通してラビリスとちょうど目があった。奴の口が何かを伝えるようにパクパクと動く。俺も煙草から口を離して、口パクを返す。

(ディックも来てよ。)

(嫌だ。)

(ちょっと意見が聞きたいんだ。)

(知らねぇよ。)

(いいから来てってば!)

(行かねぇっつーの!)

あんな女しか入らないような雰囲気の店、行けるかっての。ヒートアップしているラビリスを無視して手元の煙草に意識を戻すと、バンッとドアが開く音が響いた。続いて着ている白シャツの襟が引っ張られる感覚。引っ張っている張本人は、もちろん先程口パクを交わしたあいつである。

「人が来いっつってんだから来いっつーの!!ホンット、ディックって面倒くさがりだよねぇ!」

普段のぶりっこな様子からはかけ離れた力で店に投げ入れられた。拒否権とは一体。店内では突如投げ入れられた俺の登場に驚いた表情のユーリが、右手に白、左手に薄ピンクのワンピースを持って立っていた。

「どっち買うか迷ってるんだ~、ディックはどっちが良いと思う?」

先程の理不尽な乱暴行為などなかったかのような弾んだ声で、ユーリの手のワンピースを指差しながら質問してくるラビリス。しかし心底どうでもいい質問である。どっちも買えばいいだろと言えば、それじゃ選ぶ楽しみが無いじゃん分かってないなぁと呆れられた。意味が分からない。うんざりした顔で2つの服を眺めながらユーリに質問する。

「おい、お前はどっちが欲しいんだよ?」

「えと、本当にどちらも好きなんです。ただ、せっかく買うならディックさんに選んで貰った方を買おうと思って…」

…自己主張の弱い奴だ。それとも相手が俺だからか?たいして役に立たない返答に、渋い顔をしたまま服を眺め直す。ちらりとラビリスを見ると、目を引くのは薄いピンク色のカーディガン。

「んー…。じゃあ、こっちで。」

俺は何となく白い方のワンピースを掴んだ。本当に選んで貰えると思わなかったのか、おずおずしていたユーリが驚きと喜びの色をたたえた表情になる。分かりました!それならこっちにします!と言って笑った顔が窓越しに見たときより幸せそうに感じたのは、きっと気のせいだろう。



悪魔や死神など人間じゃない存在にとって、人間の紙幣を作り出すことは実に簡単である。巨万の富を出す事だって朝飯前なので、人間界で金に困ることはない。なのでてっきり今日は大量の服を買い込む事になるのだろうと思っていたが、その予想は外れに終わった。ユーリがバテてしまったのである。10着も買っていないので買いたがりのラビリスは物足りない事だろうが、そこで病み上がりの相手に不満を見せるほど奴も子供ではない。ユーリの手にある紙袋を例のごとく俺に押し付け、(余談だが、購入した服の入った紙袋を持っているのはほとんど俺だ。全てラビリスに押し付けられている。この野郎。)心配そうに声をかけた。

「どうしよっか。ユーリちゃん、とりあえず家に帰る?」

道端のベンチに腰かけたユーリは疲れを滲ませた笑みを浮かべ、珍しくはっきりと自己主張をした。

「んーと…どこかに教会はあるかな?もしあれば連れていって欲しいんだ。私は仮にも天使だし、多分そこでしばらく休めば元気になれると思うから…。」

「なるほど!教会だね、有名な所があるよ。じゃあそこに行こうか。」

この街の教会というと、あそこしかない。脳裏に浮かぶのは大きな十字架をかかげた立派な教会とその裏の林にある小さな泉。…正直、嫌な予感しかしなかった。

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