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その手を  作者: 一ノ瀬 蒼
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その手を増やして

しばらくの間歩くと店の建ち並ぶ華やかな大通りが穏やかな住宅街へと変わり、さらに家々もまばらになりだして視界に映る緑が増えてきた。同時に立派な十字架を掲げた建物が遠くに見え始める。くたくたのユーリを励ますように、ラビリスが小さく見えるその十字架を指差す。

「だんだん教会が見えてきたよ。もう少しで着くからね。」

「う、うん…っ。」

歩調も返事もヘロヘロであるが、ラビリスのおんぶしようかという誘いを断って自分で歩くと言った時の意思は確固たるものらしい。弱音を一切吐かないその後ろ姿と少しずつ近付く教会を眺めながら、行きたくねぇなあと深く息をはいた。気を紛らわせてやるためか、ラビリスによる説明がつらつらと続く。

「あそこの教会は強い力を持った神父と女神様がいることで有名なんだ。教会の裏にある林に泉があってそこに住んでる女神様なんだけど、正義感が強い勧善懲悪主義のストイックな人だよ。街の皆によると、ちょっぴり怖いけどすごく優しい人…らしいね。」

最後の部分で言葉を濁し、曖昧に笑うラビリス。中立の立場とはいえ女神にあまり歓迎されない死神にとって、街の人間が言う優しいところとやらはよく分からないらしい。しかし物は言いようだな。あの凶暴女神を勧善懲悪、善を勧めて悪を懲らしめるなんてキレイな表現でまとめるとは。俺としては善を勧めて悪を虐殺の方がアイツの主義に合ってる気がするんだが。

「かっこいいなぁ…。神父様は、どんな方なの?」

俺らの渋い表情が見えていないため憧れに染まった声色を発するユーリの質問に、ラビリスの表情がぴしりと固まった。薄っぺらい笑顔のまま流れるのは微妙な間。その問いから逃げるように教会を仰ぎ見たその目は明後日の方を向いている。

「んーーー…優しい人…だと思うよ…?まぁ実際に会った方が早いかな。…ユーリちゃん?」

いくらなんでもごまかしかたが下手すぎるだろ。しかしそれを追求する声は1つもなかった。更に言えば相づちすら返ってこない。全く反応しないユーリを訝しげに思いその顔を見ると、心ここにあらずといった風に教会の方を向いている。どうしたんだよ、と声をかける前にそいつはフラリと歩を進めた。驚いたことに、先程の疲れを微塵も感じさせないほどの速い歩調でどんどん突き進んでいく。俺とラビリスが呼び掛けても足を止めずに曖昧な呟きを返すのみで、結局訳もわからず慌てて後を追いかけるしかなかった。

「ユーリちゃん、一体どうしちゃったの?」

「知らねぇよ、お前の神父の説明が白々しすぎて反応するに値しなかったんじゃねぇの?」

「そんなわけあるか!」

「冗談だ、とにかく今は着いていくしかないだろ。」

止まらない背中を追いながら話していると、ユーリは目指していた教会の前にたどり着いていた。そして脇目も降らずにその中へと姿を消す。同じく黒い大きな扉を開けて教会へのなかへ入ると、パイプオルガンの音色と二重の歌声がその空間を満たしていた。広々とした教会の天井まで響く声の1つは、深く包み込むような優しさを秘めた低い歌声。発せられているのは立ち並ぶ長椅子に挟まれた身廊の先に見える祭壇の上からだ。バルコニーのような形で設置されたパイプオルガンの前で、暗めな灰色の髪を持つ男がそれを弾きながら歌っていた。夜空を閉じ込めたような群青の瞳を持つその身は黒い司教服と青いストラをまとっている。3人の来客に気付いているのか否か、慈しみの眼差しと丁寧な指使いはパイプオルガンから一向に離されない。もうひとつ響くのは高く透明に澄みわたるユーリの歌声だ。祭壇の前で両手を組み、瞳は閉じたまま祈るように歌っている。折り畳んでいた翼はいつの間にか表へ露出していて、天使本来の姿で歌う姿は教会の神聖さを増長させていた。俺とラビリスは言葉を失いドアの前に立ったまま、自分達の世界とは違う色を纏った歌に聞き入っていた。するとその時ふとパイプオルガンの音が止んだ。見上げると、先程までパイプオルガンに向けられていた瞳がこちらへと微笑んでいる。伴奏がなくなると同時に紡がれていた二重奏も途絶えた。一瞬でその場を飲み込んだ静寂を柔らかく低い声が打ち消す。

「ようこそ、我が旧友達よ。」

俺らを真っ直ぐに見据えて告げたのち、バルコニーから地上へ続く階段をゆっくりと降りて祭壇にいるユーリの前で立ち止まる。天使そのままの格好にも全く動じた様子は見られない。芝居がかった動作でユーリの手を取り、その場に跪いた。まるで一国の姫と王子が二人の世界に入っていくかのようである。

「今日は君のような子と共に音色を紡げるなんて、嬉しい限りだな。」

熱っぽい視線をユーリに投げ掛け、そして掴んだ手に口づけて一言。

「どこから迷いこんできたのかい?愛らしい子猫ちゃん。」

「はいストーーップ!!あんたってホント、さむいよねぇ!超絶極寒、北極並みだよ!」

見てるこっちが痒くなりそうな空間は、即座に二人の間に滑り込んだラビリスによって解消された。よく素面でそんなセリフ言えるよね!などと言いながらユーリを神父から引き剥がす。見えなくとも何をされたのかは分かったらしく、ラビリスの側に引き寄せられたユーリは赤い顔でぷるぷる震えている。誰が子猫ちゃんだよとか初対面でキスとか馬鹿かお前はとか、言いたいことは色々あったがとりあえずクソ神父の脛を思い切り蹴りあげておいた。


「名乗るのが遅れたな、俺はジーフィス。この教会で人々の平和を祈る、しがない神父だ。危険な者では決してない…だからそろそろこちらを向いてくれないか、エンジェル?」

会話力に長けたラビリスが説明に困る神父ことジーフィスは、こんな具合の男である。彼が朗らかな自己紹介を終えてユーリの方を覗きこんでも、当の本人はラビリスの後ろに隠れてひたすらに顔を背けたままだ。過去の記憶がないコイツにとって、手にとはいえキスされた事は相当な衝撃だったのだろう。

「ずいぶんウブなエンジェルだな…そんな彼女の心を奪ってしまうとは、俺はなんと罪深い男なんだ…!」

「勝手に惚れられた設定にすんな、ナルシスト神父!」

ユーリを背に隠したラビリスが神父を威嚇したが、それもどこ吹く風。ジーフィスは相変わらず酔いしれるような口ぶりで言葉を続けた。彼が歩み寄るたびに2人はじりじりと後退していく。

「しかしここへ君が訪れたのもきっと運命。さぁ恥ずかしがらずに俺にその身を委ねてくれないか…?」

そして再びユーリの手を取ろうとしたが、それは失敗に終わった。どこからともなく高速で飛んできた何かに弾き飛ばされ、ユーリではなく床とキスすることになったのである。ジーフィスを吹き飛ばしたのは天使だった。真っ白に広がる大きな羽根、頭の上に輝く光輪。ユーリも力が戻ればこんな目映い姿になるのであろうか、なんて事がふと頭をよぎった。長身な神父をあっさり弾き飛ばしたそいつは黄色のシャツとホワイトのズボンを纏い、神父の代わりにがっしりとユーリの手を握りしめている。当のユーリも誰かも知らない相手の登場に頭が追い付かずひたすらにわたわたしていた。

「天使ちゃん来てくれたんだね!僕、とびっきりうれしいよ!」

「あ、あの…っ?」

「もう神父様ったら、女の子に無理矢理迫るなんてマナー違反だよ?ちょっとは反省しないとね。」

「……。」

黄色の天使が諭すように神父に言葉をかけるも、当の本人は床に突っ伏したまま返答の余地もない。特にそれを気にする様子もないその天使は澄んだ藤色の瞳をきらきら輝かせ、彼より僅かに小さいユーリの手をしっかと包み込んでいる。後ろで小さく束ねられた黄色の髪は温かく上品な色をしていて、どこか神々しさを感じさせた。俺とラビリスは急すぎる展開に呆気を取られ、神父は撃沈ユーリは動揺。その間抜けな空気の中新たに動く影があった。いつのまにやら現れた紫のシャツに包まれた腕が、天使の首根っこを掴んでべりっとユーリから引き剥がす。ぽかんとした静寂に満ちた教会に低く気だるげな声がぼそりと広がった。

「…アルマ、ハウス。」

「あ、兄さん。見てよ、噂の天使ちゃんが来てくれたんだ!」

「はいはい嬉しいのは分かったけど、周りの反応も視界に入れような。ハウス。」

藤色の後ろで小さくくくられた髪、紫のシャツに白いズボン。色こそ違えどそっくりの姿形をしている事が見てとれた。ただし大きく異なる点がひとつ、紫のそいつは背に俺と同じものを背負っていた。黒々とした艶を帯びる悪魔の翼。細く頼りなげに映る紫の腕は居心地悪そうにもぞもぞ動く黄色のシャツの首もとを決して離さず、あの黄色天使さえも諦め始めたように見える。長めの前髪から覗く黄金色の瞳がじとりと手のなかで暴れる紫のそれを見つめると、アルマと呼ばれたそいつはしょんぼりという表現がまさに合う仕草で祭壇の前まで離れていった。いや待てお前のハウスってそこなのかよ。静かに心の中を慌ただしくした時間が終わると、紫がぺこりと小さく頭を下げた。

「…ごめん。弟がご迷惑、おかけしまして」

「い、いえ何も酷いことはされてませんし大丈夫ですよ」

黄色も捕まった時に言っていたがどうやらこの紫男は黄色の兄らしい。姿は似ているといえどこちらは大分常識ってものを分かっているようだ。ユーリもほっとしたように言葉を返す。

「…でも、その…根は悪いやつじゃないので出来ればなかよ、あ、俺なんかが言う事じゃ無いですよね…」

変更。常識ってもんは分かってても対応までそうかと言われるとわからないかもしれない。人見知りが過ぎるのかぼそぼそと完結しない言葉を続ける紫を見かねたようだ、おもむろにラビリスが床とずいぶん長く熱烈な口付けを交わしていた神父を引っこ抜いて命じた。

「神父。説明。」

オイいつものあざとさはどうした。



「床が俺と離れたくないと言った…ただそれだけの事さ。触れた場所から確かに感じるこの大地の息吹と鼓動が何ともいえぬメロディーを奏でて」

「床とキスした感想は誰も聞いてない。あの二人について説明しろって言ってんの。」

ラビリスの一刀両断に神父はこほんと咳払いを1つ。自分の話を打ち切られてもへこたれないそいつは、大ステージの開幕挨拶かのごとく大袈裟に綺麗な礼をして述べて見せた。力強く両手に問題の二人を引き寄せる。

「紹介しよう。この二人は世にも珍しい天使と悪魔の双子だ。兄の悪魔カルマと弟天使のアルマ。ちょこちょここの教会に訪れてくれていてな。どうだ、種族を越えても血を分かつなんて筆舌尽くしがたい奇跡だろう?これぞ運命の悪戯、さぞや主も驚かれたことで」

「はっ…何が奇跡だよ。ただのミスだよ設計ミス。天使を二人作るつもりが成功品にくっついて生まれたのがこんな不浄物だもんな、神も驚くわけだよ。」

自分の語りか双子の存在にか酔いしれるように語る神父の言葉を遮って、左手を掴まれたカルマというらしい紫の悪魔が吐き捨てる。今までピクリとも笑みを浮かべなかったその唇の片側がつり上がって皮肉な弧を描く。本来ならば天使は皆等しく神から、悪魔は皆等しく魔王サタンから生み出される。そんじょそこらの悪魔より長く生きてる自覚はあるこの俺だが、そんな話は生まれて始めてだ。

「そんな事があるの?僕始めて聞いたんたけど。」

「そりゃそうでしょ。神が汚れた悪魔を生んだなんて知れ渡ったら永劫の恥になる。優秀なアルマが頼み込んで命は助かったといえ、与えられた役目は周りから身を潜めて人間界の見回り。事実上の左遷ってやつだからね」

「…え。カルマさんは、神様から命を狙われて…」

「そう、主様は本当にひどい。でも僕が天界の業務を一生懸命頑張る代わりに兄さんには手を出さないって約束して貰ったから、もう大丈夫。」

「…こいつ、ただの馬鹿に見えるでしょ。実際はかなり強いから。多分そこの女天使引き寄せたのもこいつだし。まぁとにかく俺が生きてるのはこいつのお陰」

癪だけどね、と付け足すと兄さんの口は一言余計だよね、とアルマ。兄弟の仲、というやつなのかお互いの表情は心なしか柔らかくなっているように感じる。…ん、待てよ。

「ユーリを引き寄せた?そこの黄色が?」

「アルマな。そうだと思うよ、こいつ力あるし。天使一人操るくらいわけないでしょ。」

「うん、きっと僕。町の子達が女の子の天使を見たって言ってたから、会ってみたいって祈りを捧げてみたんだ。そうしたら今こうして君が来てくれて……本当に嬉しいよ。ユーリちゃんだっけ。君も、そこのお兄さん達も、どうかこれから仲良くして貰えると嬉しいな。」

そういえば教会に入る前のこいつは不気味なほど一心不乱に目的地へ向かっていた。にわかには信じがたいがその時アルマの呼び掛け、操作を受けていたと考えれば確かに説明がつく。その話が本当ならアルマの力はカルマの言葉通り相当なものなのかもしれない。しかしアルカディナのやつといい女神といいこいつといい何で俺の周りには力あるやつしかいないんだ、全くもって生命の危機。太陽のように柔らかく明るい笑顔で告げられたものの、苦い笑いでしか応じられない自分がそこにいた。





「良いか。間違えても俺が来てるとか、俺と一緒に住んでるとか言うなよ。絶対言うなよ絶対だぞ。」

「ディックそれは言えっていうフリなの?」

「んな訳ねぇだろぶっ殺すぞ!!」

珍しい双子とナルシスト神父との会話が一段落したのち、ユーリの体力回復のために裏の林にある泉の女神の元へ向かうことになったのだ。そろそろ泉に着きそうだという頃、林の茂みに身を潜めながら俺は念を押していた。勿論俺は泉へは行かない。行くわけがないあんな悪魔殲滅主義女神のところ。なので殲滅対象でないラビリスとユーリで泉まで行って貰うとする。俺が行くのはあくまで泉の見えない辺りの林の中までだ。臆病だとでもどうとでも言え、結局世は生きているもん勝ちだ。

「はいっ!決して、決してディックさんの事は口に出しません…!安心してください!いってきます!」

ユーリは首が取れるのではないかと思うほど激しく頷き、意気込みながら奥の方へ消えていった。一緒に向かったラビリスが残したバカにしたような笑みは一生忘れない、あの野郎。





ディックったらダサいよね、あんなに露骨にビビっちゃって。…まぁ僕も緊張してないと言えば嘘になるけど、だってあの女神様めっちゃ怖いんだもん。僕とユーリちゃんの二人で少しの間歩き、ついに目的の泉へ辿り着いた。僕もかつて幾度か訪れた事のある、辺り一面生い茂る緑に囲まれた小さな泉。女神がいると有名になったからか、泉の縁は滑らかな大理石で囲まれ地面よりいくらか高くなっている。蔦が大理石を伝って生え年季を読み取れるものの、神聖なその空気からか古ぼけた衰えの類いは一切感じられない。有名になっているとはいえその場所が不要な賑わいに包まれる事はなく、この世の喧騒から静かに潜り隠れるような穏やかな空間がそこにあった。ユーリちゃんの手を引いて大理石に触れさせるとここだよ、と言って今まで引いて誘導してきた小さくて白い手を離した。同じく縁に手をついて中に広がる水を眺める。そこにはこの世のどんな汚れにも染まらない、どこまでも突き抜けるように透明で澄みきった美しい水が満ちていた。

「ここ、ですか…」

「うん。呼び掛けながらこれを水に浮かべてみて、きっと僕がやるより喜んで来てくれるよ。」

そう告げて持ってきた鈴蘭の花を1輪手渡した。植物を捧げながら呼び掛けると姿を現すというのが女神様の言い伝えだ。ユーリちゃんは重々しく頷くと、そっと鈴蘭を水に滑らせた。緊張したような固い声が林を吹く風に混じって聞こえる。

「…女神様…どうか、いらしてください…」

すると泉の底からまばゆい光が天に向かって放たれた。さらさらと流れる水を思わせるその光は泉の縁を出ない範囲でくるくると螺旋を描き、空へと昇っていく。ぼんやりと見とれていると水の中より、光の渦に包まれた一人の姿が浮かび上がってきた。深く吸い込まれそうな漆黒の髪は顎付近で綺麗に揃えられており、天界の清浄さを思わせる白いトーガとの対比が美しい。形のよい頭の上と傷1つないしなやかな両手首は月桂樹で彩られ、その神秘さが助長されている。彼女の身が腹部まで現れた時、光の螺旋は吹き消されるように無くなった。いつもの景色を取り戻した林に涼しい風が抜けていく。確かな静寂を感じとった頃、彼女の閉じていた瞳はようやく開かれた。女神は尋ねる。

「…私を呼び出したのは、貴女ですか。」

「は、はい、私です…!」

女神の姿を認識することは叶わないにせよ、現れた彼女の力は感じ取れるらしい。ユーリちゃんは身をのりだし、真剣な面持ちで応じた。呼び出し主が同じ世界の者だからか、女神の凛とした冷たい表情が若干ほどけたのがわかる。今回は穏やかに事が運びそうだと心の中でほっと息をついた。女神様は友好的な表情でユーリちゃんに近づいていく。

「…貴女でしたか。こんな林の中まで一体何のご用で………………ちょっと待ってください。」

しかし穏やかに進みそうだった時間は告げる言葉と同時にぴたりと止まった。彼女が目をみやるのは僕らが来た方角。すなわちそれは。あ、もしかしてこれは…

「…居ますね。あちらの奥に汚れたカスが1匹。消し去ります。」

僕らが止める間もなく女神様は左手を差し出して光の弓と十数本の矢を創り出した。一切の躊躇もなく構えて矢を放ち、聖なる輝きを纏う悪魔殺しの矢は僕らの横を駆け抜けて奥の茂みへとすっ飛んでいった。その軌道線上の全てが矢の爆風に揺れる。3秒もないだろうこの時間の間に美しい女神は姿を消し、恐ろしい悪魔殲滅主義者が現れていた。遠くでディックの叫び声が聞こえると同時に、黒い何かが林から離れた空に向かって一瞬で飛び去っていった。あれは間違いなくディックだろう。叫んではいたけれど、あれは矢を受けた苦痛の声ではなくギリギリで避けた驚きの叫びだと解釈する。

「いたなクズめ。殺す!!」

空に向かって追撃を続ける女神を他所に、ユーリちゃんが僕の袖を引いた。尋ねるとディックさんを追わないと、帰ろうと言う。まだ回復の技も施して貰ってないのにと言っても、怪我してるかもしれないし心配だからと返し頑として聞かない。あいつの事だし大丈夫だと思いはするけれども、真っ直ぐな瞳で繰り出されるお願いには叶わない。僕はちょっとごめんねと告げて彼女をひょいと抱えた。感想としてはやけに軽い、ちゃんと食べてるのかこの子って感じ。あ、勿論天使だから食べなくていいんだろうけどね。そんな事を考えながら、言葉通り羽根のように軽い彼女と共にふわりと空へ舞い上がる。目指すはお望みのディックの所。あんまり怒ると老けるよと心の中で言い捨てる間にも視界に写る泉はどんどんと小さくなっていく。命からがらで大いにビビっているであろう彼の顔を見てやる楽しみににやける頬を抑えながら、僕らは空を滑るように飛んでいった。


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