その手を進めて
消滅の危機を逃れたユーリと家に戻ってきてからというもの、やつは眠ってばかりであった。あの後眠そうにフラフラし始めたので空き部屋のベットへ連れていくと落ちるように眠りにつき、そのまま今夜に至る。アイツがいつ起きるか分からないのでとりあえず常に家にいるようにしていたが、そろそろ腹も減ってきたし待ちくたびれた。空腹をごまかすようにスモークチキンとレタスを挟んだ手製のサンドイッチをほおばりながら考えを巡らせる。ホントにいつまで寝てんだアイツ、もう3日は経ってるぞ。もしや死んだか、きっとそうに違いない。あークソッ、俺の昇格切符が!やっぱり会った瞬間に喰っとけば良かったか!?いやでもあの死にかけ状態を食っても意味がない気がする。しかし何にせよ惜しいことをした。さらば俺の悠々自適な昇格ライフ…。……天使の死体って食ったら力になったりするのか?…食ってみようかな…いやでもかえって悪影響になるか?アルにでも聞いてみるか…。ブラックコーヒーに口をつけながら考えあぐねていたその時。
「お、おはようございます。」
「っ!!?」
背後からの声に驚いて勢いよく振り向くと、壁に手をついた状態でユーリがリビングの入り口に立っていた。…死んでなかったのか。
「いつまで寝てんだねぼすけ。」
「えっ、そ、そんなに私寝てましたか?」
「3日間は寝てるぞお前。死んだかと思った。」
「ええっ!そんなにですか!?」
驚く声を聞く限り、天使の平均睡眠時間がその量というわけでは無さそうだ。まだ目は見えていないらしく、壁についた手を頼りにしてそろそろとこちらへ来ようとしているが全く別方向へ向かっていた。俺の座るテーブルより入り口に近い簡素なキッチンへとたどり着いてしまっている。仕方がないので手をひいてテーブルまで連れていってやると、アルの家でコイツに触れたときよりも若干強い痛みがチリチリと走った。やべえ触ると傷を負うことを忘れていた。しかしどうやら睡眠によって僅かながらも回復をしているらしい。悪魔に反発する力が強くなるというのはきっと元の力が戻ってきたことと同義だろう。とりあえずユーリを向かいの席に座らせ、今後の方針を定めるべく質問をしていく。
「調子はどうだ。」
「まだ少し眠いですが、それ以外は元気です。」
「動けそうか。」
「はい、大丈夫です。」
「飯は。」
「天使なので、食べなくても大丈夫です。お気遣いありがとうございます!…ディックさんはもしかして、ご飯が必要な天使さんなんですか?」
うっ、天使への知識不足から墓穴を掘った。こいつは俺の事を天使だと思ってんだな、そりゃ同族なら知ってて当たり前のはずだ。一瞬心のなかで焦るが、このくらいのごまかしは朝飯前。さらりと返答をする。
「そう、俺は他の天使といくらか体質が違っててな。飯もいる。俺に触った時、痛かっただろ?あれも体質のせいだ。」
「そうなんですか!色んな天使さんがいるんですね。」
そんなわけあるか。だが無知で純粋な何でも信じてくれるやつはありがたい。質問の合間にサンドイッチを食べ終えた俺は、まずユーリにこの家の案内をすることにした。手で家の間取りを覚えさせれば、盲目でもひとりで移動出来るだろう。俺が手を引いて誘導するから痛いだろうが我慢しろと言えば、そんなの気になりません、手を繋いでもらえると安心しますと笑顔で返された。全く、まるで良い子のお手本みたいなやつだな。壁についたのと反対の手を引いて部屋を回ってやると、思いのほか覚えが早くすぐにゆっくりながらも自力で移動出来るようになった。これで良し。飯もいらないと言っていたし、あとはある程度放っておいて、回復してから矢を創る練習をさせれば充分だろう。俺もいい加減腹が減った、早く人間の魂にありつきたい。
「これだけちゃんと動ければ事足りるだろ。俺はこれからしばらく出掛けるが、気にせず休んでくれ。家のものは好きにしていいが外には出るな。力の回復に努めろ。」
それだけの指示を伝えて、さっさと家を出ることにした。無いに等しいくらいの用意を済ませると、金色のドアノブに手をかける。扉を開く音を聞いたユーリの顔に不安そうな色がよぎったが、そんなことはどうでもいい。一言残して、闇夜に包まれた街へと踏み出す。
「じゃあな。」
躊躇なく扉を閉めた時、ドアの向こうから微かな声が聞こえた気がした。
「…い、いってらっしゃい…。」
さて、どんなやつに近づこうか。前は豚みたいにみっともないオッサンだったから今回は見目麗しい女が良いな。贅沢ばかり言ってもいられないが、出来ればオッサンは遠慮したい。そんなことを考えながらぼんやりと住宅街を歩いていると、ふと遠くから怒鳴り声が聞こえてきた。声のもとへと足を走らせると、途中に死にもの狂いで駆けていく若い男とすれ違う。ふむ、怒鳴り声の関係者とみた。こいつをみすみす逃がす手はないだろう。そう考えると足は止めないままに、右の手のひらからそこに収まる程度の大きさの炎を出す。そして勢いよく燃え盛るそれを両手で丸く包み込み、最後に手の隙間から中の炎へと息を吹き掛けてから手を離した。すると先程までゆらめく炎だったそれは、いつの間にか燃えるように赤い瞳の黒猫へと姿を変えている。男の逃げて行った方向へと放り投げてやると、くるりと回転して音もなく着地した。振り向いたそいつに目で合図すると、にゃあっと一声鳴いて男の後を追いかけていく。猫が走り出したのを確認して、再び前を向いた。あの男はあいつに任せておけばいい。ひとまず家にいる人間を確認して、女ならそいつに契約を持ちかける。オッサンだったらさっきの男を追いかけよう。先程まで怒鳴り声を響かせていた家からは、同じ人物が発しているであろうわめき声に加えて皿の割れる音や固いものを殴るような重い音まで聞こえてくる。家の中の人間はさぞかしご乱心のようだ。家の窓からそっと中を覗くと、背中の中ほどまである暗めの茶髪を振り乱してひとりの女が暴れまわっている。間違えても希望していたような見目麗しい女ではなかったが、まあ仕方がない。ささっと体の周りに透明に見える術を施してから、女の目を盗んで室内へと滑り込んだ。パリンがしゃんと陶器の割れる音は止まない。女はひたすら甲高い声で聞き取れない呪詛を吐き散らかしながら、あちこちに物を投げまくる。女の禍々しさと部屋にある物たちの乙女な風合いが何ともアンバランスである。あーあ全く、見るも哀れなやつだな。呆れた表情を浮かべながら、女の後ろへと移動する。スカした真似は好きじゃないが、人間の心を掴むには第一印象が肝心だ。ファンシーな雰囲気で統一された部屋を見るからに、夢を感じさせる演出がお好みのことだろう。やれやれ、悪魔ってのは1種のサービス業なのかもしれねぇな。手始めに女が新たなコップと花瓶を投げた瞬間、それらをピタリと空中で止めて見せた。そしてありえない現象に驚く女の少し離れた背後から、優しい声色をつくって一言。
「初めまして、お嬢さん。」
悲鳴をあげてそいつが振り向くのを見計らって、透明化の術を解く。女の目には俺が突如現れたように映ることだろう。理解を越える出来事に固まっている女のもとへとゆっくり歩み寄り、右手を左の胸元に置いて丁寧に礼をした。
「お助けに参りました、貴女様の忠実なしもべでございます。」
俺の完璧な執事のごとき立ち振舞いを見て、わずかながら落ち着きを取り戻したらしい。女が初めて呪詛以外の言葉を発した。
「…あんたは誰?…精霊、それとも悪魔?もしくは魔法使いかしら。」
「わたくしめは貴女にお仕えするしがない悪魔です。お力になれることがあるかと思い、参上した次第でございます。」
第一印象はなんつーか、偉そうな女だな…俺の嫌いなタイプ。いきなり現れた従順な召し使いをさっそく見下しているようなきつい口調である。
「悪魔というからには、ただでは手伝わないんでしょう?何が欲しいのよ。」
「大したものではありません。契約して与えていただいたお仕事を終えたあと、ほんの少しお給料をいただければ幸いです。」
お給料は金じゃなく魂だなんてことを教える気はさらさらない。悪魔の知識が豊富そうなやつには悪魔という素性を隠して契約させることだってある。誠実さなんてものは全くなく、大切なのは違和感なく契約に持ち込むことだけ。
「へぇ、悪魔も物入りなのね。…いいわ、私と契約して。私への仕打ち、地獄の底で後悔させてやるわ!」
男への怒りでだいぶ短絡的になっているらしい、いとも簡単に契約がとれてしまった。馬鹿な女だ。口の端が嘲笑うように吊り上がりかけるが、ぐっとこらえて上品に微笑んでみせる。
「…ご契約、ありがとうございます。では失礼して、契約の印を結ばせていただきますね。」
心のうちに嘲笑を隠して、紳士のように女の手をとった。鋭く尖らせた人差し指の爪を女の左手首に一周させると、じわりと滲み出てくる赤。己の親指の腹にも爪を突き立て血を滴らせ、そのまま女の手首に垂らす。悪魔の血と混ざりあったその血は、一瞬黒いもやを纏ったのちにその姿を変えていた。切れていたはずの手首には傷ひとつなく、そこにあるのは血を思わせる毒々しい赤さのブレスレットのみ。それは細いミサンガのような目立たない形をしているが、磨きあげられた石のような重々しい輝きを放っている。女と一瞬目を合わせたのち、俺はゆっくりとその足元へと膝まずいた。
「さあ、これで契約は完了です。ご主人様、何なりとご命令を。」
あの後新たに契約した主人が投げた陶器の破片まみれの家を片付け、命令を遂行するために主人の元を離れた俺は、人っ子ひとりいない深夜の街道を歩いていた。同時に心のなかでは新たな主人の品評会が絶賛開催中である。オッサンじゃないことはありがたいが、いかんせん性格が気にくわない。容姿に恵まれたやつでもねぇし、負の感情にどす黒く汚れた瞳を見るに魂の味も安っぽそうだ。そのうえ頼まれた仕事も面倒くさいときた。あの時逃げていった男は新主人であるあの女の恋人であり、こっそり不倫をしていたらしい。ざっくり言うと不倫がバレて怒り狂った女を前に恋人の男が逃亡した、という流れだ。主人の命令はその男を連れてきてなるべく苦しめ、女への仕打ちを反省させてから殺すこと。ただ殺すだけならすぐなのだが、男の苦しみ反省する様子を見せなきゃいけないのが手間である。面倒ではあるが、それを我慢してやるのが仕事だ。あー働きたくねぇ、でもやるしかねぇ。口にくわえたタバコに火をつけてから、両手を顔の横でパンパンッと叩いた。
「おーい、来いよ。男の行方を教えろ。」
一人言にも誰かに呼びかけているようにもとれる口振りで話すが、穏やかな風が頬を撫でるのみで静かな夜道には何の変化も見られない。本来なら呼び掛けに応じて、先程男の後を追わせた使い魔の黒猫がどこからともなく現れるはずだった。しかしいつまで経ってもそいつが来る気配はない。…何があった?もしやどこかで何かに襲われたでもしたか。そう考えた俺は、襲われても気づかれにくそうな路地裏を次々と覗くことにした。くわえたタバコをそのままに暗く薄汚ない小道へと顔を出し続けて数十分。黒の絵の具で塗りつぶしたような闇に浮かぶ血のごとく赤い瞳を奥の方に見つけた。しかしそこにいるのは俺の使い魔だけでないらしい。こちらがわに背を向けた誰かが黒猫を撫でている。懸命に目を凝らすと後ろで小さく1つにまとめてある朝顔のような紫色をした髪と、同じ紫のシャツに包まれた細身の体が認識できた。街の人間だろうか、しかしこんな真夜中にわざわざ路地裏まで出向くやつなどなかなかお目にかからない。どう出るか決めかねていると、にゃあという一声がその静寂を破った。見ると主人の俺に気づいたのか、俺の足元へと猫がすり寄ってきている。オイオイ主人に気づいたことは偉いが今そうしたら…と思いそろりと人影の方へ視線をやると、振り向いた目付きの悪い黄色の瞳とかち合う。俺が第一声を迷っている間に明るく透き通るような黄色は一瞬驚いたように揺らめき、すぐにふっと消えた。慌てて辺りを見回すが、紫の人影や黄色の瞳は跡形もない。
「…何だったんだ?あいつは…。オイ、お前がすぐ来ないせいだぞ。」
自分は何も悪いことしてません、とでも言いだしそうなケロリとした態度で肩に上ってくる猫の頭を軽くこづいて帰路へとつく。気にならないと言えば嘘になるが、いない相手を追いかけようとしても意味がない。とりあえず自宅で落ち着いてから考えよう。
「…そういえば、コイツが居たんだったな。」
自宅のドアを開けて真っ先に視界に入ってきたのは白く大きな翼だった。ドアからすぐそばの床に座るユーリは、自らの翼に包まれるようにして体育座りの姿勢で眠りこけている。なんで玄関で寝てんだコイツは。確かに休めとは言ったが、誰も玄関で寝ろとは言っていない。こちとら早く回復させてとっとと胃に収めてしまいたいのだ、こんな休むのに不向きな場所で寝られたら回復は遅いわ邪魔だわで困ってしまう。まあ、おおかた家のなかを歩き回っていたら睡魔に襲われてそのまま寝てしまったとかその辺だろう。幼稚園児かよ。とりあえずベッドへ運ぶか。そう考えて安定した寝息をたてるそいつを荷物のように雑に担ぎあげた。ずかずかと大股で寝室まで運びベッドにぼすんと転がしてやると、小さく声をもらして身じろぎをした。流石に運び方が適当すぎて意識が浮上したらしく、8割がた寝ぼけた細い声が発せられる。
「…ディッ、ク、さん…で…すか?」
「ああ。家のなかを歩き回るのはいいが眠くなったらベッドまで辿り着いてから寝ろよ。床で寝てたら休む意味がないだろ。」
面倒くさそうに忠告した俺に対してそいつは目を閉じたままへらりと笑い、今にも再び眠りに落ちてしまいそうな声を返してきた。
「ごめん、なさ……おかえ、をい…くて…」
内容もよく聞き取れないようなふにゃふにゃした言葉を残してすぐにまた寝息をたて始めたユーリ。やっぱり幼稚園児並だなコイツ、最後辺りなんて言ってたのかもよくわかんねぇし。まあいい、とにかくこれで回復のための睡眠を下手な場所で貪ることもなくなるはず。それよりも今は契約遂行、ひいては飯の方が優先だ。ユーリを担いでいたのとは反対側の肩におとなしく乗っかっていた黒猫をひと撫でし、俺は部屋を後にした。さーて仕事仕事。




