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その手を  作者: 一ノ瀬 蒼
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その手を見つめて

「とりあえず、君には天地がひっくり返っても無理なことから始めようか。」

結ばれなかった同盟の握手事件の主犯アルカディナは、そう言ってひらりとユーリの元へ歩み寄った。その白い手をパチンと叩くと、ユーリを覆う球は溶けるように消え失せる。球ごしでない状態で見る顔色は、ここに運び込む前より幾分良くなっているように感じた。小さく声を漏らして身じろぎする所を見るに、どうやら目覚めたらしい。しかし相変わらず目は閉じられたままである。1度も開かれないそのまぶたに手をかざしたアルは一瞬いぶかしげな顔をして、パッと手を離した。

「視力はまだ戻ってないみたいだね。まぁ力が回復した時には見えるようになってるんじゃないかな。」

そう俺に耳打ちした後、ユーリに向き直って優しく話しかけだす。

「初めまして、ユーリちゃん。君の話は聞かせてもらったよ。私はアルカディナ、しがない魔術師さ。君に天使に必要な事をちょっとばかり教えようと思うから、よろしくね。」

寝起きの冴えきらない頭でも自分が物を教わる相手だと認識出来たらしく、慌てて姿勢を正して頭を下げた。こいつがこんなにキビキビ動くのを見たのは初めてだ。ユーリの回復ぶりを見る限り、やはりアルの元へ連れてきて正解だったらしい。

「は、はいっ。よろしくお願いします!えと、ア、アル、アルデンテさん!」

パスタかそいつは。元気になった途端飛び出したポンコツ発言に内心ずっこける。

「よく気づいたね、実は私はパスタを司る精霊なんだよ。君なかなか良いセンス持ってるねぇ。」

何でお前もノリノリなんだよっ!

「あ、ありがとうございます!」

そこは礼を言うところじゃない!

誰かラビリスを呼べ!俺1人ではツッコミきれねぇ!

「アルカディナ、他にすべき事があんだろ。」

毒のあるツッコミを持つ友人を思い浮かべながら、俺は本題へと戻した。死にかけの天使がこんなボケをかませるまでに復活したのは何よりだが、何にせよ、俺には天地がひっくり返っても出来ない事とやらをしてもらわなくてはいけない。そうだったねと愉快そうに笑ったアルは、部屋の片隅に立て掛けてあった大型の白い弓を手に取った。続けてユーリの手を誘導するように引き、ついておいでと言って俺らに背を向ける。


簡素な家から離れ、相変わらず静まり返った森のなかを歩く3人。足は止めないままに、アルの穏やかな声での説明が投げ掛けられる。天使はその身に纏う聖なる力を具現化する事によって生み出す矢と、自分に合った弓を持って戦う事。自ら矢を創り出せない時は力がかなり弱っており、そのままでは天使として生きにくくなってしまう事。そして力の回復具合を見るため、またユーリが天界に帰ってから天使としてやっていけるように、俺と一緒に暮らして休息をとりつつ練習してもらう事。ズボンのポケットに手を突っ込んだまま2度目の説明をさらりと聞き流す俺とは対照的に、ユーリはコクコクと忙しく頷きながらその説明を一生懸命聞いていた。アルとユーリはまだ会ってすぐだと言うのに、もう本物の師弟のようにすら見えてくる。いや、盲目のユーリが転ばないよう手を繋ぎながら歩いているので、見た目は家族の方が近いかもしれないが。

「というわけで、君が自力で創った矢を武器として扱えるようになるのが当分の目標だ。その後の事はそれから考えよう。」

「はいっ。」

「うん、良いお返事。」

しかし何だってこんな森の中まで連れてこられたんだ?説明ならわざわざ歩かなくても家の中で出来るだろ。そんな思いを込めてアルに視線を送るとそれに気づいてか気づかずか、案内の足が止まった。アルは繋いでいた手を離して、俺らから少し離れた位置まで歩いてから改めて向き直る。にこりと微笑むと片方の手のひらを空に向けて顔の前に差し出した。それからもう片方の手をユーリに向けて、何やら呪文のようなものを唱えてから話し出す。

「君の脳内に直接、今から起こす事の映像を送るからね。」

そして静かな声が一言だけ響いた。

「よく、見ていて。」

その言葉をきっかけにしたように、アルを中心にして大きめの風が起こった。俺より少し前の位置で受ける風によろめくユーリの腕を掴んで引き寄せる。手に走るちりっとした痛み。困惑の表情をしているユーリだが、瞳の閉じられたその顔はアルから全くそらされない。本当にこいつの脳内には今この瞬間のアルの姿が映っているらしい。風の発生源であるそいつは、さらに金色の光を纏い始めた。全身から発せられる光も眩しいが、差し出した手のひらが特に強く輝いている。吸い込まれるようにその手を見つめていると、手のひらから光の棒のようなものが出てくるのが分かった。徐々に姿を現すそれは、腕ほどの長さまで伸びていく。慣れてきた目をこらすと、上先端は鋭く尖り、下は羽のように広がっているのが見てとれる。間違いなく、光の矢がその手のひらの上に現れていた。どうやら本当にその身に纏う力で矢を創る事は可能らしい。1本の矢を生み出す事に成功した途端、アルの体全体を包む光とうねるような風は弾けるように消え去った。再び静寂に包まれた森のなか、当の本人はいつもと何も変わらない表情のまま光の矢を持って立っている。

「まだ目を離しちゃダメだよ。」

冷静な声でまた一言告げると俺らに背を向け、背負った弓を取り出して構えた。もちろんセットしているのは、いまだまばゆく輝くあの光の矢である。痛いほどの静けさの中、狙いを定めた矢は風を切って放たれた。その直後、打撃音と破壊音、大きな何かか軋んで倒れる音、地を伝わる衝撃。全ては一瞬に感じられた。はっとして目の前の状況を認識し直すと、そこでは1列に並ぶ4本の太い大樹が根本から折られ、力なく地に倒れふしていた。見上げても足りないほどの高さだったそれらの無惨な姿に思わず呼吸を忘れる。まさか、たった1本のあの矢がこうしたのか?信じられない気持ちでアルを見ると、そいつは何事もなかったかのような笑顔を浮かべてこちらを見ていた。行き道でしていた説明の時と同じ、柔らかい声がユーリに向けられる。

「これが、最終的に君が出来るようになる事だよ。」

これだけの事をやってのけた後にも関わらず、いつもと変わらなすぎるその姿に背筋が冷えるのを感じた。




あの後は結局、

「ディックには天地がひっくり返っても無理なお手本は見せたからひとまず私の仕事はおしまーい。」

と言われ追い返された。

「矢を創るコツはしっかりと頭に思い描く事かな。そのうちまた連絡するから、それまでしっかり休息を取ってもらって、それから練習もさせてあげてね。」という指示を残した時、同時に魔術で俺とユーリを俺の家へと瞬間移動させたようだ。気づくとすっかり見慣れた自分の家の中で2人立っていた。え、つかお前の仕事あれだけかよオイ。説明と手本だけかよ。いや確かに俺は光の矢なんて創れねぇけど!でももう少しなんかあるだろ普通!

「あの、」

頭の中で強力なのかポンコツなのかハッキリしないパスタ魔術師に文句を言っていると、小さいがしゃんとした声が響いた。声の主に向き直ると、緊張の色を滲ませたユーリが姿勢を正して立っている。

「た、助けて下さって、ありがとうございます!わ、私はアルカディナさんみたいに凄い事は出来ませんが、一生懸命頑張ります。どうか、よろしく、お願いします…っ!」

震える声でそう言って深々と頭を下げた。初めてこの家に運ばれた時とは違うしっかりした態度に、ユーリが死の縁からの回復を遂げた事を実感する。真っ直ぐに向けられた感謝に慣れなくてむず痒い。しかしこんなに典型的な良い子なのに最期は俺の腹のなかなんて、哀れなもんだな。

「…おう、よろしくな。」

口角をくいっと上げて返したその言葉は、意味のない紙切れのように薄っぺらく感じられた。俺の言葉に安心したかのごとく顔をほころばすそいつ。無知は罪、知らぬが仏。可哀想なやつ。

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