その手を振り下ろして
突如街を襲った雷は、悪魔の足が遠方のある地へと着いた途端何事もなかったかの様におさまった。黒々とした雲はあっという間にかき消え、突き抜けるような青空が現れる。さあっと差し込んだ光が、植物の生命力の満ち溢れるその場を明るく照らした。右を見ても左を見ても、人気のない静かな木々の光景は変わらない。まるで世間から忘れられているかのようなこの森がアイツの住み処である。目の前にポツンと建つ、しゃれっけの無い木製の家のドアを乱暴に叩いた。返事を待たずに年中鍵など掛かっていないドアを蹴り開け、中へと押し入る。
「アル!いるんだろ、急病人だ!」
大きな窓辺にある安楽椅子に腰かけた若い男は、朝霧を思わせる薄い青紫色の長髪をさらりとなびかせてゆったりと振り返った。アメジストを嵌め込んだかのような瞳が細められ、ふわりと微笑む。
「やあディック、さっきの雷は君の技だろう?とても美しかったよ、つい見とれてしまった。次は空の色がもう少し紫寄りだと更に綺麗になりそうかな。」
「急、病、人!!って言ってんだろっ!!」
いつもトンチンカンな感性を見せる間の抜けた頭をばしりと叩き、痛がる抗議の声を無視して腕に抱えるユーリを指し示す。苦しんでいる天使に気付くなり、先程までの平和ボケ面はすっと引き締まった。空気の読めないおとぼけ野郎から腕の立つ魔術師へとそいつの中のスイッチが切り替わったのを察し、順を追って状況を伝える。もちろんユーリに聞かれてもバレないように、俺が悪魔だとかユーリはいつか食べる気だとかその辺は伏せてだが。説明を終えて指示を仰ぐ俺に降ってきたのは何とも呆れた色を滲ませた声。
「君、バカだねぇ~。」
「誰がバカだ誰が!てめえに言われたかねえよ!!」
飛び出た抗議の声を無視しかえして立ち上がったアルは、ユーリを俺の腕から抱き上げると自分が座っていた安楽椅子に座らせた。ボソボソと何かを唱えて人差し指でくるりと小さな円を描くと、それらは半透明な球に包まれる。神妙な表情で球に両手と額をつけまたも何かを囁くと、それに応じるように球は柔らかい黄金色に輝きだし、すぐに始めと同じ濁ったシャボン玉の見た目に戻っていった。その中に鎮座するユーリの呼吸が穏やかなものに変わっている事に気づく。どうやら体調を良くするような魔術を施してくれたらしい。ようやくこちらに向き直ったアルは、小馬鹿にしたような声色を崩さずに話し出した。
「さて、これでひとまずは大丈夫。…その顔、ホントに分かってないんだね。あの子の症状はほぼほぼ君のせいだよ、ディック。」
君のせい、という予想しなかった言葉に思わず息が詰まった。悔しいがコイツの言う通り、ホントに分からない。動揺しながら理由を問う俺とは対照的な涼しい声が続く。
「聖なる力と邪なる力は相殺する、つまり天使と悪魔は触れただけでお互いを傷つけてしまうんだ。それぞれの持つ力が相反するからね。誰でも教わる基礎基本だと思うけど…心当たり無いの?」
言われてみると確かにかつて他の天使と一戦交えた時は、接近戦になればなるほど両者傷を負うことが増えていた気がする。まさか1回1回の接触ごとに負傷していたとは。
「いや待てそれよりてめえコラ」
今さらっと俺が悪魔だってバレる発言しやがったこの野郎!どうしてくれんだ俺の出世コース!アルをぶん殴るのが先か、逃げられる前にユーリを食っちまうのが先かと決めかねていると、頭をコツンとノックされた。どうやら俺の台詞の続きが読めたらしい。
「私がそんなヘマをするわけ無いだろう?さっきユーリちゃんを囲った球は何だと思ってたんだ。耳封じの術だよ、あの中にいる限り外からの影響は一切受けない。私達の話も届いてないよ。」
何だよ驚かせやがって先に言え!そんな思いを込めて放った拳はひらりとかわされてしまった。本題に戻るよ、と言葉が続く。
「つまり邪なる力を纏ってる君がベタベタ触るから、ただでさえ弱ってるユーリちゃんの聖なる力が汚されて、存在さえ危うい状態になってしまったということさ。普通なら君もダメージを受けるはずだけど、それすら無いということはよほど弱ってたんだろうね。」
可哀想に、と呟いて現場から取り残された球に手を添えるアル。とことん俺の無知さをつつき回してくる所は腹立たしいが、正直ぐうの音も出ない。
「…とりあえず、もうこいつは平気なんだな?」
「ああ、私の魔力を注いだからね。さっきの黄金色の光がそれだよ。全快には程遠いけど、ひとまず消滅の危険は無くなった。」
助かったと小さく礼を言うと、気にするなとでも言うようにくしゃりと頭をかき混ぜられた。やはりコイツを頼ったのは正解だったようだ。目の前のアルことアルカディナは、知る人ぞ知る大魔術師である。どんな難解な魔法でも使いこなし、その素晴らしさは神の生まれ変わりなんて噂もあるくらいだ。その強大な力を求める王家にしつこく追い回され、うんざりした彼は今の人気のない森深くに住まいを置いたらしい。胸元まで伸びる長い髪をいじりながら、またアルは喋りだした。
「とりあえず天使の力は休息と聖なる力を持つ道具である程度回復させるとして、指導もちゃんとする事。いいね?」
「は?指導?」
「そう。通常の天使は自分の力を具現化させて生み出す矢を放って戦う。つまり矢を自分で創り出して使えるようになって始めて本調子に戻ったと言えるんだ。それを見ればユーリちゃんの回復具合も分かる。だけど彼女はほぼ全ての記憶がないんだろう?矢の創り方も弓の使い方も分からないんじゃ、判断のしようがない。あの子に合う弓を用意したり、矢の創り方を教えてあげたり、天使として最低限必要な分は指導をしてあげないとね。」
アルの丁寧な説明に若干だが渋い顔をする。俺の最終目的はユーリを食べる事であって、立派な天使に育てる事じゃない。不自然に見えない様にさりげなさを装いつつ反論を返した。
「指導とか自信ねーよ。悪魔の俺が天使の指導なんかしなくても、さっきお前の言ってた休息と聖なる力を持つ道具で回復させるだけで充分だろ。」
今度はアルが苦い顔をした。王室のお偉いさんの所に呼ばれた時も同じ反応をしていたのが思い出される。
「聖なる力を持つ道具って言うのは弓が主だよ。弓の材料にする木には聖なる力をまとってる物を使うから、持っているだけでも天使にとって良い効果を及ぼすんだ。でもそれだけで充分に回復するかは分からないから、やっぱり指導は必要だよ。ホントは泉の女神様から何かそういう物を貰えば確実なんだろうけど…私、あの人苦手なんだよなぁ~」
泉の女神、の単語に俺も顔をしかめた。頭に浮かぶのは、白いトーガに身を包み、短く切り揃えられた艶やかな黒髪の頭に月桂樹の冠を乗せた神秘的な立ち姿。そしてそれに全くそぐわない鋭い目付きとひとたび口を開けば発せられるキツイ言葉。力はあるが、その使い方と性格に難がある女である。会うたびに舌打ちと触れた瞬間消滅しそうな程強大な矢を放ってくるのはいかがなものかと思うぞ。確かにホイホイと頼み事が出来そうな相手ではない。
「頼んだら道具の代わりに俺を消滅させろとか言われそうだな。」
「それを冗談だろって笑い飛ばせないから不安なんだよ。私も常日頃彼女から白い目で見られているし、ろくな事にならない気がする。」
嫌そうな顔で首を振った後、現実逃避するかのように手のひらサイズの光を創って遊び始めるアル。俺は苦々しい顔をそのままに舌打ちした。指導は取り消しにならないわ、唯一の頼みの綱は凶暴女神だわで、どうにも逃げ道がなさそうである。しかし冷静に考えてみろ、食べる予定の天使に指導をするのは腑に落ちないが、無駄に力のある冷酷な女神に会うよりはずっとマシだろう。
「どうするんだい、ディック?」
改めて飛んできた質問に対し、腹を決めて大きなため息を1つ。どうやら大きなごちそうにありつくまで時間がかかりそうだが、耐えるしかあるまい。俺はアルカディナに向き直って一言告げた。同盟の握手をするかのように手を差し出す。
「仕方ねえからユーリを指導する。お前も一緒にやってくれるよな?」
真剣な出で立ちの俺へは目もくれず、自らの創ったふわふわ浮かぶ光と戯れながらの返答が返ってきた。やつの視線は光に向かっているので、当然俺の手の所存に気付くこともない。
「そうか、まぁそもそも君の拾い物だしね。君には天地がひっくり返っても無理だって事は手伝ってあげるよ。」
俺ら2人の間を何ともいえず白けた寒々しい風が吹き抜けた。もっとも、それを感じ取ったのは俺だけであるが。俺の中では固く繋がれる予定だった手は柔らかい光をいじくり回している。握り返されることなく行き場を無くした手を目の前の頭に全力で振り下ろした。その場の空気にそぐわない小気味良い音が静かな森中に響き渡る。やっぱりコイツとは微妙に息が合わないんだよなぁ、くそったれ!




