その手を抱えて
人気のない朝方の街のなか、とりあえず裸足のうえに飛べもしない状態の天使をおぶって元々帰る予定だった家を目指す。羽のように軽いとまではいかないが生き物らしさを感じない軽さの体が震えているのが背中越しに伝わってきた。
歩きながら痛い所はあるか寒くはないかとあれこれ尋ねるが、首を振るだけで一向に口を開かない。俺は医者か。結局言葉を発したのは一回だけだった。俺が名を聞いた時の小さな返答。
「…ユーリ」
街の中心部から少し離れた場所に位置するシンプルな造りの我が家に着くなり、そのまま風呂場に直行した。本来の働きをするのは夜だけで昼間は人間に紛れて生活している悪魔は、普通人間界に各自の住み処を持っている。せっかくの家をこんなどぶねずみみたいなやつにドロドロにされるのはまっぴらごめんだ。蛇口をひねって湯を沸かし、準備をする。
相変わらず目を閉じたまま辺りの様子を伺うように顔を左右に動かすそいつに簡単に風呂場の使い方を教えてやるとバスタオルと質素な着替えを投げ渡して扉を閉め、必要最低限の物しかないキッチンに向かう。せめてどぶねずみがただのぬれねずみ位になればいいんだが。
ぬれねずみどころじゃなかった、やっぱり腐っても天使だ。これが俺の第1の感想。風呂から出てきたユーリはTシャツにジーンズという安っぽい格好ではあるが見違えるようになった。くすんでいた金髪は光の川のごとく煌めき、肌や羽は汚れを落として絹のような美しい白へと変貌を遂げている。さすが天使、人間が美しいものを例える代表格だけあってこの俺が一瞬見とれるほどだった。その美しさを売りに見世物小屋へでも入れれば、悪魔の契約にのるような性根の腐った金持ちが山ほどつれるだろう。さっきまでボロボロだった様子を感じさせるのは微かにしか光らない光輪や羽のちぎれ、1度も開かれない目くらいのものだ。1人では移動もままならないそいつを2脚しか椅子を備えていない面白みに欠けたデザインのテーブルに連れていく。そして先程作った料理を置いた。いや正式に言うと料理というよりは「冷蔵庫でたまたま見つけたピーマンと肉を切ってフライパンにぶちこんで適当に味付けただけの何の料理名もないただの炒め物」先日ラビリスから押し付けられた東洋産だというライスも一緒に出しながら、飯は食えるかと質問する。
返事は無言。肯定とも否定ともつかない曖昧な表情で困ったように口を閉ざしている。何度聞いても変わらない。ううむ、こういう煮え切らないやつはイライラすんなぁ。
「分かった、口開けろ。」
反応はからっきしだが言われた事はキチンとこなすのでいけるかと踏んだが予想通り口を開けた。すかさずフォークを肉ピーマン炒めに突き刺し、そこに勢い良く突っ込む。不意に口内に運ばれたフォークのスピードに肩をびくりと震わせ固まったものの、すぐに大人しく咀嚼し始めた。心なしか緊張していた表情が緩んだように見える。飲み込んだ頃合いを見て次、と言うとまた静かに口を開けた。ライスと炒め物を交互に入れる。食べる。この繰り返し。なんだこれ雛鳥の餌付けか。見た目16歳ほどに見える女天使に外見年齢19歳の俺が料理を食べさせる光景は通常なら恋人同士のあーんとやらなんだろうが、正直そんな甘さは1ミリも存在しなかった。親鳥と雛鳥、まさにそんな感じ。工場の流れ作業のような時間が過ぎたあとに終了の旨を伝えると、天使は軽く頭を下げて皿が空になったにも関わらず口を開ける。俺のものではない声がした。
「…ごちそうさま、でした。美味し、かったです。」
おお、やっと喋った。あまりにも声を発することが無いから今まで発した二言はマグレだったかと思い始めた所だった。前に人間が言ってた腹が減ってはなんとやらというのは本当だったのかもしれない。まあ飯を作った身として悪い気はしない。会釈をしているそいつに向かってそっけなくだがおそまつさんと返す。口をきけると確証が持てたので、役目を終えた食器をシンクへ運んでから再びテーブルへ座り、尋問を始める。
「お前、話せんだな?」
小さく頷いた。
「怪我は平気なのか」
また頷く。
「どこから来た?どうしてあんな所にいた?」
「…分かりません」
絞り出すような声色の返答に不満を覚えた。分からんとか何だそれ、俺はそこらへんが聞きたいんだっつーの。苛立ちの声を飲み込んで質問を変える。
「…なんでボロボロになってたんだ?」
「…すみません」
おずおずと謝罪の意を述べた。それも分からないってことか。
「何で分からねぇんだよ、下手な嘘をつくな。」
わざと分からないふりをしているようには感じられないが、ドスをきかせた低い声でカマをかけてみる。
「…き、記憶が、無いんです。本当です。自分の名前以外、何も。何であそこに居たのかも、どこから、来たのかも。…私が、何者なのかも。」
ただでさえ小さい体をさらに縮こまらせて何度もすみませんと繰り返す。そこに虚偽は無さそうだ。しかしまぁ記憶喪失かよ。最終的に食べちまうとはいえ、身元も事情も掴めないなんて手元に置くには不安極まりないな。そもそも天界と別々の世界にいる悪魔はそちら側の事情にそこまで詳しくない。いやもしかしたら俺がそういう話題に興味なさすぎるだけかもしれないけど。とにかく本人からの情報が無いとどうにもならないのだ。肺の空気を吐ききるようなため息をついて、餅は餅屋だと呟く。俺のため息にまた体を縮こまらせたそいつにむかって言い渡した。
「仕方がねぇ、その手に詳しい知り合いのとこに行く。ついてこい。」
いきなりの外出令に戸惑う様子を無視して、その背にある真っ白で大きな翼と頭上に浮いている弱々しい輝きの光輪を掴み、引っ込められないかと尋ねた。触られるのに慣れないのか肩がびくりと跳ね、緊張のためか青白い顔でこちらを伺うような身ぶりをする。翼やしっぽなど悪魔らしい部分を全て隠して完璧に人間に擬態した俺と違い、今の天使感丸だしのこいつを外に連れ出せば街中の注目の的だ。ろくでもない悪目立ちは避けたいに決まってる。
「ひ、引っ込める…?」
おっかなびっくりで震えたような声色に、これはやり方知らねぇなと悟る。せめて外から押した弾みで引っ込まないかと掴みっぱなしだった天使の象徴をその体にぐいぐいと押し付けてみた。軽めとはいえいきなりの事に対応できなかったようで、押された拍子にがくんと膝をつく。どんくさいなぁコイツ。一応悪いと言おうと口を開いた時、目の前の体が床に倒れ伏した。数瞬の嫌な静寂が部屋を満たす。喉まで来ていた言葉は驚きのあまりかき消えた。慌てて様子を確認すると倒れた本人は目を閉じたまま苦しそうに顔を歪め、血の気の失せきった顔で息を切らしている。そういえば先程から青白い顔や震えた声など、なんとなく様子がおかしかった。まさか、
「お前さっきからずっと具合悪かったのかよ!!」
すみませんと囁くような謝罪を遮ってせわしない呼吸を繰り返す細い体を抱え込む。行く予定だった知り合いの住み処は俺の街からそこそこの距離がある。人間の目を気にして抱えて走ったのでは間に合わないかもしれない。
俺は舌打ちをして元の悪魔の姿に戻った。魔力を使うには本来の姿にならなくてはいけない。片腕に抱え直したこいつとは正反対の真っ黒い翼が現れたがどうせ目が見えないのだ、正体がバレる訳がない。空いている左手を真っ直ぐ天井に向けてパチンと指を鳴らす。鋭く光る幾多の電流がその腕を囲むように踊り始めた。窓際に寄るとあっという間に空におどろおどろしい暗雲が立ち込めるのが見える。外からは急に変わった天候に街の住民達がどよめいている声が聞こえてきた。
「ったく、厄介なもん拾っちまったかな。」
そうつぶやくが速いか上げた腕を地面に向かって振り下ろした。その動作に合わせていくつもの大きな稲妻が黒々とした天を裂いて街に降り注ぐ。あちこちで上がる悲鳴。それらに紛れて天使を抱えた悪魔が、窓から誰の目にもつかないほど空高くへと一気に羽ばたいていった。




