ディランのお仕事2
エレノアのダンス修行前のお話です。
ディランの内情なので、「侍女と王女の・・・」の現在の話とほんの少しかする部分が出てきます。
「ね?お願い」
わずかに首を傾けて、緑の瞳は上目遣いに。
天使とうたわれる少女の可愛らしい『お願い』に、彼はひそかにため息を飲み込んだ。
ディラン・デール、デール侯爵家の息子にして王子のお目付け役、そして王家の三兄弟の幼なじみでもある。
天使の正体は、この国の王女、アイリーンだ。彼女は彼のことをもう一人の兄のように慕ってくれており、こうしてお願いをされるのも、これが初めてというわけではない。
しかし、これは。
「お姫様は、俺に何をお望みでしょうか?」
敢えて敬語で聞いてやれば、彼女は少し頬を膨らませたものの、すぐに気を取り直した。
「だからね、私のお友だちと踊ってほしいの」
それは先ほど聞いた。
「だから、それが謎なんだけど」
少し口調がなげやりになってしまったのには彼も気付いたが、どうしようもなかった。
アイリーンはそれに気付いて長い金のまつげをぱちぱちとしばたいたが、敢えてそこには触れずに、こう説明した。
「その子、ダンスの練習相手を探しているのよ。それで、私の知り合いを紹介すると言ったの」
「知り合いねえ」
最初はファレルかクインランを紹介しようとしたのだけど固辞された、と王女は言う。
それは当然だ、とディランは心の中で突っ込んだ。
どこの世界に、自分のダンスの練習に王子を呼び出す人間がいるというのだ。まあ、王妃の座を狙う人間ならばアイリーンから申し出があったことを幸いと飛びつくかもしれないが。
そこまで考えて、ディランはこの幼なじみの思惑に気付いてしまった。
「もしかして、見極めってこと?」
アイリーンはそれに答えなかった。
しかし彼女がにっこりと微笑んだので、ディランはそれが正解だと知る。
アイリーンはお友だちと言ったが、それは数いる学友の意味ではなく、彼女が腹心の友としたい人物なのだろう。そして今日、細心の注意を払ってかけたふるいの上にその娘は残った。王家の権力や王子という肩書きに近づこうとして甘い誘いに乗る人物かどうか、アイリーンは試し、その試しを通った娘を、ディランにも見極めろというのだ。
友と言いつつなかなか疑り深いと言われそうだが、彼女は王女である。日々命を狙われ続けているアイリーンが、側に近づける人間に用心はしすぎるということはない。
薔薇色の頬、日の光を紡ぎあげたような金糸の髪。天使のようなふわふわとした見た目のアイリーンは大層賢く、地に足をしっかりついて生きている。
目的はわかった。
しかし、ディランはいつものように素直に頷けなかった。
「ディランなら、ダンスも上手いし」
アイリーンはそうおだてるが、そこはもっと深く考えてほしい。
ディランが他の令嬢と身体を密着させて踊ることに、アイリーンはなんとも思わないのだろうか。
見ようによっては王女ご推薦の見合いである。
「どんな子なのか知らないけど、踊っていいわけ?」
面白くない、とまた声に出たのだろう、アイリーンはきょとんとディランを見つめた。
ディランは自意識過剰ではないが、それなりに異性にもてる自覚もある。王女ご推薦の見目麗しい侯爵家子息がダンスの個人授業、と字面にすれば、どうだ。相手が夢見がちな少女だった場合、かなり勘違いが起きそうな際どい設定ではないか。
ところが、彼の心配をよそにアイリーンは再びにっこりと微笑んだ。
「大丈夫よ」
なぜ、何が、とディランは思う。
よほどその娘を信用しているのか、それともディランに全く魅力を感じていないのか。後者だったらかなり悲しい。
遠い目になりかけた彼に、アイリーンがふふふと楽しそうに笑った。
「あのね、そのお友だち、エレノア・ガーラントというのよ。ガーラント家の子息は、ディランも知っているでしょう?」
ディランは目を見開いた。
ハロルド・ガーラントは一つ年下の同級生だ。
入学早々、あまりの優秀さと徹底した猫かぶりっぷりに、ファレルが面白がって近づいた。ディランもその流れで親しくなり、今ではかなりその能力をかっているのだが、彼はなかなか自分の領域に踏み込ませようとしなかった。特に家族に関してはそれが甚だしく、何度もお宅訪問を打診しては断られている。
「ハロルドの、義姉かあ」
その謎の家族に会えるのか、とディランは考えた。
ハロルドの家族ならば、会ってみたい気がする。
それに、友人としても人材としても側にほしいハロルドに踏み込むこの機会を、棒に振りたくなかった。
ディランはとりあえず、自分の複雑な心情を抑えることにした。
「お姫様の仰せのままに」
いくらか抑えきれずにかなり仰々しい言い方になってしまったが、アイリーンには感想を聞かせてね、と楽しそうに返された。そのため、さらにもやもやを抱えることになった。
ともあれ、こうして実現したディランのガーラント家訪問であった。
結論から言うと、彼の懸念は杞憂に終わった。
エレノア・ガーラントは変わった令嬢だった。彼女は貴族の令嬢に珍しく、関係づくりより学業の習得に熱心なようで、もっぱらダンスそのものに集中していた。その上、休憩中もずっとあのハロルドが嫉妬丸出しで監視していたのには驚いた。
何事もないどころか、かなりの収穫に気をよくしたディランだが、アイリーンに対する鬱憤はそれとはまた別のこと。
お茶のみがてら報告に行った先で、ディランはさてこのもやもやをどうしたものかと考えていた。
彼女の部屋の長椅子には、例のごとくファレルがだらけた格好で座っていて、アイリーンにスリッパで脇に寄せられている。
「それで、どう思った?」
アイリーンがわくわくした様子で聞いてきたとき、ディランは意趣返しの方針を決めた。
彼はにっこりいい笑顔を作ると、こう返した。
「可愛い子だと思ったよ」
とたんにアイリーンの唇が尖った。
すぐに扇でそれを隠したが、咎めるような冷たい目を見れば口元も容易に想像できる。
「そういうことを聞いているのではないわ」
つんとして言うアイリーンに、ディランは今度こそ本心から笑みを深めた。
他の令嬢と踊れと命じた唇を、その令嬢の誉め言葉を聞いて尖らせる。
わがままだ。けれど、わがままな彼のお姫様は、それでも、ディランが他の令嬢に目を奪われることをよしとはしていないのだ。その甘美な事実は、ディランの中の鬱憤を消し去り、晴れ晴れとした気分で満たした。
満足した彼は、アイリーンの聞きたいことに答えることにする。
「エレノア嬢、正直で真面目な子だね。裏表もないし、信用はできるかな」
側近に取り立てる気なら使いどころを考える必要がありそうだけど、と付け足す。
「やっぱりディランもそう思うのね?」
アイリーンがぱっと顔を明るくしたので、ディランの気持ちもさらに明るくなる。
天使のように美しい王女アイリーン。人は讃えていう、彼女の暖かい笑顔はどんな宝石にも勝る褒美だと。しかし、膨れた頬も尖った唇も自分に向けられたならば最上の褒美だ。ディランはそんなことを思いながら、甘い香りの茶を口にした。
ふいに、これまで黙っていたファレルが口を挟んだ。
「へえ。ディランもそう言うなら、今度連れて来い。俺も色々見てみたい」
「会ってみたい、とおっしゃい」
ファレルの上でスリッパがぺしんと鳴る。ディランはそれを見て、腹のそこから声を出して笑った。
赤毛のディラン・デール。彼の仕事は、第二王子ファレルの世話をやくこと、そして彼ら兄弟のために立ち回ること。
アイリーンの人材集めに協力するのもその一環だ。
彼らのために動くのは、ディランにとって、自分が望む未来のために動くことでもある。
だからそのためとあれば、彼は結局のところ何度だって踊るし、必要ならば汚れ役でも引き受ける。
ただし、最後にはお姫様からのご褒美を期待していることは、今のところ彼だけの秘密である。




