第3話:バイキングの誓約、地鳴りの返辞
イギリスの乾いた風が、砂浜に突き立てられたハラルドの白き盾を揺らしていた。
数百人の民兵たちの手が震え、地面に落ちたクワや大鎌が鈍い音を立てる。
だが、まだ彼らの瞳から不信と恐怖が消え去ったわけではなかった。
そんな、張り詰めた静寂のド真ん中で、ハラルドは一歩も動かく、堂々と腕を組んで語りかけた。
「お前たちのリーダー、代表者と話がしたい。……だが、裏の小屋でコソコソ隠れてやるような真似はしねえ。何より、ここにいる全員の前で、白日の下に話がしたいんだ」
ハラルドの声は、どこまでも真っ直ぐに、民兵たち一人ひとりの耳へと届いていく。
「見知らぬ土地に、こんな化け物じみた大男たちが三十人も現れて、不安じゃねえ奴はいねえ。……だから、約束する。その話し合いが終わるまで、俺たちはこの砂浜から、ここから一歩も動かねえ」
彼は自分の剣をサヤへと収め、再び背後の船乗りたちを振り返った。
その瞳には、一寸の欺瞞も許さない、掟の光が宿っている。
「そちらが先に襲ってこねえ限り、俺たちからお前たちに手を出すことは絶対にねえ。……俺たちの誇り、命の結束たる『掟』に誓ってな」
ハラルドは一息吸い込むと、自らの背後に控える、血の気の多い三十人の荒くれ者たちに向かって、雷のような大音声を爆発させた。
「――お前ら、返事ィッ!!!」
その瞬間、ハラルドの意図を完璧に理解した三十人の戦士たちの身体が、弾かれたように直立した。
彼らは泥だらけの拳を同時に己の胸へと叩きつける。
――ドォンッ!!
「「「――ウーッ!!!!」」」
大気を引き裂く、一糸乱れぬ咆哮。地獄の底から響くような重厚な地鳴りが、イギリスの砂浜を激しく揺らした。
それは、ハラルドの言葉をただ肯定するだけのものではない。
自分たちの命を繋ぎ止めてくれた『ロー(掟)』に懸けて、目の前の農民たちを決して傷つけないと、魂の底から誓った漢たちの、本物の「約束」の音だった。
民兵たちの間に、今度こそ本当の衝撃が走った。
「な、なんだ……あいつらは……」
「略奪をしにきた悪魔じゃないのか……? なぜ、これほどの軍勢が、ただのガキの言葉一つで、ここまで綺麗に統制されているんだ……」
彼らが今まで噂に聞いていたバイキングは、ただ叫び、奪い、焼き払うだけの野蛮人だった。
だが、目の前にいる男たちは違った。誰よりも強く、誰よりも恐ろしい牙を持ちながら、その牙を自分たちの決めた『掟』という鎖で縛り、対等な人間として対話を求めてきているのだ。
民兵の列の奥から、一人の年老いた長老が、震える足を前に進め、ハラルドの前に歩み出た。
「……私は、この村の長だ。北の男よ……いや、ハラルドと言ったか。お前たちのその『掟』と、その咆哮の重さ……信じてみようじゃないか」
長老が武器を完全に捨て、ハラルドの目を見随えた瞬間、戦場を包んでいた冷たい「殺意の絶望」は、本当の意味での「交渉」へと変わり始めたのだった
「それで、生きるために助けを求めに来たとは、一体どういうことだ」
長老の問いかけに、ハラルドは一寸のハッタリも交えず、自分たちの「剥き出しの真実」をすべて語った。
故郷の村が岩と氷に閉ざされ、子供も老人も飢え死にするしかない絶望の土地であること。
一族が次の冬を生き延びるためには、この肥沃な大地を分けてもらうしかないこと。ひと通り事情を説明し終えると、ハラルドはゆっくりと両膝を泥に突き、長老の前に深く、深く、頭を下げた。
「お願いだ、イギリスの農民ども。俺たちの故郷の家族を救うために、生きるための土地と、開墾の技術を分けてくれ……! 助けてくれ!!」
後ろの船乗りたちが息を呑む。
だが、ハラルドに続いて、三十人の屈強な荒くれ者たちもまた、ナタや剣を地面に置き、次々と泥の中に膝を突いて、現地の農民たちに向かって一斉に頭を下げたのだ。
最強の戦士たちが、今度は生きるために泥に額を擦り付けていた。
長老や民兵たちは、あまりの光景に立ち尽くす。ハラルドは泥をつけた顔を上げ、不敵に笑ってみせた。
「だが、タダで助けてもらおうなんて虫のいいことは思ってねえ。……何か困っていることはねえか? 荒れ地の開墾、重い岩の移動、あるいは他の残虐な野盗からの防衛でも何でもいい。俺たちの後ろにいるこの三十人、腕っぷしと頑丈さだけは、この海のどこを探しても負けねえ奴らだ!」
ハラルドは親指で後ろの男たちを指し、ニヤリと口角を上げた。
「――まぁ、ご覧の通り、全員揃って『頭(知恵)』のほうは著しく足りねえんだがな!」
その軽口が響いた瞬間、それまで平伏していた三十人の男たちが、一斉に顔を跳ね上げて大ブーイングを浴びせかけた。
「「「おいっ!! 誰が頭が足りねえんだよ、ハラルドォッ!!」」」
「俺は村で一番チェスが強えぞ!」
「お前が一番バカだろうが!!」
ガヤガヤと騒ぎ立て、お互いを小突き合う大男たち。
さっきまで世界を滅ぼす悪魔のように恐ろしかったバイキングたちが、今はただの、不器用で、騒がしくて、最高に愛おしい「ただの男たち」に見えていた。
民兵たちの間から、ふっ、と小さな笑い声が漏れた。
「あいつら……本当にただの、腹を空かせた農民なんだな」
張り詰めていた戦場の空気は、今度こそ完全に融け去り、笑い声へと変わっていった。
長老は、目の前で騒ぐ不器用な狼たちを見つめ、深く頷いた。
「いいだろう、ハラルド。ちょうど、村の北側にある未開墾の荒れ地と、狼の群れに頭を抱えていたところだ。お前たちのその有り余る『腕っぷし』、この村のために、立てなくなるまで使ってもらおうじゃないか」
「ああ、望むところだ! 俺たちの全力を出させてやる!」
剣をクワに持ち替え、生きるために手を取り合ったバイキングと農民たち。男たちの不器用な誠実さが、絶望の戦場に、本当の「未来」の灯をともした瞬間だった。




