第32話 理想と現実
「お前なぁ!!」
ルカの怒声が、工房の外まで響き渡った。
俺は思わず肩をすくめる。
「いや、悪い。そんなに若いとは思わなくて」
「初対面の相手にいきなり老けて見えるって言うか、普通!?」
「老けて見えるとは言ってない。30歳くらいかと思っただけだ」
「それを老けて見えるって言うんだよ!」
反論するルカを横目に、ネロは椅子の上で丸くなっていた。
『くだらんな。人間は年齢の数字を気にしすぎる』
『お前は肉の量しか気にしてないだろ』
『失礼な。肉の質も重要だ』
……こいつは本当に。
俺は小さく息を吐き、机の上に広げた羊皮紙へ視線を戻した。
そこに描かれているのは、俺が考えた弓の設計図だ。
「さて、話を戻そう。こっちが本題だ」
「……ああ」
ルカもようやく気を取り直し、机の向かい側に座った。
さっきまでの気さくな表情は薄れ、設計図を見つめる目に職人らしい鋭さが戻っている。
「改めて見ると、やっぱり面白い構造だな。普通の弓とは考え方が違う」
「俺が知っている弓を参考にして、できるだけ効率よく力を伝えられるように考えた。まあ、実物を作って試したわけじゃないから、机上の空論に近いけどな」
「自分でそう言えるのはいいことだ。図面に描けることと、実際に作れることは別だからな」
ルカは設計図の一部を指でなぞった。
「ここは弦を引いたときに力が集中する。こっちの部品も、負荷がかかりすぎる可能性がある。今ある素材じゃ、長く使うのは難しいだろうな」
「やっぱり素材か」
「ああ。形だけなら、似たものを作れるかもしれねぇ。だが、使っている最中に折れたり壊れたりしたら意味がない」
もっともな話だった。
俺は構造を考え、仕組みを整理することはできる。
しかし、素材そのものの強度や加工の限界まで、正確に把握しているわけではない。
設計図の上では成立していても、現実の材料がその要求に応えられなければ、ただの絵で終わる。
「なら、今ある素材で成立する形に変更するしかないな」
「そういうことだ」
ルカは机の端に置いてあった炭筆を手に取り、設計図の横に新しい線を引いた。
「まず、ここを変える。複雑な仕組みを全部再現するんじゃなくて、今の技術で作れる範囲に絞るんだ」
「待ってくれ。そこを変えると、力の伝わり方も変わるはずだ」
「だろうな。だから、こっちの形も調整する」
「その場合、弦にかかる負荷は?」
「実際に作ってみないと断言できねぇ。計算だけで全部わかるなら、鍛冶屋なんていらねぇよ」
ルカは豪快に笑った。
俺も思わず笑みを浮かべる。
「違いない」
それから俺たちは、設計図を挟んで意見を交わした。
俺が構造や力の伝わり方について考えを述べ、ルカが素材の性質や加工方法から実現できる範囲を示す。
俺が理屈の上で効率のよい構造を提案すれば、ルカは実際に作る際の問題点を指摘する。
逆に、ルカが提示した案に対して、俺が別の構造を提案することもあった。
当然、すべての意見が採用されたわけではない。
「それは無理だな」
「理由は?」
「部品が持たねぇ」
「素材を変えれば?」
「今ここにある材料じゃ厳しい」
「……なるほど」
そんなやり取りを何度も繰り返した。
不思議な感覚だった。
こちらの考えを頭ごなしに否定されるわけではない。かといって、無条件に肯定されるわけでもない。
できることとできないことを整理し、成立する方法を探していく。
まさに、俺が求めていたやり取りだった。
「よし。ひとまず、こんなもんか」
しばらくして、ルカが炭筆を置いた。
最初の設計図とは、かなり違う形になっている。
複雑な構造の一部を省略し、負荷が集中する部分を補強。細かな調整機構も、今の素材と加工技術で作れる範囲に変更していた。
理想からは遠ざかった。
それでも、ただの普通の弓を作るよりは、俺の考えた構造を生かせているはずだ。
「これなら作れそうか?」
「作れる。実際にどの程度の性能になるかは、完成してからのお楽しみだな」
「ずいぶん曖昧だな」
「当たり前だろ。まだ作ってもいねぇんだから」
ルカは設計図を持ち上げ、光にかざすようにして眺めた。
「だが、いい仕事になりそうだ」
その表情には、先ほどまでとは違う熱があった。
俺の設計を形にすることそのものが、ルカにとっても面白い仕事になっているらしい。
「それで、いつ頃できそうだ?」
「今日中に完成、なんて無茶は言うなよ。材料の準備もあるし、部品を作って、組み立てて、調整も必要だ。まずは試作品だな」
「わかった。俺も手伝えることがあれば手伝う」
「お前、鍛冶の経験は?」
「ない」
「なら、いきなり金属を打たせるわけにはいかねぇな。下手にやられると、こっちの仕事が増える」
「手厳しいな」
「職人だからな!」
胸を張るルカに、俺は苦笑した。
だが、当然の話だ。
俺には俺の知識がある。ルカにはルカの経験がある。
できないことを無理にできると言い張る必要はない。
今の俺にできるのは、設計の意図を説明すること。試作品ができたら、実際に使って問題点を見つけ、改善案を考えることだ。
それなら、十分に役に立てる。
「じゃあ、完成したら試射もしたいな」
「おう。俺も実際にどう飛ぶのか、早く見てみてぇ」
ルカは設計図を丁寧に巻き、作業台の脇に置いた。
「こういうのは久しぶりだ。普段は注文された道具や武器を、依頼どおりに仕上げる仕事が多いからな」
「自分で考えたものを作る機会は少ないのか?」
「ゼロじゃねぇが、そう多くもない。使う人間がいて、必要なものが決まってる。それに応えるのも職人の仕事だ」
そこでルカは、一度言葉を切った。
「けど、まだ見たことのない仕組みを形にするのも、悪くねぇな」
その言葉に、俺は少しだけ考え込んだ。
俺がこの世界で生きていくためには、知らないことを知り、できないことをできるようにしていく必要がある。
魔法も、道具も、武器も。
必要なら調べる。仕組みを考える。作れるなら作る。
そうやって、少しずつ自分の選択肢を増やしていく。
「俺は、こういうことをもっと知りたいんだ」
「こういうこと?」
「仕組みを理解して、今あるものを改良したり、新しいものを作ったりすること。まだ知らない技術も多いし、実際に見てみたいものもある」
ルカは黙って俺の話を聞いていた。
「この弓も、今の素材じゃ限界がある。もっと適した材料が見つかれば、設計を変えられるかもしれない。加工の技術が進めば、今は無理な構造だって実現できる可能性がある」
「……なるほどな」
ルカは顎に手を当てた。
「つまり、お前はまだ作りたいもんが山ほどあるわけだ」
「そういうことになるな」
「いいじゃねぇか!」
ルカは勢いよく立ち上がった。
「そういう考え方、俺は好きだぜ。できねぇから諦めるんじゃなくて、どうすりゃできるか考える。職人にとっちゃ、大事なことだからな」
そう言って笑うルカを見て、俺も自然と笑みがこぼれた。
この世界に来てから、俺は何度も自分の知識が通用しない場面に出くわしている。
それでも、知識が役に立たないわけじゃない。
足りないなら、補えばいい。
間違っているなら、直せばいい。
作れないなら、作れる方法を探せばいい。
そのためにも、もっと多くのものを見て、知る必要がある。
「……なあ、サク」
「ん?」
「お前、これからアズールに行くんだったよな?」
「ああ。いろいろ調べたいこともあるし、知り合いに会いに行く予定もある」
「そうか」
ルカは腕を組み、少しだけ考え込んだ。
「アズールには、腕のいい職人もいる。珍しい素材や、こっちじゃ手に入らねぇ道具が見つかる可能性もあるだろうな」
「そうだな。俺も期待してる」
「……ふむ」
何かを考えるように、ルカの視線が机の上の設計図へ落ちた。
だが、すぐに顔を上げると、いつもの豪快な笑みを浮かべた。
「ま、今はこいつを形にするのが先だ! 材料を用意してくるから、ちょっと待ってろ!」
そう言い残し、ルカは工房の奥へと消えていった。
俺はその背中を見送り、机の上に残された設計図を眺めた。
理想どおりにはいかない。
知識があっても、材料がなければ作れないものがある。
それでも、今あるものでできることはある。
「……面白くなってきたな」
『そうか? 私は肉が食えれば、それでいい』
『お前は本当にぶれないな』
『当然だ。信念とは、簡単に曲げるものではない』
ネロは誇らしげに胸を張った。
その信念が肉にしか向いていないことについては、あえて触れないでおこう。
やがて工房の奥から、木材を運ぶ音と、ルカの威勢のいい声が聞こえてきた。
試作品がどんな形になるのか。
そして、この弓を通して、俺は何を知ることになるのか。
まだわからない。
だが、少なくとも今は、楽しみだと思えた。




