第18話 出会いの予感
目が覚めた。
「…………」
頭が重い。喉が渇いている。身体を起こそうとすると、頭の奥がズキズキと痛んだ。
「……酒って怖いな」
昨日の夜のことを思い出す。
シアーヌ・セルベサ。飲みやすかった。爽やかだった。だから、少しくらいなら大丈夫だと思ったのだ。
その結果がこれだ。
『おまえ、酒に弱すぎるだろ』
「うるさい……」
ベッドの横を見る。
ネロが、いつものように平然とこちらを見ていた。
「お前は飲んでないからそんなこと言えるんだよ」
『私は猫だからな』
「それはそうだけど……」
こんなに頭が痛いのは久しぶりだ。
前の世界でも酒には弱かったが、まさか異世界に来てまで二日酔いになるとは思わなかった。
コンコン。
部屋の扉がノックされた。
「高尾さん、おはようございます。起きていらっしゃいますか?」
エドガーさんの声だ。
「……はい。起きてます」
扉を開けると、そこにはいつもと変わらない穏やかな笑顔のエドガーさんがいた。
それどころか、妙に元気そうだ。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「……まあ、それなりに」
「それは良かった。では、朝食を済ませたら商売を始めましょうか」
「……元気ですね」
思わず本音が漏れた。
「ええ。昨日は楽しかったですから」
昨日の夜、エドガーさんはかなり飲んでいたはずだ。
それなのに、この元気。
「酒豪怖い……」
俺はもう二度と、酒に強い人と同じペースで飲まないと心に決めた。
*****
朝食を済ませ、エドガーさんの商売を手伝うため店先へ向かった。
昨日運び込んだ商品を並べ、店の前を整えていく。
バルドさんも一緒だった。
昨日は護衛というより従者のように荷物を運んでいたが、今日も手際よく作業を進めている。
「これでいいか?」
「ええ、ありがとうございます、バルド」
「任せてくれ」
準備が終わると、エドガーさんは店先に立った。
それからしばらくすると、少しずつ客がやってくる。
「こちらはいくらですか?」
「そちらは3プラになります」
「もう少し安くなりませんかね?」
「では、2プラ8コブでいかがでしょう」
「それなら買います」
客との会話。
商品の説明。
値段の交渉。
次から次へと訪れる客に対して、エドガーさんは1人ひとり丁寧に対応していく。
押し売りをするわけでもない。
かといって、ただ客を待っているわけでもない。
相手の困りごとや話を聞きながら、必要な物を自然に提案している。
(なるほど……スマホ修理の受付カウンセリングと同じだ。売り込むんじゃない、相手のニーズを引き出してるんだな)
昨日、バルドさんから聞いた話を思い出した。
身体だけじゃない。
礼儀も、言葉遣いも、人との接し方も鍛えられた。
確かに、こういうことなのかもしれない。
「商人って、こういうものなのか……」
思わず呟いた。
『何がだ?』
「いや、エドガーさんの仕事ぶり。プロの接客だなと思って」
『おまえにはできないのか?』
「修理のカウンセリングなら得意だけど、物品の販売交渉は専門外だよ」
『昨日、鍋を直した報酬を受け取っていたではないか』
「それとこれとは違うって」
そんな話をしながら、しばらくエドガーさんの商売を眺めていた。
やがて昼前になり、客足が落ち着いてくる。
エドガーさんが商品を整理しながら、こちらを見る。
「高尾さん、何か気になることでもありますか?」
「ええ。少しお願いしたいことがありまして」
「何でしょう?」
「昨日お話ししていた、修理に使う部材や工具を扱っている店を教えていただけませんか?」
俺がそう言うと、エドガーさんはすぐに頷いた。
「もちろんです。ちょうど近くにありますよ」
「本当ですか?」
「ええ。シアーヌなら、ある程度の物は揃いますから」
それはありがたい。
森にいた頃は、必要な物はスキルや手作業で自作するしかなかった。
これから先、何かを修理することになった時のためにも、どんな物が手に入るのかくらいは知っておきたい。
「では、少し見に行ってみましょうか」
「お願いします」
*****
エドガーさんに連れられ、商店区画の一角へ向かった。
そこには、様々な商品を並べた店がいくつもあった。
その中の1軒。
店先には木材や金属の板、工具らしき物が並べられている。
「ここです」
「……おお」
思わず声が漏れた。
店の中を覗く。
金属製の部材、細かな留め具、ネジのような物、ワッシャーに似たパーツ、武骨な工具、見たことのない素材。
元店長としての職業病で、俺の指先が勝手に動いた。
ネジらしき金属部品を持ち上げ、光にかざして精度を確かめる。
(へえ……ネジ山の切り出しは少し粗いが、金属の質感は悪くない。ただ、この金具は鍛造じゃなく鋳造か。強い衝撃がかかる場所に使ったら1発で割れるな……)
「こういう店があるんですね」
「ええ。鍛冶師や町の職人も利用しますからね」
俺は昨日ポケットに仕舞っておいたボールペンと胸ポケットのメモ帳を取り出し、値段を書き留めていく。
それを見たエドガーさんが「ほう……」と感心したように目を細めた。
「相変わらず、高尾さんの使われる筆記具と紙は精巧ですね。墨も要らず、滑らかに書ける」
「ああ、これですか。俺の国の標準的な記帳ツール(ボールペン)ですよ」
サッとメモしながら、店主に値段を聞いていく。
「この金属プレートは?」
「2プラです」
「こっちのボルト類のセットは?」
「1プラ5コブですね」
聞き取った値段をメモに書き込みながら、頭の中で計算していく。
昨日もらった報酬は、2オル5プラ8コブ。
1オルが100コブ、1プラが10コブ。
つまり、全部合わせて258コブ。
かなり貰ったと思っていた。
実際、すぐに路頭に迷うような金額ではない。
だが、こうして専門部材の値段を見ていると、無駄遣いできるほど余裕があるわけでもなさそうだ。
「エドガーさん」
「はい?」
「この町で宿に1泊すると、どのくらいするんですか?」
「宿によりますね。場所や設備によって違いますが、シアーヌなら1泊数コブから数十コブ程度でしょうか」
「食事は?」
「普通の食事なら1食数コブ程度で済むでしょう」
なるほど。
少しずつ、この世界のお金の価値観と自分の購買力が繋がってきた。
工具も欲しい。
部材も欲しい。
予備の消耗品も確保しておきたい。
欲しい物はいくつもある。
だが、まだこの町で何をするのかすら決めていない段階で、当て推量で部材を買い込むのは危険だ。
在庫を抱えすぎるのは店舗経営の基本リスク(不良在庫)だからな。
「……今日は下見だけにしておきます」
俺がそう言うと、エドガーさんは深く頷いた。
「それが賢明でしょう。必要になってから買えばいいのですから」
「はい」
焦って買う必要はない。
まずは焦らず、この世界のことをもっと知るべきだ。
どんな人が暮らしているのか。
どんな仕事があるのか。
どんな物が使われ、どんな物が売られているのか。
まだ何も分かっていない。
店を出て、噴水広場を通ってエドガーさんの店へ戻ることにした。
「それにしても、面白い素材がたくさんありましたね」
「シアーヌは王都へ向かう人も多いですからね。商人も職人も、それなりに集まります」
昨日より少しだけ、この町の構造と自分の立ち位置が分かった気がした。
そんなことを考えながら中央の噴水広場まで戻ってくると――。
「……ん?」
人だかりができていた。
中央の噴水を囲むように、かなりの人数が集まってざわついている。
「何でしょう?」
俺が足を止める。
エドガーさんも眉をひそめて人だかりを見た。
「何かあったのでしょうか……」




