第16話 文明との接触
「これから向かうシアーヌ村は、どんなところなんですか?」
馬車の手綱を握り、ゆっくりと並んで歩くエドガーさんに尋ねた。
頭の中で想像していたのは、きっとよくある『最初の村』だった。
何百人も住んでいるわけではなく、数十人から多くても百人程度。小さな家がいくつか並んでいて、畑を耕しながら細々と暮らしている。
そんな場所を勝手に想像していたのだ。
「そうですね。村とは言われていますが、今歩いているこの道の先には王国がありますからね。宿場町として重宝されているところですよ」
「……宿場町?」
想像していたものと、まったく違った。
宿場町。
現代では、そんな場所と言われても温泉街くらいしか思い浮かばない。
箱根、また行きたいな。
「人の交流が多いので、色々なものを見ることができますよ。それに、セルベサが名物なんです。『シアーヌ・セルベサ』と呼ばれていて、王都のお店でも人気なんですよ」
「セルベサ?」
聞き慣れない言葉に、思わず聞き返す。
(ネロ、知ってるか?)
『いや、初耳だ』
ネロも知らないらしい。
俺が不思議そうな顔をしているのを察したのか、エドガーさんが続けて説明してくれた。
「東の方では別の呼び方をするのかもしれませんね。麦を使って発酵させたお酒です。黄金色をしていて、上には白い泡が浮かびます。飲んだ時の爽やかな喉越しが人気なんですよ」
思った。
ビールじゃん。
『ビールだな』
どこの世界でも、ビールは大人気なんだな。
ただ、残念ながら俺はアルコールにかなり弱い。
楽しめるかどうかは……少し不安だ。
「それに、近くには川が流れていましてね。向こうの山から流れてくる水を使っているんです。雪解け水も含まれているので、とても綺麗なんですよ」
「向こうの山……」
その言葉に、ふと森での生活を思い出した。
俺がいた森にも川があった。
毎日のように水を汲み、飲み水や生活用水として使っていた川だ。
もしかしたら、あの川も同じ山から流れてきているのだろうか。
そう考えると、少しだけ不思議な気分になる。
森の中で完結していると思っていた生活も、こうして辿っていけば、この町や王国まで繋がっている。
「そういえば、ビールってことは麦を使ってるんですよね?」
「ええ、そうですよ」
「だったら……麦茶とかも作れるのかな」
「むぎちゃ?」
「いや、こっちの話です」
麦茶、飲みてぇな……。
そんなことを考えながら歩いていると、しばらくしてエドガーさんが前方を指差した。
「見えてきましたよ」
街道の先。
木々の向こうに、建物がいくつも並んでいるのが見えた。
近づくにつれて、その全体像が少しずつ見えてくる。
「……意外とでっかいな」
思わず声が漏れた。
『村じゃないな』
ネロも同じ感想だったらしい。
俺の想像していた『最初の村』とは、あまりにも規模が違う。
街道沿いには荷馬車が行き交い、人の姿も多い。
商人らしき人。
荷物を運ぶ職人。
農作物を積んだ荷車。
旅人らしき人。
遠目からでも、それぞれが違う生活をしていることが分かる。
これが……人の暮らす町。
俺が森を出てから初めて見る、本格的な人間社会だった。
町の入口まで近づくと、両脇に槍を持った二人の男が立っていた。
兵士……なのだろうか。
一人は背が高く痩せ型。
もう一人は背が低く、がっちりとした体格をしている。
見事な凸凹コンビだ。
やっぱり、よくある通行証を見せるパターンなのだろうか。
そう思っていると、背の高い方がエドガーさんに声をかけた。
「エドガーさん、こんにちは。今回も商いですかね?」
「ええ。数日間は滞在しようかと思っています」
エドガーさんは慣れた様子で答え、何かを見せながら二人の兵士と簡単なやり取りをしていた。
「今回の移動は、お連れの方がお二人なんですね」
「ええ。道中お世話になった方と、その護衛の方です。ぜひここのセルベサを堪能していただこうと思いまして」
「それはいい! お連れの方、シアーヌを楽しんでください」
「ありがとうございます」
そんなやり取りをしただけで、何事もなく通された。
……良いのか?
俺は少し拍子抜けしながら、エドガーさんの後ろを歩く。
すると、エドガーさんがこちらを振り返った。
「私の通行書は、私以外に三人まで身元を保証できる特別なものなんです。ですから、高尾さんについても特に確認されなかったんですよ」
「なるほど」
「それに、高尾さんは武器も持っていませんし、そのお召し物も大変上質で、気品を感じさせますからね」
なるほど。
エドガーさんの身元保証があり、武器も持っていない。
そして、このスーツだ。
「スーツで来て良かった……」
思わず呟いた。
『見た目って、やっぱり重要なんだな』
ネロも感心したように呟く。
町の入口を抜けると、数メートル先に開けた場所が見えてきた。
中央には大きな石造りの噴水。
そこを中心に、四方向へ道が伸びている。
「この先は宿屋が並んでいる区画です。広場に近ければ近いほど、宿泊費も高くなります」
エドガーさんが左手を指差す。
「こちら側には商店が並んでいます。私もこの後、こちらで商売をします」
今度は右手を指差す。
「こちらは飲食店が多いですね。夜になったら、一緒に飲みに行きましょう」
「……セルベサですか?」
「ええ。せっかくですから、ぜひ」
酒か……。
飲みたい気持ちはあるが、俺の酒への弱さを考えると少し怖い。
「そして最後はこちら。役場や、町の代表者の家などがあります」
説明を聞きながら、俺は頭の中で町の構造を整理する。
噴水を中心に四方向。
左上が宿屋、右上が商店、右下が飲食店、左下が役場。
そして、下側が今通ってきた町の入口だ。
中央の噴水周辺には、たくさんの人が行き交っていた。
商人、職人、住民、農家、旅人。
髪の色も金髪、茶髪、赤毛、黒髪と様々だ。
聞こえてくる活気ある声。
荷車の軋む音。
店から漂ってくる料理の匂い。
それらすべてが新鮮だった。
だが、元店長としての職業病なのか、俺の目は行き交う人々の『道具』に向いていた。
職人の腰に下がった工具袋の手入れ状態。
看板の固定方法。
(へえ……鍛冶職人の腰道具、なかなかいい手入れをしてるな)
森にいた時は、火を起こし、水を確保し、食べ物を探すだけだった。
身体一つでサバイバルするしかなかった。
でも、ここには店がある。
仕事がある。
人の生活がある。
そして、修理すべき道具がある。
「……すごいな」
『何がだ?』
「全部だよ。それに……ワクワクしてきた」
「何がですか?」
エドガーさんが振り返る。
「いえ、こちらの話です」
俺は改めて町を見渡した。
そして、ふと思う。
この町なら、もっと色々なことができるんじゃないか。
「……エドガーさん。今日のご予定が終わったら、手持ちの工具で足りない金属資材やパーツが買える道具屋を教えてもらえますか?」
「もちろんですよ。何か修理に必要なものでも?」
「ええ。少し、この町で試してみたいことがありまして」
職人としての血が騒いでいた。
森を出て、ようやく俺は――
この世界の文明と、新しい『仕事』の予感に触れたのだ。




