第7話 アルテミスS祝勝会
こんにちはこんばんは田原武馬です。
ウェディングリリー7話目です。
それではどうぞ!
――十一月九日
ウェディングリリーのアルテミスステークス勝利から約二週間が過ぎた。
今日は月曜日なので騎手は全休日である。シュンヤはやることもなく、ただ自宅でくつろいでいた。
住まいは栗東トレーニングセンターから自転車で二十分ほどの距離にある、築二十五年のアパートである。
家具はベッドと部屋の奥にある簡素な作りのデスクと椅子ぐらいなもので、殺風景だ。
しかしデスクの上には写真立てがいくつか置かれている。ウェディングリリーの新馬戦での口取り写真、ウェディングリリーの厩舎での一枚、おどけた様子の鳥飼も写っている。
その横に置いてある写真立てをシュンヤは一人眺めていた。
ピンク色のアルテミスS優勝レイを首にかけたリリーが写っている。
優勝レイとは重賞勝ち馬の首にかけられる、布製で刺しゅうの施された装飾品のことだ。
淡いピンク色が真っ白なリリーの馬体にとてもよく似合っている。
リリーの横に調教師の大護、厩務員の鳥飼、リリーのアルテミスS装着ゼッケンを掲げたシュンヤが笑顔で写っている。
レースの三日後、ウェディングリリーは足元に問題がないことを確認され、外厩施設のルークファームに短期放牧に出された。そこで休養と、レースに向けたトレーニングに励むのだ。
そして来週、大護厩舎に帰ってくることになっている。
短い間ではあるがシュンヤはリリーのいない寂しさをぬぐえず、うなだれていた。こんなことは生まれて初めてであった。
そうしていると、スマートフォンの着信音が鳴った。画面を見ると鳥飼からである。
「シュンヤ、今暇か?」
「鳥飼さん、どうしたんですか?」
「ウチの厩舎の来れるメンツで飲んでるんだ。先生(大護)は来れなかったんだけどな。まあでもお前も来いよ。リリーのアルテミスS勝利を祝ってパーッとやろうぜ!」
「僕まだ未成年ですよ!」
「おおそうだったか?まあ酒を飲まなきゃ大丈夫だ。とりあえず来てみろよ。面白い話が聞けるぞ。じゃあな」
返事を待たずに鳥飼は電話を切ってしまった。
シュンヤはどうせやることがなかったので、溜息をつきながらも薄手のジャケットを羽織り、居酒屋に向かった。
自転車を二十分ほど走らせると事前にLINEで共有されていた「祐一」という居酒屋の看板が見えた。
店員に伝えると、奥の座敷に通された。
「よお重賞ジョッキー!こっちにこいよ!」
シュンヤの顔を見るなり上機嫌で話しかけてきたのは大護厩舎の持ち乗り厩務員、西田達吉であった。年齢は四十代。頭を丸坊主にしている偉丈夫である。
持ち乗り厩務員とは馬の世話と調教騎乗、どちらもこなす人のことを指す。
シュンヤは呼ばれるままに西田の横に座った。
そのまま、渡されたジョッキに入った烏龍茶をちびちび飲む。
「シュンくんってまだ未成年?」
シュンヤの対面に座っている女性厩務員の宮本和香が声をかけてきた。髪を金髪に染めていて、普段から鳥飼とよく絡んでいるのを目撃する。年齢は二十代後半といったところ。
「今年で十九です。皆さんと飲めるようになるのは来年です」
ちなみに先ほどシュンヤを電話で呼びつけた鳥飼はというと、パーマのかかった黒髪を振り乱し、よくわからない曲を大声で熱唱している。
「シュンヤ君、初重賞勝利おめでとう」
次に声をかけてきたのは大護厩舎の調教助手で厩舎のセカンドブレイン、横田匠である。年齢は五十代前半。銀縁の四角い眼鏡をかけ、いつも柔和な表情を浮かべている。
シュンヤ自身、大護竜一郎が厩舎を留守にしている際、横田に指導をしてもらったことが何度もある。
横田が乾杯のためジョッキを掲げた。シュンヤも自分のグラスを掲げ、横田のジョッキに自分のジョッキをぶつけた。
「ありがとうございます!」
「ウェディングリリーのアルテミスS、あのコルピエアルクオレのレコードタイムと同じ記録だったんだろう?凄いよね」
「そうだぞ~オレのリリーは最強だぁ」
酔った鳥飼が横で叫んでいる。
「横さん、それ、トレセン内で話題になってますよ~。来年の牝馬クラシックの主役はコルピエアルクオレか、ウェディングリリーか、みたいな」
宮本も話に入ってくる。彼女は栗東トレセンや他厩舎の内部事情に詳しいようだった。
「ハイエストファームの社長さん、いるでしょ?須崎さん。ウェディングリリー対策だーって、阪神ジュベナイルフィリーズに出走予定の他厩舎に声かけて回ってるらしいんですよ」
シュンヤは小鉢に入ったきんぴらごぼうに箸をつけながら、宮本の言葉を聞いていた。
「なんだそりゃ。随分ウェディングリリーのことを目の敵にしてんだな。HF生産じゃねえから潰したいってことか?」
おしぼりで顔を拭きながら西田も話に入ってくる。
「確かに噂程度ではあるけど聞いたことがあるな。須崎サンは自分の牧場の馬の価値を上げるためだったらどんな手でも使ってくるって。特にコルピエアルクオレは社長の秘蔵っ子だったって話だ。そいつと全く同じタイムで勝ったウェディングリリーのことは面白くないかもな」
「いくら天下のハイエストファームと言ってもさすがにそこまではしないでしょう。」
「第一、コルピエアルクオレを管理している堀口調教師はそんな話に乗るような人じゃありませんよ」
横田が穏やかにスタッフをなだめている。
「シュンヤ!そんなことされたってオレ達のリリーは負けねえよな!!」
鳥飼が千鳥足で近づいてきてシュンヤと肩を組んできた。
「当たり前ですよ!鳥飼さん。ハイエストファームだろうが何だろうが僕とリリーの力で全部跳ね返してやりますよ!!」
シュンヤは鳥飼の言葉に熱く返し、ジョッキに残った烏龍茶を一気に飲み干した。
「シュンくんって本当にリリーのこと大好きだよね~騎手でここまで一頭の馬に熱をあげる人、初めて見たよ」
ここまでくると好きを通り越して恋?宮本は冗談めかして言ってきた。
「わかんないんですけど、リリーのことを考えてると胸が熱くなって、こんなの生まれて初めてなんですよ」
周囲の雰囲気に流されているのか、本音がつい漏れてしまう。
「それもう恋じゃーん」
ケラケラ笑いながら宮本はシュンヤを小突いてきた。
酒など飲んでないのに顔が赤くなっている自分に気づき、シュンヤは顔を伏せた。
「それぐらいにしてやれよ和香。そうだ、お前の担当している、ジャンヌフラッグの調子はどうだ?」
鳥飼が助け舟を出してくれた。
「ジャンヌ、今は体重も結構増えてなんとか年明けぐらいにはデビューできそう。リリーと同い年だけど、だいぶ置いて行かれちゃったね」
「そんなこと言うなよ。お前がジャンヌのために頑張っているのはみんな知ってんだ」
ジャンヌフラッグとは宮本の担当している芦毛の牝馬である。
体重が現在410キロと小柄なため、デビューが遅れている。しかし宮本はジャンヌのために栄養を補填するサプリメントを自費で購入したり、先輩厩務員に足繫く通い相談したりと、愛情を注いでいるのは伝わってくる。
そのおかげもあってか、ジャンヌフラッグの馬体重はここの所増加傾向にあるようだ。
ちなみにジャンヌの馬房はリリーの隣である。
ジャンヌは小柄ながら勝気な正確で、リリーと気が合うようである。
二週間前、リリーが放牧に出される際、寂しそうに嘶いていた。馬体の二回りほど大きなリリーを姉貴分のように思っているのだろう。
気が付くと鳥飼と宮本はそれぞれの担当馬の話に花を咲かせていた。
楽しげな二人の邪魔はせず、シュンヤは自席に戻った。
「久我、これ、梅水晶食ってみろ」
席に戻ると西田が小鉢を差し出してきた。
シュンヤは勧められるままに食べてみた。独特の食感と酸味が口に広がる。
梅水晶とはサメの軟骨に梅肉を加えたつまみである。
「初めて食べたけど、コリコリして美味しいです」
「まだ他にもあるぞ!食え食え」
大皿の焼きそばを差し出して西田はガハハと笑っている。
「西田さん、シュンヤ君は騎手ですよ。ほどほどに」
横田が止めに入る。
騎手にとって体重管理はとても重要だ。
もし既定の体重をオーバーすると、レースに騎乗できないどころかペナルティを食らってしまう。
シュンヤは苦笑いしつつも焼きそばを小皿に取り食べてみる。麺にソースがよく絡んでいて美味しい。
ふと、見回すと、皆楽しそうに笑っている。
シュンヤにとって、鳥飼以外の厩務員やスタッフとここまで長時間話す機会はこれが初めてだった。
皆、腹を割って話すととても楽しく、気のいい人たちだった。
そうしているうちに時間は過ぎ、時計の針は九時を指していた。
「おっと、もうこんな時間ですか。お開きにしましょう」
そんな横田の一声で解散となった。
厩舎スタッフの朝は早いため、帰って寝支度をしなければならない。
シュンヤは十一月の冷たい風を感じながら自転車を押して帰路についた。
シュンヤは心地よい満足感を覚えながらも、宮本が話していたハイエストファーム社長の件が胸に引っかかって離れないのであった。
阪神ジュベナイルフィリーズまであと一か月。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
次回は阪神ジュベナイルフィリーズです。
レーヌドールプロフィール↓
3月3日生まれ 栗毛
調教師 豊彦英司
馬主 エンジェルレーシング
生産牧場 ハイエストファーム
馬体重 465キロ(前走時)
父:グランリオン
母:フランスギャル
三戦二勝
主な勝鞍 芙蓉ステークス(OP)
次走 ホープフルステークス(G1)




