第21話 再会
田原武馬
シュンヤが厩舎に足を踏み入れると、コンクリートの床がジャリっと音を立てた。
目の前には馬房の鉄柵から顔を出した白毛馬が見える。
シュンヤに気が付いた白い耳がぴょこっと跳ねる。
「そこにいるのは誰?」
聞きなれたリリーの声ではない、少し低い牝馬の声が聞こえてきた。
奥に近づき、馬房の横に書いてあるネームプレートを見ると『ホワイトヴェール』と書いてあった。
(ホワイトヴェール……どこかで聞いたことがあるような)
リリーとよく似た、しかし皮膚の艶やハリを見るとリリーよりも年上だとわかる馬を見る。
(不思議な感覚だ。リリー以外の馬の言葉がわかるなんて)
「えっと、騎手をしています。久我です」
「久我?ひょっとして、リリーが話していた子かしら。私の子に会いに来てくれたの?」
「やっぱり!リリーのお母さんですか!」
「ええ、そうよ。あなたのことは聞いているわ。それで、ここに何のご用?」
「すみません。リリーにご飯を届けに来たんですけど場所を間違えてしまったみたいで」
「あらそうなの。でも、せっかくだから少しお話ししていきましょう?聞いたわよ。あなた達、G1レースを勝ったんですって?」
「はい、と言っても全部リリーのおかげです。僕はリリーに乗っていただけですし」
「その、『乗っていた』のが大事なのよ。
私もね、G1の舞台に立ったことがあるの。
そうだ。立ちっぱなしじゃ悪いから、そこの椅子に座ってくださいな」
ホワイトヴェールは馬房の前に置いてあるパイプ椅子を鼻先で示した。
シュンヤが腰を下ろすとホワイトヴェールは再び口を開いた。
「どこまで話したかしら。そうそう、私もG1挑戦をした事があったの。デビューからずっとコンビを組んでいた騎手でね。タオカユウセイという名前だったわ」
(タオカユウセイ……田岡遊星……田岡さんだ!)
シュンヤの脳裏に桜花賞の勝利後、笑顔で語りかけてきた田岡の顔が浮かぶ。
「でもそのレースで負けてしまって、私と彼は離れ離れにされてしまったの。その次のレースから私の背中にいるのはユウセイでは無くなってしまったの」
語るホワイトヴェールの目は恋をしている少女のような、それでいて昔を懐かしむようなものに変わっていた。
「若い私にはそれが悲しくてね。本当に悲しくて。ゲートを壊してレースから逃げ出したの」
「そんな事があったんですか……」
「私とユウセイでは、子どもは作れない。種族の壁があるもの。でもね、大好きな人とは出来る限りは一緒にいたかったの。だからね、あの子にあなたの話を聞いた時は本当に嬉しかったわ。気づいているかもしれないけど、リリー、あなたに首ったけよ」
ホワイトヴェールの言葉にシュンヤの顔には熱が集まる。
自分で自分を制御できない。シュンヤの想いを見透かしたか、ホワイトヴェールが言葉を続ける。
「久我さん、あなたがもし、あの子の事を同じように思ってくれるなら、どうか大事にしてあげてくださいね。私とユウセイの分も……」
そういうとホワイトヴェールは片目を閉じてパチっとウィンクをした。
「僕も、リリーと出会えて本当に良かったです。僕も、リリーの事が大好きです!えっと、上手く言えないんですけど、僕も自分の人生の出来る限り、リリーと一緒に過ごしたい。そう思っています」
「ふふふ。良かったわ」
ホワイトヴェールは楽しそうに笑うと厩舎の奥を向いた。
「だって!良かったわね。リリー!」
「えっ!」
思わず立ち上がるシュンヤ。
見ると、厩舎の一番奥の馬房から見覚えのある美しい白毛馬が顔を出していた。
「ちょっと、お母さん!やめてよ!」
顔を出したリリーは鼻先を赤く染めホワイトヴェールを睨みつけている。
「ほらほら、久我さんいってらっしゃい」
ホワイトヴェールが柔らかい鼻先でシュンヤの背中をズイと押す。
「リリー……」
二、三歩たたらを踏んだが、シュンヤはその場に立ち尽くす。しかし意を決したように飼い葉桶を掴むと奥の馬房へと足を運ぶ。
シュンヤはリリーの馬房の前に行くと、飼い葉桶を中に吊るしてやる。
鉄柵越しにリリーの心配そうな視線と交差した。彼女の目の中に映るシュンヤの表情も、不安げだ。
―だけど、謝らなくちゃ。そして伝えなきゃ。この気持ちを。
「ごめん!」
「ごめんなさい!」
シュンヤの謝罪と同時にリリーの声が重なった。
「え……」
「シュンヤ……あなた、私に失望していないの?あなたを押し除けるような事を言ってしまったのに。それに、オークスを負けてしまったわ」
「なに言ってるんだよリリー!元はと言えば僕が怪我したせいだし、君は悪くないんだ。気持ちを考えてあげられなくて、本当にごめん!オークスは、相手が強すぎたよ。でも、また一緒に対策を考えて、力を合わせて必ず勝とう!」
「シュンヤ……もう、離れないでよ……?」
「リリー……もちろん!もう離れない……えっと、僕……」
「久我騎手ー?」
想いを伝えようと口を開いたシュンヤの後ろから声がかかる。
シュンヤは驚き、身を跳ねさせた。
「お、仲直りできたー?」
見つめあう二人の沈黙を破ったのは百合だった。
「百合ちゃん!もう!良い所だったのに!」
ホワイトヴェールがぷりぷりと怒っている。
「えー、なんでヴェール怒ってるの?久我騎手、夕飯とっくに出来てるよ!」
芹澤さん待ちくたびれてるよ。と付け足す百合。
「あ、はい!すぐに行きます!えーっと……それじゃ、リリーまた明日!」
「ええ……!また明日ね!シュンヤ!」
リリーは嬉しそうに目を細めていた。
◇◇◇
芹澤家の食卓、木製の大きなテーブルの上に湯気を立てた白米、コロッケやマカロニサラダ、みそ汁が並べられている。
シュンヤは芹澤の目の前の席に座り、百合はその左の席に座っている。
シュンヤがコロッケを箸で掴み、一噛みするとザクっと衣が音を立てて割れた。
中のジャガイモがホクホクでとても美味しい。
素材の味が本州より一段も二弾も上だ。
流石北海道。とシュンヤが唸っていると女性が奥の台所から顔を出した。
「久我クン、コロッケの味、どう?」
芹澤の妻、芹澤真由美だ。
細身だがエプロン姿が良く似合う柔和な印象の女性だ。
「最高です!」
「そう、お口に合って良かった。ご飯のおかわりが欲しかったら声かけてね」
「ありがとうございます」
「実はな、リリーのことを一番心配してたのは家内なんだ」
奥に下がっていく真由美を見ながら芹澤が口を開いた。
「牝馬ってのは、一度精神を病んじゃうとなかなか立ち直れない子が多いからな。久我君をウチで預かった甲斐があったってもんさ」
「スミマセン。ご心配をおかけしました」
「なんもなんも、ウェディングリリーは俺の代、初めてのG1勝利を持ってきてくれた特別な馬だからな。もちろん、久我騎手もウチの牧場にとっちゃ特別な騎手だべ」
「そうそう、ウチのスタッフ、私合わせて二十人しかいないんだけど、みんなもう久我騎手のファンだよ。星騎手も上手く乗ってくれたけど、やっぱりリリーの背中には久我騎手がいいよね」
百合が口を開く。そして何かを思いついたように手を打ち鳴らした。
「そうだ!芹澤さん、リリー、来週乗り運動開始するでしょ?そこに久我騎手を乗せてあげたら?」
「百合ちゃん、ええこと言うでないの。久我騎手はどうだべ?もうリハビリは終わったって聞いたけど」
「大丈夫です!ぜひお願いします!」
シュンヤは自身の右足を打ち鳴らした。
その後、酒が入った芹澤から様々な苦労話を聞かされた。
なんでも、芹澤は先代である父親が亡くなり牧場を畳む話が出たが、繋養している馬を憂い、三十代で牧場を継いだそうだ。
数々の不況を乗り越えてようやく生産馬がG1を勝利したと涙を流しながら語った。何度かの握手の後、抱擁を求めてきた芹澤を真由美と百合が引き離してくれ、お開きとなった。ちなみに百合は芹澤の姪だそうだ。
その夜、シュンヤは布団に入り一人で考えた。桜花賞での勝利、皐月賞での怪我、リリーの事、そしてそんな自分達を支えてくれる人々の顔。
「頑張らなきゃな……」
―呟き、シュンヤ眠りについた。
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